DrKの株日記

現役医師が仕事の合間をぬって株と格闘するブログ

おいおい!それ違うだろ!

2011年09月09日 | Weblog
核実験のマーシャル諸島、半世紀を経て帰島進む

 米ソ冷戦時代の1946~58年、米国は中部太平洋、マーシャル諸島共和国のビキニ環礁とエニウェトク環礁で計67回の核実験を行った。8月末、最後の実験から半世紀以上を経た同国を訪ねた。
 核爆発の破壊力は苛烈で、原子力発電所事故とは影響や性質は異なる。だが除染を経て人々が帰った島や帰島準備が進む島もあり、「福島再生」への示唆に富んでいた。
 8月末、エニウェトク環礁の一部、ルニット島に許可を得て上陸した。放射性廃棄物が埋設され、立ち入りが制限されている無人島。
 真っ白な砂浜を横切り、植物のツルをかきわけて進むと、灰色の円形ドームが見えた。直径約110メートル、汚染土壌などを封じ込めたコンクリート製の「ルニットドーム」の表面にはひび割れが目立つが、約1時間たっても線量計の数値は「0」だった。
 77年から、米国はエニウェトク環礁で、島々の表土をはぎ取るなどの除染作戦を実施。実験機材や生コンに混ぜた汚染土が、核実験で生じたクレーターに投入され、ドームで覆われた。
 核実験場にされる前に他の島々に移住させられた住民らは、同環礁南部の除染終了後の80年、33年ぶりにエニウェトク本島などに戻った。実験の影響による同環礁の放射線量は年間約0・01ミリ・シーベルトと、日本の平常時の基準の100分の1だ。
 一方のビキニ環礁。54年3月に水爆「ブラボー」実験が行われ、爆心から約160キロの海上にいた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)したことで知られる。ビキニの人々は46年に強制退去させられ、別の島で暮らしていた。68年、米国はビキニに「安全宣言」を出し、住民の一部は帰島した。だが78年に宣言は撤回され、環礁は封鎖される。
 その後、米国はビキニ環礁の除染を行い、今大気の放射線は問題がないレベルだ。ただ線量の高い場所もあり、許可なく立ち入れない。半世紀以上を経ても戻る見込みは立っていない。

最終更新:9月9日(金)8時24分 読売新聞
(以上引用終わり)

おいおい!
それ事実と違うだろ!!!!


今日、ビキニ環礁を取り上げたのは全くの偶然だったんだが
「建築とかあれこれ 呪いもあれこれ さんのブログ」を何気に見たら…

ぜんぜん違うだろ!
マジか?
偶然とは恐ろしい
ビキニ環礁が自分に語りかけてきたのかな?

なかった事にしてはいけない…

僕をグログに書いて…

読売許さん!!!

クソ~
泣けてくるぜ!
悔しいぞ、ビキニ環礁!!!!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。