
島左近
イタリアセリエAのカリアリでそのキャリアをスタートさせる。主にユベントスで活躍し、リーグ・カップ制覇に続きチャンピオンズリーグ制覇も達成する。ヨーロッパサッカーの優勝請負人と言われるも日本では全く知名度は無く、オフシーズンは近所の子供達に野球を教えていた。そんな彼も盟友であるアレッサンドロ・デル・ピエロがユベントスを去ったのと同じくして最初のチームであるカリアリへ移籍。リーグ3位、カップ制覇を成し遂げサッカー人生に有終の美を飾っていた。
そして月日は流れ、2016年。

「スクイズはこうやってやるんですぜ」
日本にいた彼は近所の子供達に野球を教えていた。と、そこにある人物が現れた。

「やぁ島左近くんだね」

「あなたは…楽天の梨田監督じゃあないですか。なんの用です?」

「君はサッカーで優勝請負人として活躍したそうじゃあないか。楽天は田中のマー君がいなくなってからどうも調子が悪くてね。少年野球のコーチもやっているようだし、是非ウチでコーチをやってみないかい?」

「ちょっとまって下さい。俺はサッカーの人ですぜ。それにもう引退して身体も鈍っちまって足なんて特に動きませんぜ?」

「大丈夫!さぁ契約だ」

「まじで?」
こうして春の臨時コーチとして勝者のメンタリティを説明した。体力が衰えていたものの、やっぱりガタイが良くバットを握らせるとそれなりにパワーがあった為、こっそり選手契約に切り替えていた。
そして…

「いや…だから…」
2軍スタート。ここから再び彼の物語はスタートする。

試合に出ればやはり打つ。脚がなかなか動かない分、パワーで結果を出す日々が続き…

5月11日。ついに1軍へ昇格する。

マスコミに元セリエA選手が1軍昇格と報じられ、スーパールーキーと呼ばれるようになった島左近。

プロ入り初ホームランも記録。

かのオコエ選手とは年齢は離れてはいるものの同期である。オコエは左近の事を良く知らなかったが、オコエ選手の父はナイジェリア人であり、サッカーの事で島左近のことはよく知っているらしい。
しかし1年目は楽天は6位で終わる。左近といえば首位打者や新人王を獲得したのであった。そしてマイライフ特有の1年毎の契約更改。

1年目の年俸は1500万円。そこからどのくらい上がるのか。

5倍の7500万円に。やったぜ。
スーパールーキーと呼ばれた1年目。

打率.362 31本 79打点
これはスーパールーキーですわ。

「アレックスさん、俺は今何故か野球やってますぜ…」