戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

板垣退助、日光東照宮参詣す  板垣退助こぼれ話

2005年05月09日 | 板垣退助こぼれ話
ある日、鳥取藩兵が日光にやってきて、草履ばきのまま祭壇に上がり、「ははぁ、これが賊の親玉の廟でごさるか。」
漫罵にみだりにののしると、それを知った板垣退助はこれは天朝の軍の誇りを傷つけるものだ、王師たるものこのような暴挙があってはならないと、
大いに憤慨し、ことさら諸隊を引き連れて東照宮の廟に参詣すると、僧に向かって、「自分は官軍参謀としてではなく、土佐藩士としてここに参つたのであるから、下臣拝謁
の礼をさせてもらひたい」と言ってきた。これには神前の神職や宿房の僧侶が大いに感激したという。
板垣退助が日光を占拠したあと鳥取藩は土佐藩と離れており、これは脚色があったかもしれないが板垣退助が日光における旧幕府の影響力を特に配慮したことは事実であり、
旧幕府の精神的な象徴ともいうべき、日光を押さえようとする政治家板垣退助の性質が見えてきそうである。