虹の国へ-日々を楽しんだり嘆いたりしちゃったりして-

平成21年度3次隊青年海外協力隊として
南アフリカ共和国での活動記録

アパルトヘイト時代の教育

2011-04-06 13:42:36 | 南ア-情報-

さて、みなさん。
アパルトヘイトをご存知ですか。

南アを語る上で、決して避けて通れない人権問題。

忘れた方は、中学校もしくは高校の教科書を見てください。
最近の教科書は、ほとんどアパルトヘイトに関する記述がないらしいのですが‥。
それは、それで。

「アパルトヘイト=南アフリカの人種隔離政策」と
試験用に丸暗記した方も多いかと思います。

日本の社会科の授業では、これ以上深いことを教えません。
実際、私もそうでした。

アパルトヘイト(Apartheid)とは、
南ア白人たちの言語、アフリカーンス語で、「隔離」という意味。

南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を差別的に規定する人種隔離政策のことを指します。

アパルトヘイトについて(wikipediaより)

アパルトヘイト時代は、
南アフリカの負の時代と黒人たちが呼ぶように、
白人によって、黒人の人権が認められなかった時代です。

黒人たちは、居住地を限定され、
自分の居住地以外の場所に行く場合は、
たとえ国内移動でもパスポートの携帯を義務付けられていました。

今日は、そんな時代の南アフリカの教育の話。

白人政府は、1953年にバンツー教育法を制定しました。
(バンツーとは黒人という意味)

この法律は、
「低賃金で労働力を提供でき、白人優位を自然に受け入れられるような
黒人の子どもを育成すること」を実質的な目的として作られました。

そのため、
①理数科教育は、英語またはアフリカーンス語(白人言語)で教えられた。
②白人、インド人、カラード、黒人の各人種担当の機関が、
独自の教育系資格を付与し、学校設置基準をもっていた。
(予算は、あくまで白人の議会が握っていた。)

その結果、
理数科教育は、英語で教えることを求められたため、
子どもたちは、数学そのものより言語で苦しむ場面が多々見られた。
(これはいまも変わっていない気がします。)

また、黒人一人当たりに占める教育費の割合が、
白人のそれより10分の1程度に抑えられていた。

その後、アパルトヘイト時代が終わりをつげ、
南ア新政府は、1996年に、南ア学校法を設立して、
これらの教育的な差別を撤廃しました

差別は撤廃されたけれども、
約40年も続いた人種隔離政策の後遺症はすぐには消えません。

特に理数科教育は顕著で、
現在でも充分な資格や能力を持たずに学校にいる、
黒人理数科教員が大量に残ることになったわけです。

以下は、参考資料です。

日本の高校からの質問に答えます①先生の学歴

日本の高校からの質問に答えます②アパルトヘイト後の学力

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