戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

岩村精一郎

2005年01月10日 | 戊辰戦争人物小伝
【1845~1906】
宿毛を領地となる土佐藩家老山内氏の陪臣。名は高俊という。
慶応三年長崎へ砲術研究のため訪れたさいに、海援隊の伊呂波丸沈没の交渉していた中島作太郎と交流を持つ。
京都の土佐藩邸に到着して大江卓らとともに中岡慎太郎死後に陸援隊に入隊する。
坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺の報復のため、紀州藩三浦休太郎襲撃に加わる。
三浦休太郎襲撃の翌日岩村精一郎は高野山へ行き「高野山の義挙」に加わる。
慶応四年一月岩倉具定に従い江戸に向かい、四月に軍監となり三千の兵を率いて信濃・越前・奥羽各地を転戦する。
北越にて河井継之助と会談するも決裂し長岡藩と熾烈な戦いをする。
後に佐賀県令、男爵に列せられ貴族院議員。兄、通利〔竹内 綱〕は男爵、商務大臣、次兄、林有造は逓信、農商務大臣を歴任し、宿毛の三兄弟と称せられる。