風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

旅の終わりに近づく

2010-10-03 18:06:00 | 1996~97原付日本一周後半編
1997年6月13日

滝木キャンプ場出発。

12:30~13:30
岐阜県の365号線沿いのコンビニで昼食とルート選定をしていた時、ふと空を見上げたら、太陽周りを囲むようにリング状の虹が出来ていた。

これはその時に描いたスケッチ。

14:20~14:57
「ユートピア」にて風呂。350円。

19:00
矢作川沿いにてテントを張る。

6月14日
8:50出発。
今朝、新たに後輪のスポーク1本の折れを発見。
心臓が高鳴る。これで5本目だ。

写真では4本が折れた時の記録のみ。

冒険と無謀は違う。
しかしこれは一種の賭けだ。
あともう少し。ガンバレベンリイCD50。
カーブの時はなるべくバイクを倒さないよう、なるべく後輪に横の力をあたえないよう心がけ、速度を一定に保ち、かつ均等に後輪が転がるように努める。
歯抜けになった後輪に均等もクソもないのだが・・・。

12:20~12:47
362号線沿いの河原で昼食。

17:22道の駅とみざわ。

18:50本栖湖着。湖畔にテントを張る。
この日の走行距離301.3km。

天竜川の源流まで行きたかったが、地図を見ていて、今のベンリイ号の状態では行けそうも無いのであきらめ、昨年通った天下の国道1号線を通る事ににした。
しかし、何から何まで1号線を通るのもつまらないので、バイクには申し訳ないが、違うルートを走ったりもした。
301号線や52号線ではヘアピンカーブや急勾配多く、冷や汗ものだった。
しかし、何とか本栖湖にたどり着く事が出来、良かったと思う。
「家」への輪郭が強くなってきたのは否めない。
また、AYさんの思いも強くなってきた。
いや、それだけではない。
IB君、STさん、TKNさん、ABさんなどなど、知り合った顔ぶれが強く頭に浮かんでくるようになってくる。

しかし、今日はとんでもなく走った。(※50cc原付バイクとしてはの意味)
新潟の暗中雨天の時の次に走ったのではないか。
計算したら、300kmを超えた。
街中の国道走行は、白バイがウヨウヨだし、車も渋滞し、信号がやたらに多くてイライラする。
おまけに空気も悪い。
暑さも沖縄のような天然の暑さではなく、人工的に作られたような、よく言われるヒートアイランド現象的な暑さなので、気持ち良くない。
ツーリングでは国道街中を走るものではないなとつくづく思った。

さて、本栖湖まで来れば、帰還まではもう射程圏内だ。
何とかなりそうだ。
しかし、最後まで気を抜かずに走り通そう。

1年がかりの日本一周の旅が、なんとか完成できそうな所まで来た。
いろんな事があって、これを忘れる事の方が難しいだろう。

全く別の人格になるほどに変わる事はなかったが、かなり心の中はリフレッシュする事は出来たと思っている。
ただ、社会復帰の前に何だか旅にハマリそうで、そこら辺が微妙なところ。
その選択はどちらも不安であり、楽しみである。

今(1997年当時の事)パッと頭に浮かんでいるやりたい事を書いておこう。
○カリフォルニア州にあるセコイアの木の森に居る、地球上で最大の生き物「シャーマン将軍」に会いたい。
○スミソニアン、チャンプリン、プレーンズ・オブ・フェイムへ行きたい。
○ヒマラヤの山々を見たい。
○日本縦断3000kmを歩く。そして、写真がメインではなく、スケッチを主にやりたい。着色は主に色鉛筆。そして、日本一周で行きそびれた所へ、この時に行こう。
○ヨーロッパゴシック建築探訪の旅。主に鉄道で。
○ドイツ、バッハ探訪。オルガン探訪。
○ギターを弾けるようになる。
○20代の僕のエネルギーの保存。創作。
○中型バイクの免許を取る。

・・・こんなところだろうか。

とにかく家に着いたらバイト探しだ。
短期に金が稼げるバイトをしよう。

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