今日の日本経済新聞を読んでいて、20-24歳の日本人男性の14%しか海外に出かけていない、という記事を読んだ。また、海外に興味が無くなっている、という内容だった。
本当なのかどうか、一概に言えない様な気がする。
私自身、田舎で、家も裕福ではなかったので、高校を卒業するまではほとんど田舎の実家で過ごした。遊びに行くのは山や川、田んぼ。。。秋にバッタをとったり、収穫後の藁を積み上げたところに高いところから飛び降りたり。時々空を飛行機が飛んでいくのを見て、飛行機のチケットが高いことを思い、「一生のうちに飛行機に乗ることはあるのだろうか?」と思っていた。
父が音楽に興味があり、チェロを習わされて、毎週木曜には学校から帰ったら父の車で二時間ほどかけて西宮の先生のところに習いに行っていたのが、少ない都会との接点。日曜は西宮での少年少女合奏団、というのに出かけてチェロを弾いていた。
田舎の関西弁しかしゃべることができなかった私は、都会で関東弁のイントネーションで話す、田舎には絶対いないようなきれいな女の子達がまぶしく、話しかけることなど絶対にできなかった。
中学時代には、神戸の塾になぜか毎週日曜に通っており、姫路までバスで一時間、姫路からJRの新快速で一時間の合計二時間の冒険であり、楽しみだった。その塾では結構上位の成績であり、ある時塾が終わって、楠公さん(楠正成をまつった神社)を歩いていたら、同じクラスの女の子に待ち伏せされて、「どこか行かない?」という様なことを言われたが、こちらは早く帰らないとバスがなくなったら大変だし、暗くなるのが怖かったので、とても塾が終わって遊びに行くような余裕はなかった。
私にとって、自分の住む田舎から時々見る都会はとても眩しく、高校に入った時に先生から「東大もOK」と言われた時は信じられなかった。とりあえず、半信半疑で東大を受けてみたら合格し、18歳から東京に出てきたのは良かったが、周りは皆関東弁で話す人ばかりで、一年くらいはホームシック状態だった。学校をさぼって東京駅に行き、新幹線を見ては、「これに乗れば姫路まで帰れる」と良く思っていた。
しかし、一年経つとそういう気分は無くなって、東京の生活になじんだ。最初のコンプレックスもあり、言葉のイントネーションも全く変えて、関東では東京弁、関西では関西弁のバイリンガルになれた。社会人になって、関西出身であることを言うと、驚かれることがあるくらいだ。
東京に出てくると、次は海外にあこがれた。。。しかし、東京弁をようやくマスターした身には英語は荷が重かった。就職は国内売り上げほぼ100%の食品会社に入り、「一生英語は使うことはないだろう」と思っていた。
27歳で、関西でお見合いをして、今の家内と結婚。やはり、家庭では関西弁が話したかったのだ。。。しかし、家内の父は英語の教師で、結婚当初から家内は英語のラジオ講座を聞いたり、セサミストリートを見たり。。。英語が雑音としか聞こえなかったので、「うるさいな」と思っていた記憶がある。
新婚旅行では初めて海外旅行。。。パリとジュネーブへのパック旅行だったが、英語が全く話せず、ひたすらガイドの後ろについて回っていた。
という自分を考えると、20-25歳があまり海外に行かないことは、そんなに問題ではない様な気がする。。。今は皆豊かで、航空券も安いので、昔の私とは違うのかもしれないが。
長くなったので、続きは今度としたい。