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日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

日本で暮らすリスク?脱出するリスク?

2012年07月29日 | 日記
いつの時代でも、地球の終焉や自分の住んでいる国についての不安を感じる人がいます。杞憂という言葉は中国の杞という国の人が、天が落ちてこないか心配したことから生まれていますが、杞憂は心配する必要のないことをあれこれ考えることです。

しかし、今日本に住んでいる我々が感じている不安は杞憂と言っていいのかどうか疑問に思うことがよくあります(杞憂かもしれませんが・・・☆)

日本国債の発行残高がGDPの二倍にも達していることから、国債暴落、円の暴落、ハイパーインフレーションというシナリオ。福島原発の制御が出来なくなる可能性。次の巨大地震で他の原発の事故。中国が計画している原発増加後、事故が発生した場合、日本に放射能が降り注ぐ可能性。。。等々。。。既に至る所で言われているので、詳細は書きませんが、見えているリスクシナリオはどれも起こる可能性は否定できないものばかり。

起こる可能性が否定できない、ということはいずれ起こると考えておいた方がいいのではないかと思います。

ただ、上に述べたことが発生した場合、日本経済が大きなダメージを受けることになるので、年金や日本に依存した企業での仕事に頼ったままで海外移住してしまうと、何かが起こった時に海外でも生活できなくなります。

と考えると、

「外資系企業の海外支店で日本語や日本人であることに頼らず働く」か

「できるだけ貯金を殖やして、海外に移住してその貯金をドルや金、各国の株式等に分散してそのお金で生きていく」

というかなりハードルの高い海外移住でなければいけないことになります。

ただ漫然と日本に居るのではなく、少なくともハイパーインフレーションや放射能汚染の最初の一撃を避けることを考えて、海外に移住するのも次善の策かもしれません。その時、そこで何ができるか考える、というのが我々にできる可能性の高い方法かもしれません。そもそも、何か起こるときに自分が何歳かによってできることも違ってしまいますし、生きているうちには起こらないこともあり得ます。
海外と一口に言ってもその国に住むことのリスクも国によって違うし、とりあえず治安は今の日本はいいですし・・・

と、書いて来ると、結局どういう行動を取ろうが、一つのリスクを避けて違うリスクを選ぶことになるだけではないかと思えてきました。そもそも、「リスクを避ける」という発想が間違っていて「どのリスクを自分は選ぶのか」ということかもしれません。

ま、生きていることはリスクに直面し続けていることであり、それを一つ一つクリアして行って、どうしても避けられない事(病気や年を取ることも含めて)に当たるまで頑張るしかない、というのが今日の結論(?)でした。

五十肩・・・のようなもの?

2012年07月21日 | 日記
一月程前から腕の上部の筋肉が痛い。単なる筋肉痛だと思って放っておいたのですが、痛みは減るどころか段々増すばかり。特に朝起きて起き上がる時に力を込めると結構痛いのです。
考えてみれば、筋肉痛になるような運動をした覚えがなく、通勤時に思い鞄を持って吊革に掴っているくらいのことで、これが原因なら何故今まで痛くならなかったのかが不思議です。

今日は思い切って近くの形成外科に行ってみました。

手の指の感覚のチェックや手の指の動きのチェック、腕全体の動き等をチェックして、念のためにレントゲンで検査・・・骨には何の異常もなく、腕と肩甲骨の間の関節の横に石灰質の小さな塊があることが判りました。それがどうも痛みを引き起こしている、というのがお医者さんの見立てでした。

「まあ、五十肩のようなものでしょう。放っておくしかないですね。もっと痛くなれば痛み止めの注射もしますが、今はその必要もないでしょう。」ということで、原因は判ったが特に治療もなく、我慢するしかないようでした。

五十になって、老眼が気になり始め、五十肩になって、と若い頃は何か症状があれば治療が可能な病気だったのが、「年のせい」の不具合は我慢するというか「受け入れる」しかないようです。

歴史を学ぶことの効用について

2012年07月15日 | 日記
以前から歴史の本を読むのが好きです。

将来お金に余裕が出来て働かなくても食べていけるようになったら、もう一度大学で歴史を勉強したいと思うほどです。
それが無理でも、定年後カルチャーセンターにでも行って歴史の本を読んで、実際その土地を旅行して、というのが一つの夢です。

と言ってもそんなに固い教科書みたいなのは骨が折れるので、中国の歴史は陳舜臣さんの「中国の歴史」シリーズか、もっと優しく「小説十八史略」シリーズ、西洋の歴史は塩野七海さんの「ローマ人の物語」、日本の歴史は井沢元彦さんの「逆説の日本史」シリーズを愛読しています。歴史といってもそれ以外の国の歴史があるのですが、ローマ、中国と日本の歴史だけでも結構楽しめます。中国は十八史略以降の歴史も個別に読むことで、何となく全体の流れが頭に入ります。

歴史を読んで思うことは、「人間のすることは基本的にこの何千年間変わっていない」ことや「その時々の指導者の意思決定能力によって大きく歴史は変わる」こと。それに「なぜか一人の人間に権力が集中するが、時として権力が集中しすぎた場合は、その人が亡くなると同時に揺り返しが起こる」こと。なぜか、病気の床についていてもその人がこの世を去らねば揺り返しは起こらないのが不思議」です。例えば、毛沢東、則天武后、西太后、豊臣秀吉等がこの例でしょう。

一番の効用は自分を客観視できることかもしれません。自分の置かれた境遇を鬱々としている時に、歴史を読むことでもっと長いスパンで考えると自分が悩んでいることなんて何でもない事が判ります。今日も先ほどの文章を書いた後、逆説の日本史シリーズをちょっと読み返して心が晴れました。

なぜか憂鬱な時・・・

2012年07月15日 | 日記
ここに書き込む時はできるだけ前向きな気持ちで書き込もうと思っているのですが、時々どうしても気持ちが明るくなれない時があります。

原因は大したことではないのですが、自分の思い通りにならなかった時にうまく気持ちをかわすことが出来なかったり、過去の失敗をくよくよ思い返したり、「50にもなって何やっているのだろう」と思う時等・・・

先日も古い友人と会って飲みながら「20代の頃は50になったらもっと余裕があると思っていたなあ」等と嘆いておりました。

60過ぎてお金に多少余裕があったらタイに長期滞在しよう、いや55歳でなんとかならないか?・・・というようなことを考えるのは一種の現実逃避なのかもしれません。
人生のある時期までは「出世して、金持ちになって、何かを成し遂げたい」と思っていたのが、思ったほど出世もできず、何か成し遂げられそうにもなく、「日暮れて道遠し」という気分になっています。

今日はちょっと気持ちが塞いでいるので、明るい話題がかけず見て頂いた人に申し訳ありません。愚痴るのはこれくらいにしておきます。

気持ちが前向きになったら現実逃避の(?)タイ移住計画でも書き込むつもりです。

パッタイを食べられる幸せ

2012年07月07日 | 日記
今日のお昼はタイ料理のパッタイでした。



これ(↑)を買って来てもやしと韮と卵とシーフードで料理、それにタイから買ってきた唐辛子がいっぱい入ったナンプラーをかけて・・・満足して思わず昼寝してしまいました・・・タイ人になったような気がした幸せな一日でした。



こんなことで幸せが感じられるようになったのは、年をとったから?いろんな人に会ったから?・・・判りませんが、昔は「人生で何か成し遂げなければ意味が無い」とか「お金持ちになって贅沢をしたい」と思っていましたが、ある人に「目標を下げれば人生は幸せになれる」と言われ、目から鱗が落ちた様な気がしてからかもしれません。

今後、給与がどうなるかわからず、年金もどうなるかわかりませんが、「自分が幸せだ」と思える状況がお金があまりかからないものにしておけば、何とか幸せには暮らせるのではないかと思ったりしております。

そういう意味で、休日に何か料理を作って、家内と楽しむ趣味というのは、お金もかからず、家庭も円満で、自分も幸せになれて長続き出来そうな気がします。