こんばんは。
今日は4月1日、新しい元号が発表される日とあって何かしら朝からソワソワという感じでしたけれど。
そんな人間の思いなど関係ないかのように天候はまるで冬に逆戻りしたかのように昨日より更に冷え込んだようです。
桜も咲き始め、鶯も鳴こうかという頃のこの寒の戻り、なんともおかしなものではありますね。
そんな元号、新しく「令和」と名づけられましたね。
聞いた途端、ああ、なんだか清々しくて良いなぁと感じました。
平成の時も最初のうちは違和感がありましたが、この度もそのうちに慣れ親しんでいくのではと思います。
和は昭和でも使われておりましたが、和を以って貴しと為すと、かの聖徳太子が制定した十七条憲法の中の第一条にも出てくるようですが、そんな
お堅いことを言わずとも;どことなく和む意味合いが込められているように感じます。
令は、これは発表時に説明がありましたが、令月から取られているとか。
初春の良き月に・・・ということらしいですね。
このあたりは既に皆様の方がよくご存じかと思いますし、あえて説明は致しません。
いずれにしても心機一転、この平成最後のひと月を心置きなく過ごし、新しい元号へ馴染んでいけるようにしたいものです。
そんな日の朝もいつも通りに祝詞奏上させて頂きました。
このところ言葉を受け取らせて頂くのは大國主大神が多いように感じます。
尚、この言葉を受け取ったのは元号発表の前でした。
大神
“ 新しい元号に替わるということの意味が分かるか
この世は常に移ろうておる
人の心とて同じこと
その中で この国に生きる人々にとり
新しい息吹を伝えるためじゃ
何がしか停滞しておる思いがあれば それらを一掃し
新たな望みを持つためでもある
次の代の風を吹き込むが良い ”
背後に龍の気配
テラとは違う
柔らかいような大らかなような女性性を感じさせる龍
包容力のある龍
このような言葉でした。
天皇、神道では「すめらみこと」とお呼び致しておりますが、この天皇が代替わりなさいます時にこの元号も当然新しくなるものですね。
(以前はそうでなかった時もあるようですが)
その元号の意味は大神からはこのように説明を受けたようでした。
ただし誤解をして頂きたくないのは決して今上天皇の今の御代にて停滞した思い等が滞っておるということではなく、今まで以上に新しい風
息吹を吹き込むためであると言われたのでした。
これまでとは受け取る言葉の内容に異質なものを感じた方もおられるかもしれませんが、自分自身はあくまで神道の中の神主としての立場が
あります。
その観点からもこれらの言葉を受け取ったとしても何ら不都合も無いものと考えております。
そこのところはご承知おき願いたく存じます。
ともあれそのような言葉を受け取りながらも奉幣を振る背後では、いつもとは違う感じの龍がそこへ居るように感じておりました。
どこかしら鴇色の龍、トキのようでもありましたが、それもまた違うようでした。
柔らかい波動を感じさせる、包み込むようなオーラを思わせるような、そんな感じの龍です。
どちらかと言えばたおやかな女性性を思わせます。
これって、もしかして次代を象徴するような龍なのかしら?そんな風にも感じておりました。
そんな事を感じつつその後の元号の発表を聞き、なんとなく今回の言葉の意味合い、またこの龍にも今一度思いを致しておりました。
自分でそうと思っただけですし、感じた龍が関連しておるわけでもありません。
それでも何とはなしにこの元号との親和性のようなものを覚えた自分でした。
そんな自分の思い云々よりも;。
先日の出雲の続きを書いて参りましょう。
というより書かないと自分が忘れてしまいそうです;。(笑)
勢溜(せいだまり)と呼ばれる参道を今回は入り口に当たる鳥居に向かって歩いて行きます。
本来なら当然鳥居を潜って参拝致すのですから逆になります。
しばらく歩くと祓戸大神が祀られております祓社が見えてきます。
参道を歩いてお参りする際には此方でまずご自身を祓い清めて頂くことになっております。
祓戸大神は四柱おられまして瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬし
のかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)となっております。(お名前は出雲大社のHPに準ずる)
この中で瀬織津比咩神は大祓詞という祝詞には出てきておられましたが、長らく歴史上からはその名前が消されていた神様でもあります。
出雲大社では遷宮の少し前位からこの神様が今一度認識され始め、その後にこのようにして祓戸大神の中の一柱として取り入れられたようです。
この間の経緯はまたそれだけで長い話となりますので、次の機会に譲りたいと思います。
そんな祓社の前では小学生さんくらいでしょうか、そんなお子さん連れのお父さんが目を閉じて静かに祈っておられました。
お子さんがこのお社について尋ねるのを分かりやすいように説明しておられました。
お社があっても中には素通りされる方も多い中、なんだか嬉しく思えたことでした。
春休みでもあり、このような親子さんのお姿も多く見受けられました。
その先には出店というのでしょうか、屋台が並んでおり、ここでご一緒した信者さんはお箸を買い求めておられました。
聞けば日中は自宅の居間にいる柴犬クンが皆さんのお箸をガジガジに噛んで駄目にしたのだとか;。
ちょうど先ほど見てきたような可愛いウサギ柄のお箸をご家族分買われていたようです。
自分は買いませんでしたが、境内で売られていたのならその場のパワーもお箸と共に持ち帰れたかもしれない、いやこれは惜しいことをした;と
後悔したのでした。(笑)
此処で境内から出ていわゆる門前通りとでも言える神門通りというお店が多く並んだ通りがあります。
此処も遷宮前までは殆どお店らしいお店はなく、相当に鄙びた感じの通りでした。
けれど遷宮を前に多くのお店を招致することにより賑わいを齎すようになって来ております。
そうそう大社の前にはあのスタバもお店を構えております、それも辺りの景観に配慮し和風というのか日本家屋を模した造りとなっているようで
なかなか面白いものですよ。
他にもお土産屋さんも多くあり、この辺りから松江に掛けて多く出土したとされる勾玉等にあやかってなのか石屋さんも結構あるようです。
めのうがこの辺りで採れるのか或いは採れていたという過去形なのか、いずれにしてもそのような物を使ったアクセサリーやらも沢山ありました。
自分も遷宮の折にはそんなお店で小さな何かの原石を買い求めましたが、何年かぶりで覗いてみると価格はどうやら観光地のそれとなっておる
ようで以前よりも高めの設定となっていたようでした;。
結局は見るだけ見て何も買わずにおりました。
そうこうするうちにいい加減お腹も空いてきます。
信者さん親子はどうも朝はいつも召し上がらないとかで;今日のように早い日は尚更空腹であるに相違ありません。
美味しいと評判の蕎麦屋さんは今日は定休日、歩き疲れてもいるし、すぐそばにあったお蕎麦屋さんへ入ってみることにしました。
時間もちょうどお昼時、ウィークデイにも関わらず店内は満席でした。
失礼ですが;こういうところのお店だし、お味はどうだろうね;と思っておりましたが。
私と奥様はこの辺りの名物という珍しいいわ海苔が掛かったというお蕎麦を、息子さんはこれも名物の割り子蕎麦をそれぞれ注文致しました。
此処まで結構身体も冷えており、女性二人は温かいものを、彼だけはそのままのお蕎麦でした。
自分達が食したいわ海苔の掛かったお蕎麦ですがてんこ盛りに海苔が掛かっております。
けれど大抵それは写真だけ、というのがお約束;みたいなものですが出てきた実物は写真と同様であり、誠実なお店だなと感じられました。
この海苔、確か十六島と書いてうっぷるいと読ませる場所でしか取れない希少な海苔であったかと思います。
これまで彼方此方のお蕎麦屋さんで食しましたが、この海苔が掛かったものはこのお店が初めてでした。
神門通りの大社に一番近い場所にあるお蕎麦屋さん、お名前を忘れてしまいましたが;(おバカ;;)いらっしゃることがあればお越しになって
みて下さい、大きなお店ではありませんが美味しいお蕎麦が食べられますよ。
(で、肝心の写真を撮り忘れております;どこまでも使えませんな、このオバサン;;)
すみません、出雲の続きはまだまだあるのですが、今夜もいい加減長くなったようです;。
そんな訳で今夜はこの辺りとさせて下さいませ。
そろそろ完結させたいと思っております、はい;。
寒くなったこの冬を此処で挽回しようとしるかのように寒さが戻ってきておりますね。
明朝はまだ冷え込むとかで広島の予想最低気温は4度。
まるで冬です;。
灯油もいらないだろうと考えておりましたが、今日もう一缶購入しました。
来週辺りには例年並みの陽気になるのでしょうか。
まだまだ油断ならない季節ですが、どうぞ皆様体調管理にはお気をつけ下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は4月1日、新しい元号が発表される日とあって何かしら朝からソワソワという感じでしたけれど。
そんな人間の思いなど関係ないかのように天候はまるで冬に逆戻りしたかのように昨日より更に冷え込んだようです。
桜も咲き始め、鶯も鳴こうかという頃のこの寒の戻り、なんともおかしなものではありますね。
そんな元号、新しく「令和」と名づけられましたね。
聞いた途端、ああ、なんだか清々しくて良いなぁと感じました。
平成の時も最初のうちは違和感がありましたが、この度もそのうちに慣れ親しんでいくのではと思います。
和は昭和でも使われておりましたが、和を以って貴しと為すと、かの聖徳太子が制定した十七条憲法の中の第一条にも出てくるようですが、そんな
お堅いことを言わずとも;どことなく和む意味合いが込められているように感じます。
令は、これは発表時に説明がありましたが、令月から取られているとか。
初春の良き月に・・・ということらしいですね。
このあたりは既に皆様の方がよくご存じかと思いますし、あえて説明は致しません。
いずれにしても心機一転、この平成最後のひと月を心置きなく過ごし、新しい元号へ馴染んでいけるようにしたいものです。
そんな日の朝もいつも通りに祝詞奏上させて頂きました。
このところ言葉を受け取らせて頂くのは大國主大神が多いように感じます。
尚、この言葉を受け取ったのは元号発表の前でした。
大神
“ 新しい元号に替わるということの意味が分かるか
この世は常に移ろうておる
人の心とて同じこと
その中で この国に生きる人々にとり
新しい息吹を伝えるためじゃ
何がしか停滞しておる思いがあれば それらを一掃し
新たな望みを持つためでもある
次の代の風を吹き込むが良い ”
背後に龍の気配
テラとは違う
柔らかいような大らかなような女性性を感じさせる龍
包容力のある龍
このような言葉でした。
天皇、神道では「すめらみこと」とお呼び致しておりますが、この天皇が代替わりなさいます時にこの元号も当然新しくなるものですね。
(以前はそうでなかった時もあるようですが)
その元号の意味は大神からはこのように説明を受けたようでした。
ただし誤解をして頂きたくないのは決して今上天皇の今の御代にて停滞した思い等が滞っておるということではなく、今まで以上に新しい風
息吹を吹き込むためであると言われたのでした。
これまでとは受け取る言葉の内容に異質なものを感じた方もおられるかもしれませんが、自分自身はあくまで神道の中の神主としての立場が
あります。
その観点からもこれらの言葉を受け取ったとしても何ら不都合も無いものと考えております。
そこのところはご承知おき願いたく存じます。
ともあれそのような言葉を受け取りながらも奉幣を振る背後では、いつもとは違う感じの龍がそこへ居るように感じておりました。
どこかしら鴇色の龍、トキのようでもありましたが、それもまた違うようでした。
柔らかい波動を感じさせる、包み込むようなオーラを思わせるような、そんな感じの龍です。
どちらかと言えばたおやかな女性性を思わせます。
これって、もしかして次代を象徴するような龍なのかしら?そんな風にも感じておりました。
そんな事を感じつつその後の元号の発表を聞き、なんとなく今回の言葉の意味合い、またこの龍にも今一度思いを致しておりました。
自分でそうと思っただけですし、感じた龍が関連しておるわけでもありません。
それでも何とはなしにこの元号との親和性のようなものを覚えた自分でした。
そんな自分の思い云々よりも;。
先日の出雲の続きを書いて参りましょう。
というより書かないと自分が忘れてしまいそうです;。(笑)
勢溜(せいだまり)と呼ばれる参道を今回は入り口に当たる鳥居に向かって歩いて行きます。
本来なら当然鳥居を潜って参拝致すのですから逆になります。
しばらく歩くと祓戸大神が祀られております祓社が見えてきます。
参道を歩いてお参りする際には此方でまずご自身を祓い清めて頂くことになっております。
祓戸大神は四柱おられまして瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬし
のかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)となっております。(お名前は出雲大社のHPに準ずる)
この中で瀬織津比咩神は大祓詞という祝詞には出てきておられましたが、長らく歴史上からはその名前が消されていた神様でもあります。
出雲大社では遷宮の少し前位からこの神様が今一度認識され始め、その後にこのようにして祓戸大神の中の一柱として取り入れられたようです。
この間の経緯はまたそれだけで長い話となりますので、次の機会に譲りたいと思います。
そんな祓社の前では小学生さんくらいでしょうか、そんなお子さん連れのお父さんが目を閉じて静かに祈っておられました。
お子さんがこのお社について尋ねるのを分かりやすいように説明しておられました。
お社があっても中には素通りされる方も多い中、なんだか嬉しく思えたことでした。
春休みでもあり、このような親子さんのお姿も多く見受けられました。
その先には出店というのでしょうか、屋台が並んでおり、ここでご一緒した信者さんはお箸を買い求めておられました。
聞けば日中は自宅の居間にいる柴犬クンが皆さんのお箸をガジガジに噛んで駄目にしたのだとか;。
ちょうど先ほど見てきたような可愛いウサギ柄のお箸をご家族分買われていたようです。
自分は買いませんでしたが、境内で売られていたのならその場のパワーもお箸と共に持ち帰れたかもしれない、いやこれは惜しいことをした;と
後悔したのでした。(笑)
此処で境内から出ていわゆる門前通りとでも言える神門通りというお店が多く並んだ通りがあります。
此処も遷宮前までは殆どお店らしいお店はなく、相当に鄙びた感じの通りでした。
けれど遷宮を前に多くのお店を招致することにより賑わいを齎すようになって来ております。
そうそう大社の前にはあのスタバもお店を構えております、それも辺りの景観に配慮し和風というのか日本家屋を模した造りとなっているようで
なかなか面白いものですよ。
他にもお土産屋さんも多くあり、この辺りから松江に掛けて多く出土したとされる勾玉等にあやかってなのか石屋さんも結構あるようです。
めのうがこの辺りで採れるのか或いは採れていたという過去形なのか、いずれにしてもそのような物を使ったアクセサリーやらも沢山ありました。
自分も遷宮の折にはそんなお店で小さな何かの原石を買い求めましたが、何年かぶりで覗いてみると価格はどうやら観光地のそれとなっておる
ようで以前よりも高めの設定となっていたようでした;。
結局は見るだけ見て何も買わずにおりました。
そうこうするうちにいい加減お腹も空いてきます。
信者さん親子はどうも朝はいつも召し上がらないとかで;今日のように早い日は尚更空腹であるに相違ありません。
美味しいと評判の蕎麦屋さんは今日は定休日、歩き疲れてもいるし、すぐそばにあったお蕎麦屋さんへ入ってみることにしました。
時間もちょうどお昼時、ウィークデイにも関わらず店内は満席でした。
失礼ですが;こういうところのお店だし、お味はどうだろうね;と思っておりましたが。
私と奥様はこの辺りの名物という珍しいいわ海苔が掛かったというお蕎麦を、息子さんはこれも名物の割り子蕎麦をそれぞれ注文致しました。
此処まで結構身体も冷えており、女性二人は温かいものを、彼だけはそのままのお蕎麦でした。
自分達が食したいわ海苔の掛かったお蕎麦ですがてんこ盛りに海苔が掛かっております。
けれど大抵それは写真だけ、というのがお約束;みたいなものですが出てきた実物は写真と同様であり、誠実なお店だなと感じられました。
この海苔、確か十六島と書いてうっぷるいと読ませる場所でしか取れない希少な海苔であったかと思います。
これまで彼方此方のお蕎麦屋さんで食しましたが、この海苔が掛かったものはこのお店が初めてでした。
神門通りの大社に一番近い場所にあるお蕎麦屋さん、お名前を忘れてしまいましたが;(おバカ;;)いらっしゃることがあればお越しになって
みて下さい、大きなお店ではありませんが美味しいお蕎麦が食べられますよ。
(で、肝心の写真を撮り忘れております;どこまでも使えませんな、このオバサン;;)
すみません、出雲の続きはまだまだあるのですが、今夜もいい加減長くなったようです;。
そんな訳で今夜はこの辺りとさせて下さいませ。
そろそろ完結させたいと思っております、はい;。
寒くなったこの冬を此処で挽回しようとしるかのように寒さが戻ってきておりますね。
明朝はまだ冷え込むとかで広島の予想最低気温は4度。
まるで冬です;。
灯油もいらないだろうと考えておりましたが、今日もう一缶購入しました。
来週辺りには例年並みの陽気になるのでしょうか。
まだまだ油断ならない季節ですが、どうぞ皆様体調管理にはお気をつけ下さいね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。