こんばんは。
朝から曇っており、今日は降るかもしれないと期待しておりました。
雨の多い地域の方には申し訳ないですけれど、中国地方自体がまだ梅雨入りしておらず水不足が懸念されております。
そのようなことからも少しでも降ってくれればと思うところですね。
そんな日ではありましたが、昨夜は遅くに山の端から昇ってくる月が見えておりました。
今朝はいつものように祝詞奏上させて頂きました。
お供にしたのは瀬織津比売の香りでした。
瀬織津比売
“ あなたにとり 心休まらぬ声を聞く時
どのように感じるでしょう
何故目の前で心無い言葉を聞いていると思うのでしょうか
その言葉にどう反応してしまうのか
自己を見つめ直す時だからです
何も関係ないと思えば
人々がどのようにあなたを言おうとも
気にすることは ありません
私のいるせせらぎのように
全てを水に流し
心地良い瀬音に 耳を傾けて下さい
いつしか心は穏やかとなり
穢れも祓われているはずです ”
このような言葉でした。
親しくしたいと思っている仲間から心無い言葉を掛けられたり、自分だけ除け者にされたりと感じる時、その言葉を聴くだけで心臓の鼓動が
早まり、その場から逃げ出したくなることがあるかもしれません。
何故自分が、どうして自分だけと感じるかもしれませんね。
そのような時はどうするのか。
此処でいわれているように出来ればそれが何より一番良いことだと感じます。
そこへ身を置くのではなく、そこから離れ自然の中に自分を置いてみることが出来るなら、それが一番なのではと感じます。
これもまた言われているように川のせせらぎの聞こえる場所で、その音に耳を澄ませることで自分の中に溜まったそれらの雑音も洗い流して
もらえたならばと感じます。
言うは易く行うは難し、そう感じたりもしますが瀬織津比売が坐すといわれる川のほとりへ行くだけでも、どこか心洗われる思いがするかも
しれません。
お待たせ?しております大朝で訪れた神社の続きに参りたいと思います。
いい加減書いておかないと自分自身が忘れてしまいそうです;。(笑)
さて最初の富士神社を訪れて次に向かったのは少し離れたところにある八栄神社という処でした。
此処には大きなヒノキがあり、それが県下でも有数の大きさを誇るこのだそうで広島県の天然記念物に指定されているそうです。
かなり以前にこの神社の前を別の仕事で来た際に通ったことはあったのですが、先の神社同様かなりの階段を登った処にありますので、上までは
参拝しておりませんでした。
ですのでこの度訪れてみたいと思っていた神社でもありました。
大朝という地域にて今回神社を巡るのはこれで二社目となりますが、そのいずれもが似たような造りに感じられました。
建物の建て方そのものがよく似ていることもあるのかもしれません。
時代的にも似通った頃に創建されたのでしょうか。
またこの地域は割りと狭い(といっても結構ありますけれど;)ところへ不釣合いなほど(と言うとこれまた失礼ですけれど;)神社の数その
ものが多くあるように感じられました。
大朝という場所の歴史を全く存じませんので、もしかするとそのことにも関係あるのかもしれません。
これほどに多いということからもその昔はそれなりに人が多く住まっていたという証拠かもしれないとも感じました。
いずれにしてもこの八栄神社の急な階段を登っていく途中に大きなケヤキがありました。
そのケヤキを見て、まだ続く階段を登りきり、社殿に向かいました。
先の富士神社では扉は閉められておりましたが、此方では開け放たれて中の様子がしっかりと見て取れました。
おそらく毎日どなたかがお世話なさっておられるのでしょうね。
先ほどと同じく空には雲が湧くように見えており、此処ももしかするとこの社を守る龍が上空から様子を見ていたのかもしれません。
ただし此方のご祭神はどの神であられるのかは分かりませんでした。
続いて最後に訪れたのは四、五年程前に息子とその友人君で一度参拝したことのある神社でした。
それ以前に何かの本でこの神社自体がとても風水的に良い場所と紹介されていたのを読み、是非とも一度訪ねてみたいと考えていた事からでした。
その最初の参拝の折に社の前まで行くと不意に此処は夢で見た景色そのままだと思い出しました。
自分が居る位置も息子らの会話も周りの景色も何もかもが全て同じでした。
そのような経験からも、せっかくこの大朝まで来たのだからもう一度訪ねてみたいと思ったことのもあります。
この神社はこれまでの二社とは違い、平地へ建てられております。
おそらくその昔は無かったであろう結構広い道を行くと石の鳥居が姿を現します。
その鳥居を二百メートル程行った先にその神社、「天磐門別神社」が鎮座しておられました。
社の前には川が流れ、せせらぎの音が耳に心地良い場所です。
先ほどまで曇っていた空も此処まで来るうちにいつしか晴れてきておりました。
ご神前にて手を合わせると
「おお、よう来たのぉ
そなた いつの頃かこの辺りに住もうておったのではないのか
覚えあろう」
と声を掛けられたようでした。
確かに鳥のさえずりが聞こえ、気持ちよくそよぐ風やせせらぎの音にいつまでも此処でこうしていたいと感じる思いがしておりました。
周りに民家は点在しており、人もおられるはずですけれど人の気配は無く、道を通る車すら見当たりません。
まるで時代を遡ったかのような光景です。
天磐門別、この名前が果たして何を指しておるのか、此方のご祭神も先の八栄神社同様分からぬこととて知りようもないのですけれど何かしら
これまでの神社とは違うものを感じておりました。
あと二、三キロも走らぬうちに隣の島根県に行ける程の距離に位置するところ、果たしてその昔はどのようなお役目を果たしておられたのか
そんなことも感じておりました。
(失礼ながら;格子の間から撮らせて頂きました
しっかりと祀られておりました)
この時点で午後三時半過ぎ。
もう少し居たいなぁと感じつつも借りた車を返すならばそろそろ広島市内へ向けて戻らねば遅くなるよねと思い、神社の神様にまたいつか
参らせて頂きますと今一度ご挨拶申し上げ、そこを後にしました。
これから先はひたすら走って帰るだけです。
来た時と同様、下道で戻ります。
高速を使えば一時間弱位でしょうか、けれどそこまでせずともと思っておりましたし、途中はそれほど信号もなく通る車も知れたものと考え
ひたすら走って帰ります。
来しな同様、これもまた不思議と思う以上に道中が速く感じられました。
実際に市内まで戻ると(といっても安佐南区というところですけれど)此処までを一時間で帰ってきておりました。
え~、こんなことってあるのかなと思いながらも距離的には60キロ程度のようですし、そんなものだったのかもしれません。
いずれにしてもいつも行くガソリンスタンドで給油をし、多少の買い物を済ませて車を返しに行きました。
これもいつものことながらバスにて帰路に着くわけですが、そのバスの時間までまだ少しあるなと思い、その近くの三篠神社さんに立ち寄り
今日の締めのご挨拶?に参りました。
“ よう行って参ったの
大儀であった ”
此方に坐す大国主大神にそうお声を掛けて頂いたようでした。
とても楽しく面白い、そう感じた一日でした。
やっとでこの一日のことを書き上げました。
僅か一日のことがここまでになってしまい大変失礼致しました。
最近はまるで引き篭もりの如く;出掛けるということ自体がまるで大事(おおごと)になってしまっておりますので、少しこうしてお出掛けする
ことが楽しい思いがしておるところです。
これに懲りずにまた出掛けて参りたいと思います。
午前中ザァッと降る時があり、その後も少しだけ雨が落ちましたが十分と居えるほどにはありませんでした。
来週にはもう少し雨も期待できるかもしれません。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝から曇っており、今日は降るかもしれないと期待しておりました。
雨の多い地域の方には申し訳ないですけれど、中国地方自体がまだ梅雨入りしておらず水不足が懸念されております。
そのようなことからも少しでも降ってくれればと思うところですね。
そんな日ではありましたが、昨夜は遅くに山の端から昇ってくる月が見えておりました。
今朝はいつものように祝詞奏上させて頂きました。
お供にしたのは瀬織津比売の香りでした。
瀬織津比売
“ あなたにとり 心休まらぬ声を聞く時
どのように感じるでしょう
何故目の前で心無い言葉を聞いていると思うのでしょうか
その言葉にどう反応してしまうのか
自己を見つめ直す時だからです
何も関係ないと思えば
人々がどのようにあなたを言おうとも
気にすることは ありません
私のいるせせらぎのように
全てを水に流し
心地良い瀬音に 耳を傾けて下さい
いつしか心は穏やかとなり
穢れも祓われているはずです ”
このような言葉でした。
親しくしたいと思っている仲間から心無い言葉を掛けられたり、自分だけ除け者にされたりと感じる時、その言葉を聴くだけで心臓の鼓動が
早まり、その場から逃げ出したくなることがあるかもしれません。
何故自分が、どうして自分だけと感じるかもしれませんね。
そのような時はどうするのか。
此処でいわれているように出来ればそれが何より一番良いことだと感じます。
そこへ身を置くのではなく、そこから離れ自然の中に自分を置いてみることが出来るなら、それが一番なのではと感じます。
これもまた言われているように川のせせらぎの聞こえる場所で、その音に耳を澄ませることで自分の中に溜まったそれらの雑音も洗い流して
もらえたならばと感じます。
言うは易く行うは難し、そう感じたりもしますが瀬織津比売が坐すといわれる川のほとりへ行くだけでも、どこか心洗われる思いがするかも
しれません。
お待たせ?しております大朝で訪れた神社の続きに参りたいと思います。
いい加減書いておかないと自分自身が忘れてしまいそうです;。(笑)
さて最初の富士神社を訪れて次に向かったのは少し離れたところにある八栄神社という処でした。
此処には大きなヒノキがあり、それが県下でも有数の大きさを誇るこのだそうで広島県の天然記念物に指定されているそうです。
かなり以前にこの神社の前を別の仕事で来た際に通ったことはあったのですが、先の神社同様かなりの階段を登った処にありますので、上までは
参拝しておりませんでした。
ですのでこの度訪れてみたいと思っていた神社でもありました。
大朝という地域にて今回神社を巡るのはこれで二社目となりますが、そのいずれもが似たような造りに感じられました。
建物の建て方そのものがよく似ていることもあるのかもしれません。
時代的にも似通った頃に創建されたのでしょうか。
またこの地域は割りと狭い(といっても結構ありますけれど;)ところへ不釣合いなほど(と言うとこれまた失礼ですけれど;)神社の数その
ものが多くあるように感じられました。
大朝という場所の歴史を全く存じませんので、もしかするとそのことにも関係あるのかもしれません。
これほどに多いということからもその昔はそれなりに人が多く住まっていたという証拠かもしれないとも感じました。
いずれにしてもこの八栄神社の急な階段を登っていく途中に大きなケヤキがありました。
そのケヤキを見て、まだ続く階段を登りきり、社殿に向かいました。
先の富士神社では扉は閉められておりましたが、此方では開け放たれて中の様子がしっかりと見て取れました。
おそらく毎日どなたかがお世話なさっておられるのでしょうね。
先ほどと同じく空には雲が湧くように見えており、此処ももしかするとこの社を守る龍が上空から様子を見ていたのかもしれません。
ただし此方のご祭神はどの神であられるのかは分かりませんでした。
続いて最後に訪れたのは四、五年程前に息子とその友人君で一度参拝したことのある神社でした。
それ以前に何かの本でこの神社自体がとても風水的に良い場所と紹介されていたのを読み、是非とも一度訪ねてみたいと考えていた事からでした。
その最初の参拝の折に社の前まで行くと不意に此処は夢で見た景色そのままだと思い出しました。
自分が居る位置も息子らの会話も周りの景色も何もかもが全て同じでした。
そのような経験からも、せっかくこの大朝まで来たのだからもう一度訪ねてみたいと思ったことのもあります。
この神社はこれまでの二社とは違い、平地へ建てられております。
おそらくその昔は無かったであろう結構広い道を行くと石の鳥居が姿を現します。
その鳥居を二百メートル程行った先にその神社、「天磐門別神社」が鎮座しておられました。
社の前には川が流れ、せせらぎの音が耳に心地良い場所です。
先ほどまで曇っていた空も此処まで来るうちにいつしか晴れてきておりました。
ご神前にて手を合わせると
「おお、よう来たのぉ
そなた いつの頃かこの辺りに住もうておったのではないのか
覚えあろう」
と声を掛けられたようでした。
確かに鳥のさえずりが聞こえ、気持ちよくそよぐ風やせせらぎの音にいつまでも此処でこうしていたいと感じる思いがしておりました。
周りに民家は点在しており、人もおられるはずですけれど人の気配は無く、道を通る車すら見当たりません。
まるで時代を遡ったかのような光景です。
天磐門別、この名前が果たして何を指しておるのか、此方のご祭神も先の八栄神社同様分からぬこととて知りようもないのですけれど何かしら
これまでの神社とは違うものを感じておりました。
あと二、三キロも走らぬうちに隣の島根県に行ける程の距離に位置するところ、果たしてその昔はどのようなお役目を果たしておられたのか
そんなことも感じておりました。
(失礼ながら;格子の間から撮らせて頂きました
しっかりと祀られておりました)
この時点で午後三時半過ぎ。
もう少し居たいなぁと感じつつも借りた車を返すならばそろそろ広島市内へ向けて戻らねば遅くなるよねと思い、神社の神様にまたいつか
参らせて頂きますと今一度ご挨拶申し上げ、そこを後にしました。
これから先はひたすら走って帰るだけです。
来た時と同様、下道で戻ります。
高速を使えば一時間弱位でしょうか、けれどそこまでせずともと思っておりましたし、途中はそれほど信号もなく通る車も知れたものと考え
ひたすら走って帰ります。
来しな同様、これもまた不思議と思う以上に道中が速く感じられました。
実際に市内まで戻ると(といっても安佐南区というところですけれど)此処までを一時間で帰ってきておりました。
え~、こんなことってあるのかなと思いながらも距離的には60キロ程度のようですし、そんなものだったのかもしれません。
いずれにしてもいつも行くガソリンスタンドで給油をし、多少の買い物を済ませて車を返しに行きました。
これもいつものことながらバスにて帰路に着くわけですが、そのバスの時間までまだ少しあるなと思い、その近くの三篠神社さんに立ち寄り
今日の締めのご挨拶?に参りました。
“ よう行って参ったの
大儀であった ”
此方に坐す大国主大神にそうお声を掛けて頂いたようでした。
とても楽しく面白い、そう感じた一日でした。
やっとでこの一日のことを書き上げました。
僅か一日のことがここまでになってしまい大変失礼致しました。
最近はまるで引き篭もりの如く;出掛けるということ自体がまるで大事(おおごと)になってしまっておりますので、少しこうしてお出掛けする
ことが楽しい思いがしておるところです。
これに懲りずにまた出掛けて参りたいと思います。
午前中ザァッと降る時があり、その後も少しだけ雨が落ちましたが十分と居えるほどにはありませんでした。
来週にはもう少し雨も期待できるかもしれません。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。