一関から気仙沼に向かう途中に、室根山(むろねさん)という山がある。標高895mの独立峰で、形がいいことと頂上まで車で行けるので、ツツジの名所として親しまれている。オートキャンプが盛んな頃、室根山の8合目にある望洋台キャンプ場は、人気が高かった。
子どもが小学生のころ、毎年夏休みには大船渡の女房の実家に帰省していたので、ドライブを兼ねて立ち寄ったりしたことがあった。あれから30年くらい行ったことが . . . 本文を読む
岩手県には岩手山や早池峰(はやちね)山のようなよく知られた山もあるが、県内のそれぞれの街に「故郷の山」が存在している。ここ大船渡にも、今出山(いまでやま 756m)という山があり、山頂には各種のアンテナが立ち並び、市民にとっては毎日目にする山であり、春にはツツジの名所として親しまれている山である。
海岸に近いので、山頂からの太平洋や大船渡湾の眺望が見事である。また756mというと大したことはない . . . 本文を読む
千葉から大船渡に転居して4か月が過ぎた。今年は暖冬だと言いながら、大船渡では4月20日まで雪が降っていた。地元の人に聞くと、例年なら4月になるとスタッドレスタイヤを夏タイヤに履き替えるそうだが、今年は、思わぬ雪に焦ったドライバーが多かったそうだ。
私は4月14日に履き替えたが、その後の雪は幸い大船渡では積もるほどの雪ではなかった。
来た当初は寒さに震えあがったが、少しずつ体も慣れてきた。私は極寒 . . . 本文を読む
今年の1月から、女房は自分の母親の介護をすることになり、岩手県に移り住んだ。私は、私の母親の介護のため一緒に行くわけにはいかないので、泣く泣く別居ということになり、岩手と千葉を毎月1度は往復することになった。 たいていは、女房が千葉に帰ってきた折に、私が岩手まで車で送っていくことになるのだが、今回は用事があって私一人で往復することになり、一人ならバイクでしょ!というわけでバイクで出かけた。
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車で岩手県に帰省した。3月に常磐道が全線開通したということは知っていたが、走ったことはなかったので、今回初めて常磐道経由で仙台に行った。
今まではいわきJCTから磐越道に入り、郡山経由で東北道をつかって仙台に行っていた。常磐道経由の方が距離にして30kmほど短縮された。
夜、自宅を出発し、いわきJCTから亘理ICを目指す。ナビが古いので、このルートは載っていない。新しい道路かと思ったら、部分的 . . . 本文を読む
台風18号と19号が1週おきに日本に上陸し、各地に大雨と暴風をもたらした。18号は足早に立ち去ったが、19号が通り過ぎた翌日は台風一過の晴天となった。せっかくの休日を2週続けて荒天で踏みにじられ、イジイジとしていた私だったが、女房が「せっかくの青空なんだから、出かけてくれば。」と背中を押してくれたので、反射的に飛び出した。しかし、最近のツーリングは計画もなく闇雲に走ってばかりなので、今回はきちんと . . . 本文を読む
秋も深まり、紅葉の便りが各地から届くようになった、。峠には氷が張るようになり、今年のツーリング・シーズンも終わろうとしている。最後にどこか遠出をしたいなと思っていたが、福島県が有料道路である磐梯山ゴールドライン、磐梯吾妻スカイライン、磐梯吾妻レークラインの3路線を無料化していることを知った。ゴールドラインやレークラインは以前ツーリングで行ったことがあるが、スカイラインは車で行っただけだが雲上の景色 . . . 本文を読む
mixiのめじさんやMAXさんのホームで「東北地方太平洋沖地震チャリティミーティング@Webike CAFE」が大観山で開催されると知り、出かけることにした。しかし、あいにく当日の天気予報は「曇り一時雨」だったので、もし朝雨が降っていたらやめるつもりでいた。前日は台風のような強風が吹き荒れ、「明日は無理かも・・・」と半ばあきらめて床に就いた。6時に目を覚まして外を見ると、風はおさまったようだが、雲 . . . 本文を読む
翌日は、実家の片づけを手伝った。片づけといっても、1階は津波にやられているので、畳をすべて廃棄するのと、使えそうな荷物をまとめておくこと、家の周りに流されてきたゴミの撤去が主な仕事だ。畳は、海水を吸ってバカみたいに重い。大きな家だったので、畳だけでも40畳はある。手押しの1輪車に3枚ずつ載せ、廃棄場まで往復した。こたつの布団も海水を吸ってぶよぶよだ。掘りごたつには、まだ20cm程の深さで海水が溜ま . . . 本文を読む
2011年3月11日14時46分、何が起こったかを正確に記憶しておくことは難しい。今まで経験したことのない長い激しい地震だったことだけは覚えている。あわててスイッチを入れたテレビでは、東北地方の震度7を伝えていた。妻の実家が大船渡市だということもあり、東北に地震が起こると、津波は大丈夫だろうか、といつも心配していた。夏に帰省するたびに、三陸津波やチリ津波の惨状を聞かされ、特に義妹の夫は消防団員だっ . . . 本文を読む