戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年四月二十二日 安塚の戦い 板垣退助日誌

2005年04月22日 | 板垣退助日誌

日付がかわりこの日の暁に、守る土佐藩兵・鳥取藩兵、攻める本多幸七郎ら伝習隊の両軍は雨霧が深くたがいの彼我が区別がつかない状況下で、本多幸七郎の
伝習隊は青い麦畑を利用して、ラッパを巧みに吹いて兵を集散させ、巧みな駆け引きを見せるが、来援にかけつけた祖父江可成ら土佐藩兵が勢いを盛り返し、
伝習隊は押され始めてついに宇都宮へ退却させることになる。このとき鹿沼に駐屯していた会津の砲兵隊が増援に駆け付けていたが、すでに戦闘が終わっており、
その砲火が土佐藩兵と交えることはなかった。


払暁に、土佐藩の砲兵部隊及び一番・二番の小隊が安塚を占拠する。
旧幕府兵はかちになれて鳥取藩兵を追撃し、勢いに乗じて駅中に乱入して来たので、土佐藩兵は鳥取藩兵とかわって応戦する。



迅衝隊の総督板垣退助はこの日も大総督府へ出向き軍議に加わる。




祖父江可成ら迅衝隊の別動隊は正午過ぎに敵が退却するのを見届けてから、午後二時ごろに壬生に帰還する。安塚の戦いで土佐藩から祖父江可成と大石弥太郎、秋沢清吉らが参戦する。