風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

波照間離れる

2008-06-23 21:44:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年4月24日

・・・ついにこの日が来た。ウソではない。本決まりだ。
4ヶ月に及んだ波照間での生活も終わりである。

ここは本当にいろいろな思い出のつまった島だ。

きび刈りのこと。
Uさんと出会ったこと。
飛び魚漁のこと。
島の人たちのこと。
沖縄の音楽や文化のこと。

今は、僕の生きる道の本当の意味での分岐点なのだ。

しかし、反面、また走らなくてはいけないんだなという、かったるさがあるのも本当である。
日本一周の残りを走るのがおそろしく面倒くさい事のように思えてしまうのだ。

AM10:00頃目が覚めた。
さーて、片付けだ。
フルパッキングなんて4ヶ月振りだもんな。うまくまとめられるかな?
まっ、やるしかないな。と、のんびりまとめに入った。

うちわだの貝だの泡波だのと余計な物もあるからなかなかまとまらない。
知らぬ間に荷物が相当増えてしまったようだ。

それでもなんとかまとまり、バイクにくくりつけ、後は折りたたみバケツに放り込んだ。石垣島に渡ったら、余計な荷物は小包で送るつもりだ。

ゴミや忘れ物がないか確認し、居心地の良かったモンパの木の下テント場に別れを告げ、出発。
フルパッキングで走るのはこれも4ヶ月振り。
荷物が重いのでフラフラし、とても窮屈だ。

船の出港までには時間がある。
最南端の所へ行き、高那崎を見渡した。
結局星空観測タワーに行く事はなかった。

島一周道路を走りながら、4ヶ月に起きた様々な出来事を思い出す。
キビ刈りが終わった島は、とても静かで穏やかだ。

数日前に撮った誰もいなくなった寮。
トタン屋根で、雨が降ると話し声は聴こえなくなるし、あちこち雨漏りする粗末な家だったが、世話になった家だ。


集落に入り、名石売店で八重泉を買う。
キビ刈りでとてもお世話になったKMさんへのお礼だ。
売店の外にあるテーブルでKMさんにお礼の手紙を書き、KMさんの家に行く。
あいにく留守だったので、酒と手紙を置いていく。

名石売店で店番をやっていたよしみさんは、とても良い人だ。
キビ刈りの分散会の時、三線を持って歌ってくれたり、人生談義などもした。
よしみさんのパートナーのじゅんさんには、いろいろ痛いところを突かれたが、これも自分の人生の指南だと思って受け止めた。

学校の卒業記念の壁画を見る。
べスマとは、私の島と言う意味。






ターミナルに行き、OMさんの奥さんにあいさつした。

フェリーにバイクを入れた。
キビ刈り隊では僕が一番最後に島を出るので、見送りする人はだれもいない。
そこが最後に残った人間の寂しいところだ。

因みに、途中で辞めてしまった飛び魚漁だが、大漁過ぎて値が下がり、「大漁貧乏」状態だったそうな。

15:00
船が出港する。
ついに、ついに波照間を離れた。

この時も、色んな思いをめぐらせて島を見渡した。
悲しさは全くない。
すぐまた来るさ、と言った軽い感じだ。

船室に入ると、操舵室から三線の音が聴こえた。
そして歌が始まった。実に上手だった。
1時間くらいやっていただろうか。
船室でボーっとくつろいでいた。

石垣島に着いたら、まず米原キャンプ場だな。
誰か知っている人いるかな。
Z君NT君、くまさん、etc...
いないかな?

17:25頃石垣到着。
買い物も何もせず、まっしぐらに米原キャンプ場に向かう。

誰かいるかなーと思いながら、キャンプ場をウロウロしたら、いたいた。
髪がのびたNT君とくまさんが。

あいさつに手を上げる。
向こうさん、はじめはきょとんとして手を上げた。

そしたら、思い出したか、急に「オオオオー!」と声を上げてきた。
「おお!K君戻ってきたかぁ!」

1号棟の炊事場にテントを張ることにして、荷物を降ろす。
4ヶ月振りに互いに積もった話をしあった。

旅先の出会いとは言え、再会できると、古い親しい友人と会ったような気分だった。