戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

松平容保

2005年01月05日 | 戊辰戦争人物小伝
(1835~1893)
高須藩松平義建の子で、会津藩主松平容敬の養子となる。文久二年に京都守護職に就任し、京都の治安に任される。元治元年 蛤御門の変で長州勢を撃破し、のちに一会桑政権といわれる幕末の政権の一翼を担う。鳥羽伏見の戦いで敗れたのちに徳川慶喜とともに大坂城を海路より脱出する。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の中心として官軍に抗戦するが、明治元年十一月六日 会津若松城で降伏する。同日 北追手門から城を出て、薩摩・土佐の兵の護衛で輿に乗って滝沢村・妙国寺に入り謹慎鳥取藩などに幽せられる。許されて日光東照宮宮司となる。