戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

あいにく、桜の季節ではないですが・・・

2005年04月11日 | 板垣退助日誌
幕末を訪れたオールコックは四月に日本の江戸でさいた桜の風景について書き残しています。

4月9日付・編集手帳 (読売新聞) - goo ニュース

オールコックがいう四月は現在の四月に相当しますが、当時の日本の暦では
三月半ばから四月はじめにあたります。
江戸城明け渡しとなった、慶応四年四月十一日は現在の暦では5/3とゴールデンウィークのまっさかりで花見シーズンは過ぎています。
このころの板垣退助ら迅衝隊は市ヶ谷の尾張藩邸で時間をもてあまして退屈しており日々をすごすために、敷地内で駆け足訓練ばかりしていたそうです。


慶応四年閏四月十一日(6/1) 板垣退助日誌

2005年04月11日 | 板垣退助日誌
小笠原唯八は関東大監察三条実美に従い再び江戸に入る。
迅衝隊の総督板垣退助は今市を出て忍城が入る東山道総督府を訪れて数日滞在する。

谷干城と祖父江可成は兵士十名あまりを連れて、小佐越に赴き敵情をさぐるがほどなく番小屋を焼いて陣地に戻る。

万年橋にて大鳥圭介らの伝習隊と前哨戦を交えるが、大きな戦闘にはならなかった。

山内容堂の使者が今市の土佐藩の陣営に来て褒書と酒と出征していた迅衝隊ら兵士に賜れる。