日々徒然なるままに

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プレイアデスの言葉  さて出雲行きの話の始まりです part3

2020-08-11 19:08:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今朝は台風5号の影響かまたどんよりとした空から始まりました。
ただし言われていたように雨はなかったかと思います。
昨夜はムシムシしていましたが、その後は湿度は高いものの言われるほどの暑さは感じられませんでした。



                              



                                 



                                 



                               




                              
(雲の様が面白くて どこかワニがガァッと口開けてるように見えませんか?)



お天気が悪いと面白い空の感じも撮れないので、写真もありません;。
出すとすれば以前撮っていたものですかね。
全国ではかなりの気温上昇があったらしいですが、当地はそのようなことはなく、いつもなら午後からはエアコンを入れるのですが、それも
せずとも済むくらいでした。(室内に置いてはですが;)
全くという程夏らしくない日が続きます。
野菜や稲が育つんだろうか、そんなことすら思うこのところです。
実際胡瓜などはいつもの年なら4,5本入って百数十円ほどのものが今年は1本だけで数十円するほどです。
おちおちポリポリと胡瓜を齧ることもままならない、そんな感じですね。
梅雨も長く、やっと明けたと思うとまたどんよりとしたお天気続き。
夏を忘れたかのようのお盆前となっておるところです。



                             
 (悔しいので昨日の空 笑; こんなに良いお天気だったのにな)



今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はプレイアデスの香りをつけて致しました。


 プレイアデス

 〝 今を楽しんでください

  これからあなたがやりたい したいことをしてください

  だからといって それをすることで周りが困ることではなく

  あなたがすることで 周りが同じように楽しく 笑えることをしてください

  人にあなたを制限されるのではなく

  思うままにあなたを表現できる

  そんな世界を作っていってください

  扉は既に開いています  〟


このような言葉でした。
今の若い世代には受け入れられやすい内容に思えます。
しかしある一定の年代から上の方などは、なに勝手なこと言ってるんだとこの内容そのものにお叱りを受けるようにも感じます。
人生とはしんどい思いをしてなんぼのもの、苦労せずしてどうする、そう考え、現にそう実行してきた方も少なくないと思います。
けれど本当にそうかなぁと最近自分は考えるようになりました。
苦労ということ自体、自分がそのことを好んで自ら進んでした分には、そこにはしんどさも辛さも感じないかもしれません。
但しそれ自体を人がしないから自分が率先して敢えてそれをしたというのとは、また違うかと思います。
これしたい!そう思った時、そのこと自体に付随するしんどさは、傍から見ればよくあんな面倒くさいことするよねと見られていたとしても
やっている当の本人はそれは苦痛でもなんでもなく、それをすることが興味があるからやっているだけ、そんな感じなのではと思うのです。
つまりは人にあなたはこうしなさい、次はこうしなさいと強制されてすることではなく、自分がそれをしたいからする、そういうことではと
感じます。
宇宙の子マサさんという方、彼は世界の海、とりわけバリなどへ自らが出向いて行かれてそこで海に浮かぶゴミなどを清掃しておられます。
(今は新型コロナの影響で日本に帰国しておられます)
これなども誰かに言われたからそこへ赴いたのではなく、彼自身がこの海を綺麗にしたいという思いに突き動かされてそのように活動して
おられる訳です。
これが強制されたものならば、彼が行っている活動も此処まで世間に知られることはなかったのではと感じます。
自分の内側から沸き起こる思い、それを行動に移すこと、移せる世界にすること、それがこれからの真の在り方になっていくのではと思います。
そんな世界が広がりますよう、そう願う思いです。



                            
                             (これも昨日の空 写真がなくってすみません;)



はい、長い間お待たせ致しました。(こればっかり;)
昨日の出雲のお話の続きでございます。
長くかかってすみませんですね;。

さて二人してお昼も食べて、もう一度神楽殿の前まで戻ります。
此処の受付で、今日は事前に教務本庁へ参ることを申し伝えておりませんでしたが、これからでも御祈祷お願い出来ますでしょうかと
尋ねてみました。
平日とは言え普段なら結構参拝の方もおられるのですが、なんせこの御時勢;。
すんなりと、よろしいですよ、空いてますしねとのことでした。
当然と言えば当然なくらい人の少ない境内です、御祈祷の内容を書き終えるとそのまま直ぐに殿内へと案内されました。
ちなみに私は神恩感謝、息子は心願成就でお願い致しました。
二百畳であったかの大広間、その昔此処を建立されて後、主人はこの畳をぬか袋で大勢の方々と共に磨いたと話しておりました。
拭きごたえはあったかと思いますよね。
そんなことをチラリと思い出しながら、御神前まで進みます。
以前は、これも話ましたがその畳に正座で座り御祈祷を受けておりました。
いつの頃からか、二、三列目までは胡床(こしょう)という和式の椅子が据えられております。
さすがに近頃は正座出来る方も少なくなり、また若い方に限らずお年を召せば今度は逆に膝が痛くなると言われる方も増えたのでしょう。
時間にすれば三十分ほどの御祈祷の時間ですが、その時間を足を痺れさせながらお参り頂くよりもはるかに理に適っておりますしね。
そんな訳で胡床に座って待っておりますと自分達だけかと思いましたが、どうやらもう一組お越しになったようでした。
チラリと視界に入ったお一方の足元が素足のまま;。
え?大丈夫なん;?そう感じましたが、そういうことも最近はあまり注意されなくなったのでしょうか。
もっともその日の息子のいで立ちはと言えば、お世辞にもまともとは言い難い風の、言うなれば何処かヤクザな感じのトラ柄(;;)のシャツ。
ひと様のことは言えまいて;そう感じていた母ちゃんでした。(笑)
こうして御祈祷して頂く自分達が揃って、ややしたところで神職や巫女らが入って来られました。
普段なら神職はお祓い役にもう一人おられるのですが、この人数ではどうも端折られたのか?(え?)祝詞を奏上する神職お一人がその役も
担っておられました。
太鼓と笛の音でお祭りが始まります。
この笛、自分も日々弊神殿で吹いておりますが、どうにも此処まで澄んだ高い音が出ません;。
やっぱり技量の差かしらねぇ;とその笛を聴きながら感じてもおりました。
ともあれ神職がお祓いをし、祝詞奏上となります。
頭を垂れながらその声を聴きつつ心の中では、今日はこうして来させて頂きまして本当に有難うございました、これからも宜しくお願い
致します、とそんなことを思っておりました。
そういえば、と此処でふと感じたのは、そうだうちの龍、テラはどうした?ということでした。
いきなり現実から非現実な話ですけどね;。
彼は出雲大社の御祭神、大國主大神から遣わされた龍です、そんなことから此の地へ参れば、殊にこの神楽殿に於いてはその姿はこの殿内
に入りきらぬほどの大きさとなり、天井近くに悠々と漂っているようでした。
テラも此処へ戻ると彼本来の姿に戻るのかもしれない、そんなことも感じながらの御祈祷でした。
その後は巫女さんによる巫女舞が行われ、最後は玉串拝礼となります。
これまでは御参拝された方殆ど全員にして頂いておりましたが(団体の時には代表者の方だけになります)最近はこれも簡素化したのか
今回は私と息子だけが呼ばれ、御神前にて玉串拝礼させて頂きました。
せっかくだからさせて差し上げればよいのに、と思うんですけどね;。
それでも久しぶりの神様の御前での拝礼、やはり身が引き締まる思いが致しました。
その後はほんの僅か、お神酒を頂戴して神楽殿を後にしました。
この後は御本殿まで参り、そちらにて今一度大神様への参拝となります。



                              



このお話、まだ続くんですけど、またもやもう少し続き、とさせて下さいませ。
なんせ、私が書けば長い;。
ま、今に始まったことではなし、出来るだけ覚えておりますことをお伝えさせて頂ければ、そう思うからですね。
その分、それほど有意義なこともないかもしれませんけども。(おいよ;)
もうしばし、お付き合い頂ければと存じます。



                            



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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