4月28日
結論と無関係な記述は判決文から省くべきだ、
というのが著者の主張である。
著者は判決文における主文(結論)と無関係な記述を「蛇足」と表現し、
蛇足の弊害を説明するために、以下のような判例を創作している。
Aさんが死体で発見され、
その後Bさんが殺人罪で逮捕されるも、
証拠不十分によって不起訴処分となった。
しかし、その20年後に、Aさんの息子が、
BさんはAさんを殺したとして損害賠償を求め、告訴。
その判決書には、
主文には、損害賠償請求権は除斥期間の経過によって(時効のようなもの)、
消滅したので請求は棄却をあるが、
理由欄には、BさんがAさんを殺した事実を認定するように書かれていた。
これによりBさんは殺人者となり、
仕事を失い、世間から冷たい目で見られるものの、
主文では勝っているので、控訴することはできない。
Aさんの息子は主文では負けているが、裁判では勝った気分になる。
この例をたたき台に、著者は、
判決書において主文に関係のない記述は蛇足である
と言う主張を展開していく。
原告が必ずしも主文による勝訴だけを求めているのではないだろうから、
このような訴えはなされてもいいのではと思っていたが、
どうやら、最初から主文における勝訴は求めず、
傍論や理由欄、つまり蛇足に何らかの価値を見出す裁判が、
特に政治的な影響力を持つ判決がありえるもので多いようである。
こういった裁判は著者の主張によれば、
訴え自体が成立しないので、却下されるようなものが多いという。
こういった裁判の頻発が、
裁判の無駄な長期化を促し、
三権分立を危うくするとまで主張している。
ただし、著者の主張が日本で年間数万件もあるであろう判決において、
どれだけのものに関係するものであるのか、
そういった統計的数値が提示されていないのが気になる。
どれだけの普遍性を持つものなのかが怪しい。
著者の見解には納得する部分も多いが、
裁判当事者が著者の判決文は短すぎると不満を感じている以上、
著者が国民の期待にこたえれていないという事実はあるわけで。
現職の裁判官が書いたというだけで、
論理に怪しさがある主張に迎合することはあってはならないが、
専門的研究職にあるものが、
このように一般的にわかりやすく一般書を刊行する意義は認めたい。
現職裁判官が書いたというだけでも注目されるということは、
現職裁判官が以下に一般社会へのアウトプットが少ないかということの表れでもあるからだ。
これは必ずしも、現職裁判官が一般書を書くべきだという主張ではないが。
まあでも、
議論の価値があるような問題ではある気がするので、
今後の展開を楽しみにしたい。
横浜地裁の判事であった井上薫は、近年では、
2004年11月:同地裁の浅生所長に判決理由の短さを指摘され、その改善を勧告される
2005年2月:本書刊行
2005年7月:人事評価書にマイナス評価を受ける
「訴訟当事者から判決文について不満が表明されているのに、改善が見られない」と記載
2005年9月:人事評価への不服申立書を地裁に提出
「判決文の短さを理由にマイナス評価をするのは、裁判官の独立を定めた憲法に反する」と主張
2005年11月:浅生所長の罷免を求める訴追請求状を提出
2005年12月:最高裁の諮問委員会によって、井上判事の再任は不適当とする答申がまとめられる
2006年2月:井上判事は自らの再任希望を撤回
2006年4月:任期終了で退官
という経歴を持つ。
出る杭が打たれたのか、
独断と偏見を言う者が自ら退場したのか、
著者の現在は?去就が気になる。
結論と無関係な記述は判決文から省くべきだ、
というのが著者の主張である。
著者は判決文における主文(結論)と無関係な記述を「蛇足」と表現し、
蛇足の弊害を説明するために、以下のような判例を創作している。
Aさんが死体で発見され、
その後Bさんが殺人罪で逮捕されるも、
証拠不十分によって不起訴処分となった。
しかし、その20年後に、Aさんの息子が、
BさんはAさんを殺したとして損害賠償を求め、告訴。
その判決書には、
主文には、損害賠償請求権は除斥期間の経過によって(時効のようなもの)、
消滅したので請求は棄却をあるが、
理由欄には、BさんがAさんを殺した事実を認定するように書かれていた。
これによりBさんは殺人者となり、
仕事を失い、世間から冷たい目で見られるものの、
主文では勝っているので、控訴することはできない。
Aさんの息子は主文では負けているが、裁判では勝った気分になる。
この例をたたき台に、著者は、
判決書において主文に関係のない記述は蛇足である
と言う主張を展開していく。
原告が必ずしも主文による勝訴だけを求めているのではないだろうから、
このような訴えはなされてもいいのではと思っていたが、
どうやら、最初から主文における勝訴は求めず、
傍論や理由欄、つまり蛇足に何らかの価値を見出す裁判が、
特に政治的な影響力を持つ判決がありえるもので多いようである。
こういった裁判は著者の主張によれば、
訴え自体が成立しないので、却下されるようなものが多いという。
こういった裁判の頻発が、
裁判の無駄な長期化を促し、
三権分立を危うくするとまで主張している。
ただし、著者の主張が日本で年間数万件もあるであろう判決において、
どれだけのものに関係するものであるのか、
そういった統計的数値が提示されていないのが気になる。
どれだけの普遍性を持つものなのかが怪しい。
著者の見解には納得する部分も多いが、
裁判当事者が著者の判決文は短すぎると不満を感じている以上、
著者が国民の期待にこたえれていないという事実はあるわけで。
現職の裁判官が書いたというだけで、
論理に怪しさがある主張に迎合することはあってはならないが、
専門的研究職にあるものが、
このように一般的にわかりやすく一般書を刊行する意義は認めたい。
現職裁判官が書いたというだけでも注目されるということは、
現職裁判官が以下に一般社会へのアウトプットが少ないかということの表れでもあるからだ。
これは必ずしも、現職裁判官が一般書を書くべきだという主張ではないが。
まあでも、
議論の価値があるような問題ではある気がするので、
今後の展開を楽しみにしたい。
横浜地裁の判事であった井上薫は、近年では、
2004年11月:同地裁の浅生所長に判決理由の短さを指摘され、その改善を勧告される
2005年2月:本書刊行
2005年7月:人事評価書にマイナス評価を受ける
「訴訟当事者から判決文について不満が表明されているのに、改善が見られない」と記載
2005年9月:人事評価への不服申立書を地裁に提出
「判決文の短さを理由にマイナス評価をするのは、裁判官の独立を定めた憲法に反する」と主張
2005年11月:浅生所長の罷免を求める訴追請求状を提出
2005年12月:最高裁の諮問委員会によって、井上判事の再任は不適当とする答申がまとめられる
2006年2月:井上判事は自らの再任希望を撤回
2006年4月:任期終了で退官
という経歴を持つ。
出る杭が打たれたのか、
独断と偏見を言う者が自ら退場したのか、
著者の現在は?去就が気になる。