日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

転機は突然ふりかかる・・・今までの人生を振り返って

2012年11月17日 | 日記
今迄50年程生きて来て、平凡な人生ではあるが、それでも人生で大きく運命が変わる瞬間と言うのが何度かあった。その時はその瞬間の出来事に気を取られて、そうとは気づかないが後から良く考えると「あの日が転機だった」と気付く場合が多かった様な気がする。
大学に合格した時、最初の就職で内定をもらってそこに就職すると決めた時、バンコク駐在が言い渡された時等。。。
NHKの森本アナウンサーが14日お酒に酔った上、電車の中で女性の胸を触ったとして強制わいせつの現行犯で逮捕されたニュースを見て、ショックを受けた人は多いのではないか。
本人は「記憶にない」と最初否認していた様だが、実際お酒で判断力が低下して、そんなことをしてしまったとしたら、「魔が差した」としか言いようが無いと思う。本人もほんの一瞬の行為が人生を大きく変えてしまったことに驚いているのではないかと思う。家族の方々も信じられないのではないだろうか。
これとは全く例が違うが、10年ほど前、最初の会社で海外でそれなりの成果を出して帰国して「社内では結構評価されている」と思いあがっていた時期があった。今から振り返ると、その時、それなりに重要な仕事を与えられていたのだが、その時の私は「もっとスケールの大きい仕事がしたい」と不満を持っており、直属の上司である常務に「今の仕事ではなくこういう仕事がしたい。会社は私の能力を生かす場所を間違えているのではないか」とねじ込んでしまった瞬間がある。・・・日本の古い体質を持った会社だったので、私の発言は問題にされ、左遷されてしまい、それに反発して第一回目の転職をすることに繋がった。
あそこでもっと謙虚に我慢しておれば、と思うことがあるが、あれも私としては「魔が差した」瞬間であったかもしれない。
さらに、左遷されてもそこでしばらく我慢しておれば、どうなったのだろうか?・・・とも考えることがある。
幸い転職を二回して、収入が絶えることなく生活は出来ているが、10年前自分で期待した人生とは大分違っている様に感じ、絶望的な気持ちになることもある。と、同時に、「人生仕事で出世するだけが幸せではない」という様に思ったり、この年になっても、じたばたと悪あがきをしながら生きている。

東北被災地釜石市周辺の現状を目にして

2012年11月11日 | 日記
先週所要があり、岩手県の釜石市に行って来ました。

現地の様子を知るために、釜石駅前でレンタカーを借りて国道45号を南下。トンネルだらけの道なので県道を通って引き返すことにしました。途中から県道250号と交わったところで県道に入って、今度は山の中を北上。再び国道45号に戻るまで、山林の中の一本道を走りましたが、途中対向車に1台会っただけで、全く人影が無い。集落も無い道なので、今はほとんど利用されていない模様。
人には会わなかったが、途中野生の鹿に五頭遭遇。こちらも驚いたが、鹿も普段車がほとんど来ない道をゆっくり歩いていた様で、車に驚いて走り出す鹿も居て、迷惑そうな目でこちらを見ていた。途中行き止まりになりそうな道で、「もしかしたら震災で道が行き止まりになっていたら、来た道を引き返すのはおっくうだなあ」と思ったりしたが、無事45号へ戻ることが出来た。
その後、堤防が津波で破壊された小白浜漁港を見て言葉を失いました。



釜石市に戻り、市内の主要部分に津波が到達したことに思いを至らせ、市内中心部の空き地の多さや津波で被害を受けたまま住む人も無く取り残されている建物に圧倒されました。

首都圏に住んでいる我々は、テレビでの被災地の報道が震災直後に比べて減っているので、震災からの復興が進んでいる様な気になっていることに改めて気が付きました。まだまだ被災地は傷ついたままでいること、人口の少なく収入源が限られた東北では、地元産業へのダメージが大きく自力での復興が容易ではないこと等から、今後も被災地の復興の状況を他の地域の我々は知り続ける必要があると感じました。

又、津波の圧倒的な力を目にして、人間の作る堤防では防ぎきれないことや、昔の人が言い伝えた様に、低地には家を建てるのを止めて高台に皆が住むことは、経済的に今すぐには無理でも、次の津波が来る前までには時間をかけて取り組んでいく必要があるのではないかと思いました。