戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

山川大蔵

2005年01月29日 | 戊辰戦争人物小伝
【1845~1898】
会津藩の家老の子として生まれる。文久三年〔1863〕、藩主松平容保が京都守護職に任命されたため、上京するさいに
鉄砲隊二十名を引き連れる。慶応二年〔1865〕に樺太境界画定のため幕府派遣の随員としてロシアに訪れる。
鳥羽伏見の戦の後に、藩主について帰国して戦いに加わる。会津藩の藩兵を引き連れて、藤原口の副総督
として伝習隊の大鳥圭介らとともに板垣退助の迅衝隊と戦う。
会津城が落城されそうになると、若松に戻ると新政府軍と戦うも従軍していた妻も失うことになる。
会津藩の降伏後は、新政府の処分により陸奥斗南にうつれされ、藩権大参事として斗南藩の尽力する。
明治五年、陸軍省に出仕し西南戦争で従軍し功をあげる。
妹捨松は津田梅子らとともに明治最初の女子留学生として渡米し、大山巌夫人となる。