戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年閏四月二十日

2005年04月20日 | 板垣退助日誌
板垣退助は壬生に来合わせた江戸支藩の山内豊誠を訪ねる。
このとき、板垣退助は壬生へ出発にあたり、胸騒ぎがして「どうも敵の来襲があるような気がする。」と出発を躊躇するが、配下の者が「そんなことはあるまい」と
壬生行きを進めたために、今市の本営を出て途中まで来ると、板垣退助は従兵の堀之内賢之進に対し、「敵が来るかもしれない。すぐに胸壁を築いて応戦の準備をするように伝えよる。」
と急に命じる。堀之内賢之進は夜を通して板垣退助の命令を伝える。

慶応四年四月二十日

2005年04月20日 | 板垣退助日誌
祖父江可成たちは小山へ進軍途上、宇都宮の敗兵と出くわす。
祖父江可成ら迅衝隊は土方歳三ら旧幕府軍が宇都宮城を陥落させたという知らせに接する。

迅衝隊の総督板垣退助は大総督府へ出向き江戸取締に関して建言する。