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日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

Fantail

2022年04月30日 | 生き方
今日はファンテイルが賑やかに庭で囀っていたので、カメラを向けると運良く映像に収まってくれました。

NZではこのファンテイルが至る所に居て、可愛い声や姿で癒やされます。


還暦を迎えて・・・

2022年04月24日 | 生き方
先日、とうとう還暦を迎えました。

今の会社は定年は65歳なので、いますぐ何か変化がある訳では無く(会社の方針なのか、単に私の評価が低いだけなのか、ここ数年給与は年々少しずつ減って来ていますが・・・)特に海外勤務をしていると、条件が似ていて参考になる同年代の人との交流がフェースブックぐらいでしかないのが不安ですが。。。(他の人はどう感じるかは別として)個人的見解として還暦を迎えても、若い頃想像していたのとは全く違う感じです。

とは言え、60歳は60歳・・・定年が延びたと言っても定年まであと5年未満。最初に勤務した会社は定年が60歳なので、同期でいまでも年賀状を出している友人からは「定年で会社を辞めました」といった便りが来て、複雑な気分。

今年になり、暇なときにネットで出身地の兵庫県の中古住宅の値段や、賃貸住宅の値段を調べてみたりしています。

社会人になって、勤務地は国内では東京と横浜だけで、後は海外でしか勤務したことがなく、心のどこかに、生まれた神戸や育った町で住んでみたいという気持ちが育っていることに気付いています。

横浜に自宅があるので、兵庫に住むとしたら、その自宅を売るか、又は短期間であれば、アパートか賃貸マンションを借りてみるか・・・その場合の出費の想定と年金と貯金残高の減少スピードをエクセルで計算してみたり・・・倹約すれば特に60台のうちは賃貸住宅で関西に住むことも可能かも、又は横浜の自宅を売却して関西にそれで家を買うか???と悶々として・・・

あまり年取ってしまうと、賃貸住宅を借りるのは大家さんが嫌がるということも聞いており(特に子供が居ないので)、関西に住むには60台のうちだけかと考え・・・そうすると、定年の65歳まで勤務していると自分の時間がなくなるのではないかと疑問になり・・・一方でお金の問題もあり、折り合いをつけるとすると、62歳くらいまで勤務をして、退職金と貯金を取り崩して数年経過してから年金をもらう・・・といったシミュレーションをしています。但し、「今後インフレで大きく貯金と年金の価値が値崩れする」という事態起こらないことを前提に考えているのですが。
逆にインフレになるのであれば、いつまで経っても仕事を辞めるのはリスク・・・インフレ率次第ではありますが。


還暦を前にして思い出すこと等・・・

2021年07月16日 | 生き方
自分が還暦目前にして、60前後で亡くなった昔の先輩や親戚のことを近頃よく思い出す。

その一人が、私が30台前半で最初の会社で工場の総務部勤務だった頃の上司の総務部長。部長は50台前半だったのだと思うが、私と親子ほど年齢が違うこともあり、いろいろ私の失敗をかばってくれたり、よく飲みにつれて行ってくれたり、とてもお世話になった。私がタイに赴任が決まった時も、準備で各種手続きや英語の学校に行くため外出するのを、いやな顔一つせず、温かくタイへ送り出してくれた。

6年経過して40歳になったころ、日本に帰国して本社の経営企画部門に配属になった。タイと日本での仕事のギャップ等に悩んでいたある日、昼食を会社の社食で食べていたら、誰かが後ろから肩を叩く人がいた。振り向いても誰もいない。あたりを見回すと、その部長が恥ずかしそうに少し離れた席に座っているのが目に入った。

当時部長は60前で、上りのポストで資料室長の様な仕事をされていたと記憶する。後から考えればタイから帰ってきた私を見て懐かしくなったがどう声をかけていいかわからず、またシャイな方だったので、そういう表現になったのだと思う。

当時、私は上記の通り、かなり悩んでおり、全く精神的余裕がなかったこともあり、部長に対して、自分の席から動かず、部長のところに挨拶にもいかず、ただ「どうも。。。」とだけ言ったと記憶する。

その後、すぐに部長は60歳で定年となり、定年後数か月経過したある朝、脳梗塞に見舞われ、突然亡くなった。

その時も、私は相変わらず余裕がなく、部長の通夜にも告別式にも出席できなかった。

あの時、食堂で、部長のところまで歩いていき挨拶をするべきだった、と悔やまれる。。。どうして、悩みを部長に相談しなかったのか?相談すればアドバイスをもらえたかもしれず、従って最初の会社も辞めていなかったかもしれない。
お世話になった部長に対してあの態度はなかった。。。部長は私の態度に失望されたり、寂しく思われたのではないかと思う。もしかしたら、私のことを「そういうやつなんだ」と見損なったと思われたかもしれない・・・と何度も反芻している。

会社を辞めなかった方が良かったかどうかは今となってはわからない。今は、転職していろんな会社を経験できて良かったと思っているのだが、それはそれとして、お世話になった部長との最後が、あのような形であったことは、今でも心の棘となってひっかかっている。

ふと気がつけば還暦まで1年弱・・・これからの生き方について

2021年06月05日 | 生き方
NZに赴任したときはまだ50代前半だったが、あっという間に月日が経過し、60歳の還暦まで後1年弱となった。

今は60を過ぎても(待遇はどうなるのか不明だが)企業は65歳まで雇用を確保する義務があり、70歳までそれを延長する努力義務があるそうなので、一応働こうと思えば少なくとも後5-6年働くことはできる様なのだが(と言いながら、あまり今の会社の制度に詳しくないので、どういう待遇なのかもはっきりとは判っていないのだが。。。完全に浦島太郎状態である)、「本当に今のままの仕事で65歳まで働いていていいのか?」という疑問が近頃自分の中に芽生えている。

中途入社でもあり、今後日本に帰っても、これ以上上が目指せるのかどうかも良く判らない(第三者的には「これ以上上は無い」と思われているかもしれないが、本人としてはそこまで認めたくないので、一応「良く判らない」と思って居るのが現実かもしれない)ことも自覚しなければいけないと思う。

ずっとサラリーマンをしているので、年金は65歳から多少はもらえるようだが、所謂「老後2000万円問題」という視点で、老後をある程度豊かに(チェロは弾き続けたいし、歴史に興味があるので、再度勉強したり、歴史的な場所を訪問したりしたいし・・・)暮らすためには、出来るだけ長く働いて、65歳以上の生活に備えなければならないのも事実。

しかし、一方、健康寿命は男性は72-3歳が平均・・・ということは、あと15年を切っていることになり、そのうち5-6年というのは結構大きな比重を占めることになる。父も70代で亡くなったこともあり、平均寿命80歳ちょっとというのも、NZで浦島太郎をしているうちに、いつも間にか近づいて来ているのに驚く。

今までは、生きていくだけが精一杯で、働かないオプションは全くなかったが、これからの人生、時間とお金の価値の比重が少しずつ変わっていくような・・・

近頃FIREという生き方も話題になっており、私の場合は今更FIREではないが、上記の様なことを改めて考えると、「生活を多少切り詰めても65歳(又は70歳?)より少し早めにリタイアして、元気な自分の時間をもっと楽しむことを本気で考えるべきではないか」と少し悶々としている。

いつのまに還暦目前に?

2020年01月13日 | 生き方
あれは前職の喫煙ルームでの会話だったので、私が禁煙をする前だっただろうか?それとも禁煙後も情報収集とストレス発散を兼ねてタバコ部屋に出入りして誰彼と無く話していた時期もあった・・・但し禁煙が長くなるとタバコの匂いが耐えられなくなったので、禁煙後間もない時期だったか・・・2009年に禁煙したので、おそらく2008-2010年頃のことだったと思う。

すると私が46-48歳くらいだったのか・・・

当時、比較的親しくしていた人が丁度60歳になる時、定年でもう会えなくなると寂しくなると思い、「おやめになられると会社が寂しくなりますね」と声をかけたことがあった。
何故かその時にその人はそれに答えずに「思えば50歳からの10年間はあっという間だったなあ」とつぶやいたのが印象に残っている。

当時は自分がまだ定年まで時間があると思っていた時期で、会社の業績もあまり良くなかったので、「50歳を過ぎると早いんだ」「自分は60歳まで働けるだろうか」と思ったのを覚えている。
それが、あと2年で還暦。確かにあれから今まではあっという間だった様な・・・その間転職もして、海外に来ている身としては、いろいろ有ったし、長かった様な・・・

あの時60歳の彼を”すごいおじいさん”だと思っていたが、いざ自分がその年に近くなっても、あの時と40代だった自分と今の自分はほとんど変わらないと思っている。
しかし、40代の人から見れば私は「初老(もしかしたら「老人」?)」の人に見えるのだろう・・・くどいが、本人は全くそんな気はないのだが。

30歳になった時、40歳になった時、50歳になった時・・・それなりに少しは年取ったと思ったが、ずっと「まだまだこれから」と思ってきた。
今も「まだまだこれから」という思いはそのままであるのだが、一方で「還暦」という事実は・・・それまでにまだ2年あるにしても・・・受け入れる(「受け入れる」とか「受け入れない」以前の単なる事実に過ぎないのだが)ことが出来ない自分がいる。

昔から小説やエッセイでいろんな人が書いてきており、それを至る所で読んできたにも関わらず、いままではヒトゴトとして全く実感が無かった「いつの間に60歳近くになってしまったのか?」という思いにふと気づき、少々戸惑っている。