日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

カタカナ英語の罪

2012年06月30日 | 日記
転職をしたこともあり、自分なりにエンプロイアビリティーを維持する為に、タイから帰ってきてこの10年間継続して週末には英語の個人レッスンを受けることにしています。そうやっていると、昔は嫌いだった英語が楽しみになり、高じてインターナショナルヘラルドトリビューン紙を毎日購読する一方タイム誌も定期購読しています。

とは言っても30代半ばから始めた英語なので、毎日知らない言葉や何度辞書で引いても覚えていない単語(実はこれが多いのだと思いますが・・・)が一杯あり、電子辞書は手放せません。

困るのは、英語の単語の内スペルを見て既にカタカナ英語になっているので「知っている」と勘違いしたり、実際知っているが発音が全く違う単語です。前者は、文脈から「そういう意味では無いだろう」と予測できる場合が多く気づくチャンスがあるのですが、後者は実際ネイティブと話してみて指摘されないとわからないことがあり、何度も大恥をかいています。

前者の例として、「サボる」という言葉の元のsabotageですが、日本語では「勤務時間中にタバコを吸ったりする程度」のことを言いますが、実際は労働者が故意に機械を壊す等、もっと深刻な行為を言います。
タイに居る時に、日本人上司が日本語の「サボる」という意味で「sabotage」を使って大騒ぎになったこともありました。

後者の例は一杯あるのですが、後者が我々の英語上達の妨げになっているのではないかと思います。つまり、ある種の英語の言葉を日本語のカタカナで全く発音が違う表記にしてしまう為、その単語を読んでも全く通じないのです。
一番恥ずかしかったのは、「お金」をカタカナで「マネー」と書きますが「マニー」と発音しないと絶対通じません。数年前外資系の会社に面接に行って英語で面接を受けていた時に、「マネー」と言って通じず、たまたま先方の面接官の横に居た日本人が「マニー」と「通訳」してくれて判ってもらえましたが、あの時は本当に恥ずかしかったです。

数え上げればきりがありませんが、「マクドナルド」と日本では言いますが、どうせ書くのなら「マクダゥーナル」だと思います。これもタイで「マクドナルド」と言ったらタイ人にはよほど可笑しかったのか、「マクドナルド?マクドナルド?マクドナルド?」と馬鹿にされたことがありました。

他にもコーヒーに入っている「カフェイン」は「カフィーン」、「ウイルス」は「バイァラス」、「北京」は「ベイジン」・・・北京の場合は元は中国南方の発音が「ペキン」となっているのを最初使われていた経緯があるので、少し状況は違いますが・・・ちなみに「北京ダック」は「ペキンダック」で「ベイジンダック」とは言いません。
国名で言うと「ゴルジア」は「ジョージア」、「オランダ」は「ホァランド」か「ネザァランド」、「ポルトガル」は「ポルチュガル」、「ギリシャ」は「グリース」、「キプロス」は「サイプラス」等々・・・もっとも、日本語のカタカナは各国の原音に近い場合もあるので、逆に英語が発音が変な場合もあるのですが・・・

この際、日本人の英語のレベルアップを目指すのであれば、カタカナ表示の見直しをしたらどうかと思います。。。少なくとも私はこれでかなり苦労してきました。。。

幸せの青い鳥

2012年06月24日 | 日記


週末はできるだけお金を使わずに健康維持と気分転換を兼ねて家の近所にある入江川という小さな小川に沿った散歩道を歩くことにしています。以前はスポーツジムの会員になって通っていたこともあるのですが、結局筋力トレーニング以外は走ったり歩いたり自転車に乗ったりしている時間が多く、「散歩した方がよほど面白い」と思うようになり、スポーツジムをやめました。
歩いていると、いつもみかける鯉や鴨のペアや白鷺や雀に加え、散歩中のいろいろな犬に出会えて気分が和みます。又季節によって花や木々の葉の色が変化して、思わず息をのむ程美しい瞬間に出会えるのも楽しみです。今の時期はアジサイがきれいで、これを楽しむのはお金持ちであろうが、そうでなかろうが平等にできることの有難さを感じます。例えば、内戦状態にあるシリアとかに自分が住んでいたら、第二次世界大戦中の日本に居たら、こういう楽しみを享受できる余裕はないのではないかと思うと、今の日本で過ごすことができる有難さを改めて感じます。

ところで、今回載せた写真に写っているのは昨日散歩中に見た鳥です。普段は見かけない鳥で、以前もこういう時期に見たことがあるような・・・渡り鳥なのかもしれません。青い色の羽なので、家内に写真を見せて「幸福の青い鳥だといいね」と話しておりました。「今の日本で過ごすことができる有難さを改めて感じます。」と言っておきながら、「もっと幸せに」「もっと豊かに」「もっと楽しく」と際限なく求めてしまう自分の心の動きが、我ながら不思議です。「今が幸せ」と思えれば、心が安らぐはずなのですが、そういう境地を維持するのはなかなか難しいです。

ならぬ堪忍、するが堪忍 と 人間万時塞翁が馬

2012年06月23日 | 日記
子供の頃、よく祖父母に「ならぬ堪忍、するが堪忍」と言われたのを近頃思い出します。堪忍が出来るような堪忍は、そもそも堪忍ではなく、「堪忍できない」と思う時にする堪忍こそ、本当の堪忍だということは、わかっていたつもりですが、実行は難しく・・・

その言葉をあまり守らなかったせいか、今迄二回も転職してしまいました。

この言葉は、私の解釈では「単に泣き寝入りする」というのではなく、腹が立った時、「怒った方がいいのか」「今は我慢した方がいいのか」を冷静に判断した上で、「我慢した方がいい」のでえあれば、「力いっぱい我慢する」ことだと思っています。
難しいのは、「怒った方がいい」と本当は怒らない方がいい場面で思い込むことで、その時は、「ここは自己主張すべきだ」と思ってしまうことです。逆に「自己主張すべき時に、堪忍してしまう」ことも有り、後にならないと本当はどうだったのかわからない、いや、本当は後になってもわからないのかもしれません。

とここまで書いてみると、「やっぱり、人間万事塞翁が馬ということかも」と改めて思い直します。大学に合格するのもしないのも、第一志望の会社に入るのもはいらないのも、その他全て願いどおりになるのもならないのも、本当に良かったのかどうかは、時間が経つのにつれて自分自身の中で評価が変わっていきます。

今の大河ドラマの「平清盛」も、平氏が権力を独占して、武士階級から離れてしまうことが、その後の大きな悲劇を招いてしまう。鎌倉時代の北条氏もライバルを倒して権力を独占してしまう時に破局が始まったように思います。

ただ、結果だけ見て、「あの人はかわいそう」と第三者は思いますが、本人にとってみれば、又違うのかもしれません。少なくとも、地位の低い武士で一生を終えた場合の清盛よりは、栄華を極めた実際の清盛の方が幸せだったかも・・・いや、高い地位を得ることによる緊張や策謀を巡らしたり一族の将来の心配をするよりは平凡な武士だった方がよかったのかも・・・

と考えると、「人生の幸せってなんなのかなあ」と結局何の結論も出ないままになっています。

いきなり話が飛ぶような結論ですが、「結局本人が幸せだと思うかどうかで幸せは変わってくるのかも」と思いますが、この話は又違う視点で書くことにします。

蛍鑑賞会顛末

2012年06月18日 | 日記


再び花木園の蛍鑑賞会のお話です。。。

一昨日が雨で、昨日鑑賞会が挙行されました。

午後7時半開園で8時半迄ということなので、早めの夕食をすませて午後7時過ぎに家内と二人で出掛けました。7時半少し前に花木園の前に到着。門の前には人がそれなりに居ましたが、ざっと数百人程度・・・三溪園に比べればとても少ない数。。。

頭の中には、花木園中を蛍が飛び交って、人々がそこかしこで静かに見るイメージが。。。

7時半丁度に門が開き、「やはり、日本人、時間には正確」とポジティブな評価をしながら園の中へ。。。中学生以上は一人百円以上の寄付が求められているので、百円玉をじっと握りしめて列に並んでいました。
漸く我々が入る番で、ずいぶん待ったような気がしても、ほんの数分間。お金を募金箱に入れて園の中へ。。。あたりは蛍が乱舞。。。。。、しているはずが、まだ何も見えない。。。
「きっと池の周りにいるのかも、まだ日が暮れたばかりなので、いまから?」と期待に胸を膨らめつつ前に進みます。。。
池が見えても、何もいない。。。正確には見物客は一杯いましたが。。。見ると見物客が池のうえにかかった橋で止まっている。。。「あそこにしかいないのか」、と少しがっかりしながら、そこにたどりつくのを待ちました。

漸く人々が「光った」と言っている場所にたどりついても。。。昔田舎で見た蛍の光景とは似ても似つかない、「光っている」と言っているところにそんなきれいな明かりもなく、一気に白けてしまいました。

その後、園内の休憩所に蛍を集めて展示している場所があり、そこが唯一の蛍らしい蛍の明かり。

家内には「時間とお金を無駄にした」と文句を言われながら家路についたのでした。

年寄りの冷や水? 久しぶりに転職活動などしてみました・・・

2012年06月17日 | 日記
ふと思い立って、国際協力機構いわゆるJICAの社会人採用に応募してみました。結果は面接にも至らず全然だめだったのですが、ちょっと気持ちが若くなったような気がします。
受験に際して、TOEICが860点以上必要だというので、10年ぶりに申し込んで、若い人に交じって試験を受けてみることから始まりました。TOEICの成績が出て、ぎりぎり860点をクリアーしていて漸く応募資格が出来、JICAのホームページで応募。
エントリーシートなるものを記入して待っていると、小論文の提出が求められました。私は「少子化と日本経済」について書いたのですが、ついつい方向性がタイに・・・
少子化⇒労働力不足⇒企業の海外移転⇒税収不足⇒年金の破たんや国債の暴落というAs isのシナリオを避けるためには女性の活用+海外からの労働力の積極的活用に加え、日本の高齢者を受け入れる施設をタイに作りましょう⇒ぜひ私をそこで働かせてほしい
といった内容になってしまい、家内に「まじめにやってるの?」と白い目で見られてしまいました。いやいや、世の中に役に立つ仕事をもっとしたいのであって、タイに住みたいというのは枝葉末葉の事で・・・と言っても信じてもらえませんでした☆

さらに、並行してウェブでの試験にチャレンジ・・・これが意外に難しいというか時間が全然足りませんでした・・・とりあえず、最後の数分は適当にクリックして終了させることに専念。

と振り返ってみると、落ちて当然なのですが、楽観的な私としては「一次面接」「二次面接」「最終面接」の日程に休みがとれるかどうかを真剣に心配しており、会社への言い訳を考えていました・・・ところが、先週中頃に「今回は残念ですが・・・」という連絡がウェブ経由で入ってしまい、一巻の終わりです。さすがに、その日はちょっと落ち込みました。

立ち直りが早い私としては、今は気を取り直して、「どこかの会社でタイに日本人の高齢者を受け入れる施設を作らないか」と当てもなく考えております。とりあえず、英語はそこそこ、タイ語も日常会話程度、アカウンティングやファイナンスを含む管理部門には強い、なによりタイが大好きなのですが・・・と夢想している毎日です。