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芦原やすえの気まぐれ便り

原発のない町つくりなど、芦原やすえの日々の活動をご紹介します。

北海道旅行!アイヌ民族と自称”開拓者”見聞

2014-05-26 21:46:02 | 日記
 現在、使用済み核燃料は再処理され、高レベル核廃棄物はガラス固化され、地層処分が計画されています。
しかし、これだけ地震が頻発し、把握されてもいない断層もどれだけあるかわかりません。日本学術会議が日本における地層処分は困難と警告するのも当然です。それにもかかわらず、この国はいまだ”地層処分は可能”と、こだわりを捨てていません。
 5月24日は、その地層処分研究施設がある北海道の幌延に行ってきました。実は、旭川から地元の教職員組合の皆様のお世話で朝7時30分にバスで出発し、お昼ごろに到着しました。正直言って、幌延がこんなに北に位置しているとは思ってもみませんでした。北海道の皆さん、すみません。認識不足で!ついでに言うと、旭川に朝7時30分に行こうと思うと、2日前の夜に札幌に到着することになります。米子空港から札幌まで直通便があるのですが、新千歳に夜に到着する便しかありません。それでも、直通便で格安とあれば、これを利用するしかありません。なので、1日は観光!本題に入る前に、ちょっとだけ、お付き合いを!
 せっかく行くので、どこに行こうかと考え、いろいろ探しているうちに決めたのが北海道もかなり南に位置する小さな町”白老”でした。ここにはポロトコタン(アイヌ民族博物館)がありました。”ポロ”とは、アイヌ語で大きなという意味で、”ト”は湖、”コタン”は村という意味だそうです。その通り、この施設は静かな湖のほとりに建っていて、その奥は森へと続いていました。
 ここは観光施設なのですが、博物館に入ると客が誰もいなくて、ガイドの方をほぼ独り占めでした。途中で二人のお客さん(この方たちもアイヌの歴史に興味津々の様子でした)が入ってこられ、結局3人でたっぷりと説明を聞くことができました。ガイドの方はアイヌ協会の方らしく、アイヌの文化や生活、そして明治政府からの圧政の数々をお聞きしました。かつての北海道の大地が自然の豊かな大地で、その恵みを受けながらアイヌ民族は争いを好まず暮らしていたようです。武士たちが参勤交代に持参していた漆塗りのおひつと、アイヌの人たちは鮭100匹と交換していたとか。その際、武士たちは最初の1匹目を”はじめ”と数え、2匹目を1と数え、最後を”終わり”と数えてごまかしていたのだそうです。当時、鮭は大量にとれていたので、アイヌの人たちにとっても1匹や2匹は大した問題ではなかったようですが、思わずガイドの方に「だます方が悪いですよ!」と言ってしまいました。そして、明治政府は、東北地方に住んでいたアイヌの人たちを北海道に強制的に移住させ、アイヌ語も禁止したといいます。なんだか、朝鮮半島でかつてやったことと同じじゃないですか?侵略には、こんな先例があったんですね。ちなみに、帰りには自称「開拓者」の歴史が展示してある旧北海道庁(赤レンガの庁舎)にも行ってみました。とても豪奢な建物で、権威の塊みたいな、いかにも明治期に建てられたような建築物でした。部屋の中には歴代の知事の肖像画が飾られ、「アイヌ民族は苦労させられた」という、どこか他人ごとな説明が簡単に掲示されているだけでした。
 さて、本題ですが、長くなるので続きは次回で…