日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

楽しんでこその人生

2013年05月12日 | 健康
今朝散歩しながら考えていたことを書いている。

基本的に自分のことをストイックというよりエピキュリアンだと思う。

近頃身近な人を何人か亡くした。80代までかなりストイックな人生を送り、仕事を引き継いだ人にある種裏切られて亡くなったと私には思える伯父。会社員を60迄勤め上げ、テニスや囲碁、お酒を楽しんでいたが、食道癌が見つかり、一年足らずで亡くなった70代の友人。
以前勤務していた会社で副社長までなったが、胃癌で60代前半で亡くなった方。等々、それぞれ生き方も亡くなり方もそれぞれ。

前の会社で、それなりにコツコツ仕事を地道にやっていたが、あまり華やかに楽しんでいいるとは思わなかった方が、直腸癌で50代前半で亡くなったのにも遭遇した。以前の上司が、50代不遇で我慢した後、定年退職になった翌月、朝趣味のテニスに行こうと靴を履いていて脳溢血で亡くなったことも思い出される。

全ての人の人生はそれぞれ違っていて、「絵で描いた様な人生」なんてない事が判る。

私は人生は楽しむためにあるのだと思っている。仕事が楽しみだという人もいるが、私にとっては仕事は楽しむための手段だと思っている。

そこで、私にとり何が楽しみなのか、ふと考えてみた。

美味しいものを食べる事は楽しいが、決して高価な食事ではなく、関西風のきつねうどんやお好み焼きでも十分楽しめる。タイ料理もタイで食べる屋台の味が好きで、これも高くない。日本で食べるレトルトのタイカレーでも結構楽しめる。昨日はスーパーでパエリアのソースを買って来て、ホットプレートで作ったが、これでも結構楽しめた。

お酒も、ブラックニッカや角瓶を炭酸で割って飲むとおいしいと思う。高いワインは美味しいが、そこまでお金出す意味が判るほど舌は肥えていない。

車も、国産の1200CCで十分。住まいは今のマンションに満足している。

音楽もクラシックが好きだが、幼い頃チェロやピアノを習い、父が音楽家にしたかったのを拒否して普通の高校や大学に行ったくらいなので、それほどこだわりが無い。

結局、知的刺激を受ける本を読んだり、京都や鎌倉のお寺を回ったり、海外の古い都市、パリやロンドン、バルセロナ、北京、西安、成都、アンコールワット遺跡等を訪ねることが一番の楽しみであると思う。たまたま30代の駐在員時代に時間を作って旅行したことで、そういう自分に気が付いた。今はそういう余裕と時間が無いので、早く定年を迎えてそういうことをしたいと思っている。

そのためには、定年あるいはお金さえあればアーリーリタイアメントをした後、元気でそれなりの余裕がある必要がある。但し、体を痛める程がむしゃらに働いて偉くなってお金を儲ける必要は無いと思う。

体が元気なうちは働きたい、という気になることもあるが、「体が元気なうちにお金と時間が欲しい、その上で働けて社会貢献できてかつ多少お金が入ってくるのであればもっといいのだが」、というのが正直な気持ち。

ストレスフルな仕事をして、それなりの収入があるが、ストレス発散に儲けたお金をつぎ込んでしまう様な生き方をしている人がいるが、それは本末転倒なのではないかと思える様になってきた。それとは逆に、多少収入が減ってもスローライフで支出を抑えてストレスが少ない、楽しめる人生を送る方が好ましいと考えている。

ブログ始めて一年:平凡な毎日の有難さ

2013年05月06日 | 生き方
昨日ふと気付いたが、今日でブログ始めて丸一年。

あっという間の一年でもあり、いろいろあった一年でもある。

・昨日書いた通り、伯父と友人一人が亡くなった。
・中村勘三郎さん等私より少し年配の方が亡くなった。
・原発関係では復旧がなかなか進まない中、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が始まり、太陽光発電設備は増加。今日の新聞では洋上風力発電の買い取り価格もこれから決めていくそうだ。
・政権が自民党に戻り、安倍首相の安倍ノミクスで、円安が進み、日経平均が高くなった。
・家内が一昨年から病気になり治療しているが、薬の副作用も乗り切り、少し元気になってきた。今後再発しないことを祈る日々。
・仕事は、まあぼちぼち。。。家内のことで会社にだいぶ無理を言って、一年前は左遷同然でかなりプレッシャーを感じた時期もあったが、この一年コツコツやってきたことで、少し居場所が見つかった。会社の親しい仲間が何人か退職していった中、よく残れたという見方もある。

来年の今日はどういう事を考えているのだろう。

「いろいろあったが、何とか大過なく、平和に夫婦元気で暮らしている」と書きたいものだ。

平凡な毎日の有難さが身に染みる。

父の逝去から丸4年目を迎えて想う

2013年05月05日 | 生き方
昨日、今年亡くなられた年上の友人のお墓参りに行って来た。

昨年食道癌が見つかり、検査の結果転移もあったので、手術をせずに抗がん剤だけの治療。抗がん剤もすぐに効かなくなり、自宅に戻って数か月後の逝去だった。
亡くなる一月ほど前に友人達とお見舞いに行った。本人も周囲も事前に知った上の死だった。

父を4年前に亡くした時は、直前まで一緒にドライブをしていて、本人はいたって元気だったのだが、その数日後、急に気分が悪くなり、病院で点滴をしていたら容体が悪化し、亡くなった。本人はその日迄自分の死近づいているとは考えなかったと思う。

唯、一緒にドライブした時に、「いろいろあったがいい人生だった」とか言い出したのが後で「予感はあったのではないか」と私には思えたりした。又、その前の年から昔の写真を処分して、最後に会った時に「この写真の一部を持って帰って欲しい」というような事も言ったのが、さらにその思いを強くさせた。

先月、父方の伯父が亡くなった。これも一人暮らしをしていて、そのビルの屋上にある花壇で倒れているのが見つかった時には既にこと切れていた。これも突然の死だったと思う。

私の場合どういうことになるのか判らないが、父や伯父の遺伝子を受け継いでいるのであれば、突然心臓麻痺か脳梗塞での死になるかもしれない。

癌の様にあらかじめ向き合って迎える死と、突然の死。本人の意思で選べるわけではないが、どちらが本人や残された家族にとって辛くないのか、今は未だわからない。

明後日は父の死から丸4年経過する。まだ、父の事を考えると悲しみで胸が痛む。

この年になると、身近な人が一人ひとり減っていくことが、悲しく、寂しい。