戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年五月十五日 板垣退助日誌

2005年05月15日 | 板垣退助日誌
上野の彰義隊が新政府軍に敗れる。

この戦いでは土佐藩はその主力を板垣退助らがいる今市に派遣させており、実戦では
参加していない。
大総督府の軍監である江藤新平とともに土佐藩の小笠原唯八〔板垣退助の盟友〕は上野彰義隊の戦いを軍監としてその役割を果たす。

また、上野彰義隊の制圧作戦を練ったのが、板垣退助と戦う大鳥圭介と同じく適塾で学んだ長州藩の大村益次郎である。
日本の最先端の学問所で西洋の兵学を学んだ二人だが、好対照な結果を残している。