牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

2月25日(月) 「牧師 その神学と実践⑤」 ウィリアム・ウィリモン著

2013-02-25 08:02:06 | 日記

 「聖書解釈者と説教者としての牧師」の次は「カウンセラーとしての牧師」である。

 本からの引用。「私たちに求められていることは、牧会カウンセリングというものを、霊的導きの機会として再発見すること、牧会的な働きに備えて信徒たちを整えるための神学的裏付けを伴う努力として再発見すること、そしてキリスト者としての成長のための教義口授の一つの形として再発見することである。カウンセリングにおける牧師の主要な責任は、福音の物語に沿うものとして私たちの必要を整えることである。私たちの最善のカウンセリングの大半は、牧会的想像力の複雑な働きによるものであって、私たちは、キリストにあって兄弟姉妹の問題を取り上げ、その問題を福音のもとに置き、そして福音の光なしには想像もできないような、そうした問題と福音の新たな結びつきや関係、そして選択肢が示されるのを見つめるのである。」

 「牧会カウンセリングに関わる技術や方法の中には、次のようなものが含まれている。すなわち、積極的かつ批判的な傾聴。カウンセリングを受ける人物の世界の中に入っていこうとする意思。語られることに対する十分な注意、そして更に重要なこととして、語られていないかも知れないことに対する十分な注意。、、、、、、」

 私は牧会カウンセリングは、御言葉を個人レベルに適用し、キリストにあるアイデンティティを確認し再発見してもらうことだと思っている。闇の部分に福音の光を当てるのである。そのためにまず傾聴と感情の共有が必要である。難しいのは著者が書いているように、語られていないがその人の心奥底にあるものである。多くの場合そこに問題の根っこがある。目に見える実の部分だけでカウンセリングをしてもその時は良くなって帰っていくのだが、数週間もしくは数ヶ月すると前と同じ状態に戻ってしまうことが多い。すなわちカウンセリングを通して実を取ってもまたしばらくすると違う実がなるのである。しかし、目に見えない根っこの部分に光が当てられ、福音と御言葉と聖霊の力によってキリストにあるアイデンティティを再発見すると劇的な変化を遂げ、その変化は一時的なものにならないことが多い。根こそぎ取り除いたから絶大な効果がある訳である。そのお手伝いをするのが牧会カウンセリングだと私は思う。


牧師はカウンセリングに要する時間に限度を設けなければならない。セッションの最初に、その終了時間をはっきりと定めることが望ましい。牧師は、相手の問題に関して不適切な形で責任を負うことから自分自身を守る必要がある。、、、、パットンは、牧師がこうした転移に陥ることなく、適切な牧会カウンセリングの関係を維持するために必要な三つの方法を次のように示している。」
 1.「自分自身に対する明確な限度」を設けること。
 2.カウンセリングのセッションにおいて、「強い感情/激情」が表出する可能性のあることをあらかじめ予期すること。
 3.自分自身を「忍耐強く傾聴する教師」だと考えるようにすること。 

 私は牧会カウンセリングに要する時間に限度を設けず、自分を守ることが欠如していたと思う。それによって自分の心と感情が疲弊してしまった。今度はしっかりと時間を決め(1時間~1時間半)、自分を守っていくようにしたい。


 「おそらく牧会カウンセリングにおいて私たちが達すべき遠大な目的とは、私たちの会衆の健康を増進することよりも、これらの人々がキリストにあって成熟できるように援助することなのである。、、、、牧会カウンセリングとは、単に傷ついた人々の面倒を見たり、悲嘆にくれる人々を慰めたりするということ以上の働きである。それはまた、健康な人、何不自由なく暮らしている人、満足している人、安心しきっている人に対して、教え、導き、警告を発する営みでもある。」
 

 牧会カウンセリングとは、教会に集ってくる人たちにキリスト教な配慮(ケア)をしていくことである。私にとって難しい課題である。