日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

心穏やかに

2013年03月20日 | 生き方
今日はお彼岸の中日なので、ということでもないが、ちょっと仏教に関係あるような事を感じているので書いている。

50代になって、自分の心境の変化が起こっていることに近頃気付く。40代までは、「会社での地位や給与が上がること」がとても大切で、「理想と現実のギャップ」にいつもいらいらしていた。他人、特に同世代の人が成功するのを見ると、自分の境遇と比べてしまい、落ち込むことがしょっちゅうだった。極端な話、オバマ大統領が就任した時に、自分と比べて落ち込んだ位だ。
それが、ここに来て、ある意味で本人が気付かないうちに自分の可能性がこんなものだと思うようになったのか、以前より焦らなくなっている。
もしかしたら、自分とあまり年齢が違わない60代前半の先輩方の訃報を聞く事が多くなり、「人生出世や金儲けだけではないぞ」という事が漸く身につまされるようになったからかもしれない。
若い頃は、「人生出世や金儲けだけではない」という言葉がきれいごとに聞こえていたのだが、この年になると、「いくら出世しようが、いくらお金があろうが、死んだり、物事が判らなくなったりしたら、何の意味もない」ことが自分のこととして感じられる。
もちろん、自分は出世したわけでも、お金持ちになったわけでも無いのだが、「残りの人生で、あまり焦ったり落ち込んだりしないで、出来るだけ心安らかな時間を多く持ちたい」という気持ちが強くなってきた。
「出世」や「お金」は自分の力ではどうしようもない点が多いのだが、「心安らか」というのは自分自身の気持ちの持ちようであることが、救われる点。今の現状を「まあこんなものか」と思い、自分の思い通りにならないことがあっても(そういうことだらけではあるが)、「それに心を煩わされたら、思い通りにならないという気持ちと、くよくよする気持ちのダブルで損をする」と思えば、かなり気持ちが楽になる気がする。
人から見ると「向上心が無い」とか思われるかもしれない(かつて、自分はそういう生き方を「向上心が無い」と思っていた気がする)が、どうにもならない事で「自ら作り出した苦しみで自分が苦しむ」のは、あまり生産的ではないし、限られた人生の時間の浪費なのではないかと思うようになってきた。
「人は死のキャリア」で、「生・老・病・死」が人が避けられない四苦である、というのも、この年になると、心にストンと入って来るようになった。(昔は、「何故、生が四苦の一つなんだろう?」と思っていたものだ)
心安らかに過ごせる時間を出来るだけ増やしたいと思う今日この頃である。