お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

アルカディア ・ ホテル

2023年04月12日 | 旅行

スロヴァキアのスモコレッチから次の滞在地、オーストリアのザンクト・ミヒャエルまで700km もあるので、途中、スロヴァキアの首都ブラティスラヴァで一泊しました。ポーランドのワルシャワ、ハンガリーのブダペスト、そしてオーストリアのウィーンに似ていて、古くて由緒ありそうな建物が多く、興味深い町です。

  

中心部 ・ 歩行者天国

 

ブラティスラヴァ城塞

旧市街のはずれに見事な城塞がありますが博物館になっていて、食事も宿泊もできません。

それで、一夜を過ごしたのは旧市街の真ん中に建つ〈アルカディア〉という名前の5つ星ホテルです。

正面玄関に車で乗りつけたら、待機していたスタッフが荷物を降ろすのを手伝ってくれて、キーを預けるとガレージに停めに行ってくれました。その間にチェックインを済ませて部屋で待っていると荷物を届けてくれたのです。まさに超一流ホテルのやり方そのものでした。過去の宿泊客のなかには、マッケンローやレンデルなどのテニス選手や歌手などの有名人が何人もいるようです。

 

ホテルのロビー

このホテルの建物は12世紀後半に建てられ、時の流れとともにルネッサンス、バロック、および偽古典主義の様式を取り入れつつ、現在の形になりました。

私たちの部屋は重厚な扉をもち、古色豊かな質の良い家具が配置されています。アメニティーグッズは、驚いたことに、創業から145年以上にもなる英国王室御用達の「ペンハリガン」なのです。古い建物なので窓が小さいのが玉に傷ですが、それ以外は文句をつけるところがない部屋です。

 

客室

アーチ型天井の雰囲気が良いレストランでは、接客態度がおだやかな英語の出来る若者が、テキパキと基本にのっとった本格的なサーヴィスをしてくれます。バックには静かなジャズが流れています。

 

レストラン

お通しは、煙でいぶした温かいヤギ乳のチーズです。それに添えられているのは、赤カブ、オレンジ、イチゴジャム、クリーム、そして赤いシソの葉。チーズはヤギの臭みが無く旨かったし、ヨーロッパではほとんどまったく使われないシソの葉には驚きました。

 

煙でいぶしたヤギ乳チーズ

いつものように妻と私で別の料理を注文して、半分ずつ食べました。

前菜はオックステール・スープとブリムゼン(羊乳チーズ)です。

スープの方は野菜がたくさん入った濃厚なコンソメスープです。子牛の頬肉入りラヴィオロも入っています。とても美味しい。

もうひとつはスロヴァキア産羊乳チーズが入ったホウレン草ラヴィオロ。その下にホウレン草とカリフラワーのクリームが敷いてあります。これも熱々で大へんに美味しいのです。

  

オックステール・スープ ・ ブリムゼン(羊乳チーズ)

メインディッシュのひとつは軽くいぶした鹿肉のグリルです。少しの野菜と赤カブのピューレと自家製の指状ポテトヌードルにビャクシン・ベリーの果汁がかかっています。

そして、カモの胸肉のグリル。ソースの元は野生のスミノミザクラの実です。付け合わせとして、西側諸国ではあまり使われないサツマイモ、エンドウ豆のピューレと豆の鞘、そしてニンジンも付いていました。

主菜の時には料理の皿に銀色の丸いボウルを載せてきて、二人分同時にカパッと開けました。高級レストランでよくある演出です。

  

鹿肉 ・ カモの胸肉

デザートはコーヒー味のマスカルポーネ・チーズで、添えられているのはベリー系果物、カカオのシュトロイゼル、そして果物のエキスです。

もうひとつのデザートは、自家製の西洋梨コンポート (果物の砂糖煮)、卵リキュールのパフェ、クリームの焼き菓子の3点セットでした。最後のにはベリー系果物とミントの葉がのっています。

  

マスカルポーネ・チーズ ・ 3点セット

全料理を通じて感じたことは、盛り付けに食用花などの余分なものがないのでごてごてしていないし、奇をてらっていない。正攻法で料理して、それが極めて美味しく仕上がっている、ということです。あら探しをしようとも、これといって見つかりません。正統な食事を正統なサーヴィスでとった気がして、たいへん久しぶりに満足したレストランでの食事でした。

朝食は夕食と同じ部屋で、今朝は静かなクラシックが流れています。ビュッフェには良いものを多すぎることなく整然と並べてあり、好感が持てる若い女性のしっかりしたサーヴィスが受けられます。

  

朝食のビュッフェ ・ 私の朝食

ブラティスラヴァが良くないからではなく、他に行きたいところがたくさんあるという理由で、もう二度とこの町には来ないでしょうが、アルカディア・ホテルの素晴らしい印象は私たちの心にずっと残るだろうと思います。

 

〔2016年8月〕〔2023年4月 加筆・修正〕

 

 

 

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スモコレッチ

2023年04月08日 | 旅行

この町の名前はスロヴァキア語でSmokorecと書きます。スモコレッチという読み方は正しくないかも知れません。

さて、ポーランドのザコパネで1週間過ごした後、国境を越えてスロヴァキアのこの町に入りました。

スロヴァキア語はポーランド語と似ていますね。たとえば、〈こんにちは〉をポーランド語では〈ジンドブレ〉と言いますが、スロヴァキア語では〈ドブリジェン〉です。言葉は似ていますが、国民性は少し違うような気がします。ポーランドと同じようにスロヴァキアもキリスト教の国ですが、道筋にはマリア像もキリストの像も全く見られません。信心深さはなさそうで、ポーランド人に比べて少し雑な感じの人が多い印象を受けました。スロヴァキアにはポーランドよりも英語の片言ができる人が多く、観光客相手の仕事をしている人はドイツ語も少し出来ます。というのは、昔、東ドイツから観光客がたくさん来ていたからだそうです。東西ヨーロッパの壁が開いてからは、かつての東ドイツ国民は憧れだった西側諸国に行くようになって、スモコレッチに来る客が減ったとのことです。

 

この町で最も立派なホテル

スロヴァキアもやはりEU 圏で、ここはユーロを採用しています。妻も私も、ユーロを使っている国々の物価はおしなべて同じであると考えていましたが、とんでもない。この国の物価はドイツの3分の1に過ぎないのです。どんなからくりで物価がこんなに低く抑えられているのでしょうか。

ところで、カフェでシナモン入りのアップルパイとタトラ・ティーを注文しました。パイは色がふつうと違いますが、味は普通のアップルパイです。タトラ・ティーは、ティーとは言えどお茶ではなく、リキュールです。タトラ山脈で採れるいろいろな薬草のリキュールで、全部で8種類ほどあり、アルコールの度数以外に効き目にも差があるようです。味は薬の味ですね。要するに不味い。

  

シナモン入りアップルパイ と タトラ・ティー ・ 薬草サプリメント

その他、薬草のサプリメントもあります。薬草を乾燥させて、ハチミツをまぶして少し甘味をつけています。野菜サラダにふりかけたり、お湯で溶いて飲むのですが、やはり全く美味しくありません。

これらの薬草を使ったものがタトラ山脈南側の特産品のようです。他にこの地域独特の産物は見当たりませんでした。

さてスモコレッチですが、この町は標高1000m位で空気がきれいなので、18世紀から19世紀にかけて保養地として発展したそうです。こんにち、タトラ山脈の南側では最も古くて重要な観光地になっています。整備の行き届いたたくさんのトレッキングコースや登山道があります。ここにはスキー用のリフトがある他、現代的なケーブルカーで1230m地点まで行くことができ、さらに、予約が必要な小さなケーブルカーで2500mの高さまで行けるのです。

 

このケーブルカーで2500mの高さまで

ここタトラ山脈の南側には高い岩山と上り下りの多い登山道が多いようです。かなり険しい登山道も走破しました。

  

タトラ山脈の南側 ・ 険しい登山道 

  

がれきの山を頂上まで ・ そして向こう側を湖まで

  

下の湖のほとり ・ 別の湖

 

滝と渓流沿いの登山道

山の景色で印象深かったのは、枯れた立ち木が多かったことです。どうしてでしょう。地下水が減って、根が深くない木々が枯れるのでしょうか。不思議です。

 

枯れた立ち木

 

〔2016年7月〕〔2023年3月 加筆・修正〕

 

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ヘッセン城館

2023年04月02日 | 旅行

私の住むハノーファーから1時間少々東南東の方向に走ると、魔女が住むというハルツ山地の北にヘッセン城館があります。かつての東ドイツにある城です。

この城の前身である堀のある要塞の歴史については、ほとんど知られていません。ただ12世紀前半に、ある貴族が村と城の所有者として文書で最初に言及されていますが、約200年後にその貴族の子孫が途絶えた後、15世紀の初めまで城を含む村の所有者は絶えず変化し、時間の経過とともに荒廃して行ったのです。城はこの地域を通る交易路を守るために役立っていたようです。

 

まだ堀を備えている城館 (1650年頃、Wikipediaより)

そして16世紀の中頃にルネッサンス様式の城館に改築され、城は16世紀の終わりから17世紀の初めにその全盛期を迎えて、ある公爵の夏の離宮として機能しました。その後、城館の複合施設は農業領域として使用されました。三十年戦争中に受けた破壊の影響は軽微なものであったようです。三十年戦争が17世紀の中頃に集結した後、城には公爵家が住んでおらず、狩猟小屋として時折使用されるだけでした。その為、時間の経過とともに荒廃して来たので、修復が始まりました。そして18世紀末期から第二次世界大戦の終わりまで城館はある公爵家の住居でした。

 

城館 &

 

城館 &

しかしながら、第二次世界大戦後に城を含むこの地域がソ連の占領地域になった時から、城の荒廃が始まりました。さらに、ソ連にしても東ドイツにしても社会主義の国家であることから、城館の「荘厳な性格」を廃止するためにさまざまな作業が行われました。例えば、中心となる建物の西翼が取り壊されたり、正門がレンガで塞がれたり、公爵の紋章が剝がされたりしたのです。それでも完全な破壊をまぬがれたのは、市民が抗議の声を上げたからです。

 

城館 &

 

城館 &

ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統合された後、現在自治体に属している城館の複合施設を将来にわたって利用する為に、継続的な改修措置が行われています。城とその中庭は、オープンエア音楽祭、そして展示会やイベントに使用されることがあります。

 

城館

行ってみると、車の往来があるアスファルトの道路脇にある、一部廃墟になっている城館であることが分かりました。天候のせいもありますが、寒々とした殺風景な印象の建物群です。案内板にある1650年頃の絵と比べると、特にそんな印象を受けます。私はサッと眺め回しただけで、その場を去りました。

 

食事が出来なかったレストラン

さて、摂氏0,5度で雪がちらつく2月の末、昼食を食べる所はないかと調べると、城の近くの村に、地方のテレビ局によって紹介されたことがあるという小さなレストランがあります。開店時間を見計らって行ってみると、本日土曜日の昼はもう予約で満杯だとのこと。それ程人気があるレストランなのか? それとも訪れた曜日が悪かったのか?

 

食事をしたレストラン &

地図を見ると、車で7、8分の所にもう一軒レストランがあります。ハイキングコースが縦横に走る森の入り口にぽつんと建っているのです。ハイキングの基地なのかな? 庭も広い、結構大きな建物です。愛想の良い女性スタッフ2人で営業していて、私が最初の客です。後でおじさんが一人来ました。

 

紅茶 ・ スープ

寒いので、飲み物は紅茶にしました。砂糖の他に蜂蜜も出してくれました。

前菜は森の茸クリームスープです。すりつぶした茸のスープは初めてです。寒い中熱々で旨い。

 

シュヴァイネシュニッツェル ・ サラダ

メインは、シュヴァイネシュニッツェル (薄い豚カツの様な料理) に、また茸ですが、シャンピニオンクリームソースがかかっています。ソースも肉の衣も少し塩辛いだけでなく、十分に油を切らずに皿に置いたようで、衣がびちゃびちゃです。はっきり言って美味しくありません。付け合わせのクロケットと少し甘めのクリームソースをかけた別皿のサラダは美味しかったのです。ちなみに、ドイツのレストランで野菜サラダに半熟卵が付くのは珍しいですね。もしかしたら旧東ドイツではそれが普通なのでしょうか。

 

〔2023年4月〕

 

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