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芦原やすえの気まぐれ便り

原発のない町つくりなど、芦原やすえの日々の活動をご紹介します。

ブログ再開&久しぶりの東京

2017-09-23 22:56:57 | 平和
4月の市議選では、皆様からの熱い支持をいただきながら落選という結果になりました。4年後の再チャレンジに向けて、どのような活動をしていくのか、この間、模索してきました。支えてくださる皆さんと共に、松江市民が抱えている課題は何か、どのような解決策があるのかを議論しながら、市民の皆さんと共に松江市に要請していけたらと考えています。何より、“市民が主役!”を当たり前の市政にしていきたいと思います。
皆様、これからの4年間、ご一緒に歩んでいきませんか?メンバーとなってくださる方を心よりお待ちしています。コメントを下さいね!

久しぶりの東京は熱かった!

9月18日は、久しぶりの東京でした。
この日は代々木公園で「さようなら原発さようなら戦争全国集会」が開かれ、全国から9400人が参加しました。ちょうど台風が沖縄、九州、四国から更に日本海へ駆け抜けていく最中で、島根からは交通機関がストップしたために他に参加がないといった状況でした。台風さえ来なければ、もっと多くの人が全国から駆けつけたことだろうと、ちょっと残念でした。
 私は、前日にはんげんぱつ新聞編集委員会があり、台風が来る前に島根を脱出することができました。18日は、その台風が去り、晴天で、一気に暑さが戻ってしまいました。(前日に着てきた上着をバッグにしまい込んだものの、その下も長袖で、一日、汗をかきっぱなしでした)


不屈の人

 前日の夕方からは、沖縄に次いで上映された「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロウ」を見に行きました。亀次郎さんがどんな人なのか良くわからなかったのですが、沖縄での上映で、長蛇の行列ができたとのニュースの中で、見に来ていたお年寄りが「あの人は神さんですから!」と言うのを見て、いったいどんな人なのか“知りたい”との思いがふつふつと、湧いてきたのです。米軍が怖れたのですから、きっと沖縄県民の思いをしょって立ち上がった人に違いない!そう思って、事前に東京の上映会場を探して出かけていきました。
 感想は?と言えば、本当にすごい人!沖縄県民の圧倒的な支持があったのは当然だと思いました。かつて戦場と化した沖縄で、多くの沖縄県民が犠牲を強いられ、戦争が終わると日本政府によって切り捨てられ、アメリカに差し出されてしまった歴史が、現在も続いていると感じないではいられません。多くの国民が沖縄が日本に返還されるまで、ほとんど関心を持たず、国家同様に経済発展にまい進してきたその陰で、沖縄ではアメリカ軍による占領が続き、家も土地も無理やり軍事基地建設のために取り上げられ、米軍による暴行事件などにも捜査権すらない状態に置かれ、民主主義などないに等しい実態は、沖縄県民の怒りを買っていたのです。沖縄県民の戦いは、占領下からずっと続いていたことがこの映画で見ることができます。亀次郎さんのアメリカの圧政に敢然と立ち向かう姿は、圧巻でした。その墓には、「不屈」という言葉が刻まれています。それは沖縄県民の姿でもあります。そして、その「不屈」は、切り捨ててきた日本政府とその国民の責任を問うてもいると感じました。

関東大震災復興記念館と朝鮮人虐殺慰霊碑

 18日の集会は午後からだったので、午前中は両国駅の近くにある横網町公園に行ってきました。
 ここは、1922年に元陸軍の被服廟跡を東京市(当時は市だった)が買い上げて公園に整備したそうです。そして、翌年9月1日は関東地方をM7クラスの地震が次々と襲ったのでした。それが歴史に残る関東大震災です。当時、この公園には4万人の住民が避難していましたが、四方から火災が迫り、逃げ場を失った人々はこの場所で焼け死んだということです。その数3万8千人。避難したほとんどの人が亡くなられ、最大の犠牲者だったようです。
 公園の中には、慰霊堂と復興記念館があり、片隅には、当時、流言飛語で虐殺された6000人といわれる朝鮮人の方を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災から50年の1973年に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑があります。毎年、この慰霊碑の前で追悼式が行われるのですが、今年の9月には、小池知事が追悼文を寄せることを止めたことで、市民から怒りの声が出ていました。
市民によって、そのような追悼式が継続されてきたことを、不覚にも、その報道で知りました。これは、ぜひ行ってみなければ!そう思い、出かけてみたのです。

 復興記念館には当時の新聞記事や警察からの「流言飛語に惑わされるな!」といった文書も展示されており、6000人という数字が正しいかどうかは、次々と襲う地震と火災で混乱を極める中、今となっては正確な人数を把握することもできません。それでも、虐殺があったことは動かしがたい事実です。碑文には「この事件の真実を知ることは、不幸な歴史をくり返さず、民族差別をなくし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎なると信じます」と刻まれています。その通りだと思います。小池知事は、ここを訪れるべきでしょう。

 その復興記念館には、当時の写真や地震の震度計のデータ記録など貴重な資料があります。驚いたのは、本震はM7クラスの地震なのですが、普通、余震といえばそれより小さい規模の地震が起きることがほとんどです。関東大震災は、その余震もすべてM7クラスです。しかも、本震が発生したその日の内に2回、翌日に3回、4か月後に1回と、立て続けです。当時の民家は木造で耐震性も不十分な建築物ですから、壊滅的な被害であったことがわかります。

 あまりにも規模が大きく、当時は世界中から寄付が寄せられ、多くのボランテイアも救援に駆けつけたようです。それでも破壊されたインフラ整備には巨額の公的資金の投入が欠かせませんでした。当時の政府は、東京に対して資金を拠出したというよりは、貸し付けたようです。当時から冷たい政府だったのかと、思わず悲しくなりました。
 もう一つ、嘆かわしいと思ったことが!当時の報道です。避難する人々の写真のバックに別の場所で火災で煙の立ち込める建物の写真を合成したものを流したりしているのです。それも1枚や2枚ではありません。”何をしているんだ!“と、その写真を見ながらぶつぶつつぶやいてしまいました。でも、この復興記念館、一度は見ておくべきです。

熱い!さようなら原発、さようなら戦争全国集会

 安倍政権が衆議院の解散総選挙を大義もない中、いきなり「やるぞ!」と発した中の集会でしたが、沖縄からは山代博治さんが駆けつけ、受けて立とう!安倍政権を倒そう!と熱烈な檄を飛ばしていました。山代さんの熱いあいさつに、会場からは拍手が巻き起こり、元気をいただいたような気がします。
 福島では、汚染が続く故郷への帰還が求められ、子どもたちの間で甲状腺がんの発症が続く中、それでも原発事故が原因ではないと言い、避難者への住宅無償提供が打ち切られ、多くの住民が苦しい思いでいます。その福島からは、福島原発刑事訴訟支援団団長の佐藤知良さんがあいさつし、「原発事故で責任を取った人はいない。東京電力の罪を問うために1万4千人の告訴団は闘う」と決意を述べていました。
 福島から大阪に2人の子どもを連れて自主避難している森松明希子さんは「憲法で補償された平和に生きる権利を奪われてきた。世界中の子ども達の命を守ることが平和につながる道だ」と述べられ、本当に、この現状は憲法に反していると強く思いました。
原発も戦争も改めて私たちの手で止めなければと強く感じた集会でした。

 

安全保障関連法案に反対!島根県内女性議員アピール

2015-09-08 01:22:22 | 平和
 安全保障関連法案が参議院で審議が行われていますが、政府与党は16日に委員会採決、そのまま本会議にかけると息まいています。
しかし、もはや多くの国民が強く反対し、マスコミによる世論調査においても65.6%の人が反対しているのが現状です。この民意を無視しての採決の意向表明は、もはや民主主義すらかなぐり捨てている状態です。ただ、ひたすらアメリカの思うがままに突き進もうとしているように見えます。
 そもそも、この法案が憲法違反であることは明白で、こんな法案を通すことは立憲主義に反します。なにより、アメリカの行う世界中での戦争に加担する行為は、日本の若者の命を脅かすことになります。それだけではなく、多くの子供たちや女性、老人たちも犠牲にしてきたのが過去の戦争の実態です。安倍政権は、この法案に「平和」という名前を付けますが、国際紛争を武力で解決しようとして、平和になったことはありません。命を奪えば奪うほどに憎しみが返ってくるのが戦争です。
 私たち女性議員は、それぞれの自治体において、命と人権を守り、平和な社会が続くよう努力してきました。その努力が水泡のごとくかき消されようとする現状を断じて許すことはできません。今日は、島根県内31人の現職・元職の女性議員連盟で安倍政権に対して、この法案に対する反対のアピールを出しました。また、記者会見を開き、このアピールについて説明し、お昼休みには県庁前にて該当アピールも行いました。状況は厳しいのですが、私たちは決してあきらめません。

「安全保障関連法案」に反対するアピール

                   
島根県女性議員・元議員有志

島根県内の女性議員・元議員は、次世代を育て守る発言を、政治の場で行ってきました。いま、「命を戦場へ送るわけにはいかない、声を上げなければいけない」と強い危機感を抱き、超党派でアピール致します。
「安全保障関連法案」は7月15日に衆議院において強行採決され、現在は参議院での審議が行われています。しかしながら、憲法9条第1項には「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とあります。  
かつて、私たちの国は二度の大戦を経験し、出兵した若者はもちろんのこと、爆撃を受けた子どもや女性、高齢者、そして周辺諸国を含む多くの人々が犠牲となりました。だからこそ、二度と戦争をしないことを決意し、平和憲法の下、戦争しない国として国際社会に貢献してきました。
「集団的自衛権行使容認」とその具体化による「安全保障関連法案」は、他国の軍事行動に加担し、戦後70年間、守り続けてきた平和な日本社会を根底から覆すものであって、平和憲法と対極に位置するものです。元内閣法制局長官ほか憲法学者など様々な人々が「安全保障関連法案」を違憲と声を上げるゆえんもここにあります。
この法案は大切な人の命を戦場に送ることに道を開くものです。政府は「集団的自衛権行使容認」の解釈改憲をやめ、「安全保障関連法案」を廃案にすること、憲法に則り、国家間紛争の解決手段として武力の行使以外の解決手段を持つこと、一国のみならず世界の平和を追求し命を守ることを政府に求めます。

2015年9月7日

呼びかけ人 島根県議会議員 白石恵子 角智子 松江市議会議員 芦原康江 吉儀敬子
賛同人
現職議員  原田貴与子(安来市) 大和磨美(邑南町) 寺戸昌子(津和野町) 安達美津子(益田市) 大垣照子(奥出雲) 福田佳代子(大田市)
      京村まゆみ(津和野) 弥重節子(益田) 
元職議員  萬代弘美(県議会)  田村節美(県議会) 光谷由紀子(雲南市)下寺共子(益田市)   太田 薫(松江市)  勝部加代(松江市)
      安達久美子(鹿島町) 小笹和子(東出雲町)飯塚悌子(松江市) 福間紀代子(宍道町) 山下倫代(川本町) 山根里美(横田町)
      川上テル子(江津市) 岡堂美恵子(金城町)井上愛子(八雲村) 杉山郁子(木次町)  森脇弘子(江津市)  上代和美(大東町) 
      竹内志津子(津和野町)