牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

2月12日(火) 「何者」 朝井リョウ著  新潮社

2013-02-12 09:08:01 | 日記

 本書は、一番最近(第148回)の直木賞受賞作である。就職活動を通じての生き方や人間模様を描いている。そんなにたいしたものではない自分を、たいしたものである(何者かである)ように見せようとする大変さと辛さを上手に描いている。考えさせられながら楽しく読むことができた。

 ほとんどが留学、ボランティア経験、資格など肩書きを通しての意見であって、その人間そのものの意見が出てこなくなってしまう。エントリーシートを書くにしても面接で話すにしてもまとめて書き話すので、本当の自分や本当に大切なことが隠れてしまいがちになる。就職活動をする時に、他人と比較したりカッコ悪い自分と距離を置いた傍観者や観察者のようではなく、確かに何者ではないかもしれないが、就職活動をすることを決心した者がその時に出せる自分を(なかなか等身大という訳にはいかないかもしれないが)出していくこと、たとえカッコ悪くても泥臭くても全力を尽くしてひたむきにやる中で何かが見えてくるのではないかと著者は読者を励ましているように思う。

 本書は就職活動をしている若い世代だけでなく、すべての世代に当てはまるメッセージがあるように感じる。人間は肩書きによって自分が何者かであるかを示そうとする。会社でのポジション、年収、資格、母である自分など。すべて剥ぎ取られた時に何が残るか。残ったものが本来の自分ということになるのだと私は思う。

 私は大学生の時に献身したのだが、神学校へ行くか就職するかで迷っていたので、自分なりに一生懸命に就職活動をした。エントリーシートで落ちたこともあったし、集団面接で落ちたこともあった。一つの企業から内定をもらったのだが、その時に改めて自分の生きる道を考えさせられ、この会社に行くことが自分の道ではなく、神学校に行き勉強し訓練を受けることが私の道であると確信して、内定を取り消して頂き、すべての就職活動を終わりにして、大学卒業と同時に神学校へ行った。

 私が何者であるかと質問をされたらどのように答えるだろうか。牧師であること、農業で成功すること、夫であり父であること、というのは肩書きである。一つあるとしたらそれは「私はイエス・キリストによって罪が赦されている者である」ということだ。自分を大きく見せようとする必要がなく、ありのままの自分で受け入れられているということである。たとえ教会が成長しなくても農業で儲からなくても良い夫や父でなくてもだ。これは肩書きではなくアイデンティティーである。

 
 まだ著者は若いので大きな可能性があると思う。これからの活躍を期待したい。