ひみつの独り言

kimura君おっかけおばさんの本音

ICWRの続き

2009-06-11 20:35:04 | Weblog
まだ、一度しか観ていないから、2度目を観たら感想が変わってくるかもしれないけれど、一度目の感想をちょっと、書き留めておこうと思います。

思い出したこと。
シタオがス・ドンポにに磔にされるところは聖書の逸話とパラレル。
自分は怖くない。地獄を見たから。と、確か言ったと思う。
原語では、You don't know what I have done.と言ったのね。
イエスは、「彼らをお許しください、彼らは、何をしたかわからないのです。」
と言って、父なる神に許しを乞うのです。
それを、今回、ドンポに言わせている。
地獄を見たからと(意訳ですね~)
同じ言葉をス・ドンポと対面したときクラインが言う。
彼も地獄を見たから怖くないと・・。
そこで初めてお互いの気持ちが通じ合い、クラインはシタオのいる場所と教えて
もらうのですよね。
ということは、お互い地獄を見て救われない身だとわかってはいるけれど、
本当は深い苦悩の中にいる。
やはり、救われたいと願っているのだと・・。
初めて、極悪非道なス・ドンポにも人間らしい血の通った部分があることがわかったシーンでした。
どんな罪を犯した人間でも、救いを求めている。
地獄の淵でのた打ち回っている。
それが取りも直さず、現代人の姿を物語っているのかもしれない。
深い闇の中にいる人々・・。
本当に救われる日は来るのでしょうか?
救い主シタオは現実に現れるのでしょうか?

痛みを美しいと感じるその由来は十字架に架けられたイエスの姿ですよね。
肉の苦痛を持って、人類の罪をあがなったその気高さ、美しさに繋がる。

まぁ、私は、痛みに美しさは感じたくないですね。
フランシス・ベーコンの絵を観て、美しいとは思えない。
あれは、私にとっては美しくはないけれど、画家の自己表現です。
そういえば、岡本太郎も言っていた。
芸術は爆発だって
内面から噴出してくるものであって、決して美しく癒されるものではないと。
芸術も時代によって随分変わっていきますよね。
私は絵を観るのがかなり好きなのですが、現代美術は(ものによるけど)
あまり好きではありません。
好きになりたいとも思わない。
絵画に限らず、音楽も現代音楽は耳に優しくない。
耳に軋むその音を不快だと思うその心を持ち続けたいとこそ思っています。
芸術とはなんぞやと思い始めるとまた頭がおかしくなってきそうだけど、
ノーマル(勝手にそう思っている)な感性を持ち続けたいと思っています。
現代芸術は長い歴史の中で永遠の輝きを持ち続けるのかしら?
まぁ、すべての時代に意味があるとも言えるけれど・・。

ああいうのをいいと思うようになったら、ハスフォードに同化したクラインになっちゃうよ~。


でも、この次映画を観てきたら、感想がすっかり変わるかもしれない・・・。
木村君の引力には敵わないから・・