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脱亜の理由

2015-02-01 06:39:52 | 国際・政治
北東アジアのパクリ文化圏には、イミテイションに徹する香港人と、それを乗り越えようと励む日本人がいる。
現実を現実に再現すれば、それは模倣である。模倣は比較的容易ある。が、それだけ競争が過酷になる。
非現実の内容を現実に再現すれば、それは創造である。創造は難しいので、競争は激しくない。マイ・ペイスで仕事ができる。
特亜三国人 (日本人・韓国人・中国人) は、模倣が得意で、創造が苦手である。
創造は、人間だけが持つ能力である。人類の英知である。
特亜三国の言語には、時制が無い。特亜三国人の考えには、現実 (現在) があって非現実 (過去・現在・未来の別)が無い。
意思は、未来時制の文章内容である。意思のあるところに方法がある。
意思のある人には、加害者意識もある。加害者意識は、罪の意識である。深刻な反省が必要になる。
特亜三国人には、意思がない。罪の意識がない。深刻な反省がない。
自分自身も罪びとであることを考えれば、罪を犯した人を見ても執拗にそれを責め立てることは出来ないものである。聖書には、次のごとく書いてある。
「先生、この女は、姦淫の場で捕まえられました。モーゼは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」、、、、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」、、、、、これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、、、、(引用終り)
特亜三国人には、罪の意識が無い。だから、加害に便乗する。「やらなきゃ、損・損」ということである。罪びとを見て執拗に攻めたてる。こうした姿勢で、罪の意識のある西洋人と呼応しようとしている。そのうちに、罪を知らない人たちの化けの皮がはがれよう。深刻な反省に至らないことは、特亜三国は同程度でしょう。お互い様か。脱亜入欧が必要である。
米MIT (大学) の教授・ジョン・ダワーは以下のように述べています。
、、、、、よしんばこれ [東京裁判] が「代表的」指導者に戦争責任について説明責任を問うための発見学習的あるいはショウケース的裁判であると了解したとしても、ある種の集団、ある種の犯罪がそこから見逃されていることはいかにも顕著である。ひとびとにおそれられた憲兵隊は誰も起訴されなかった。超国家主義秘密結社の指導者も、侵略によって私腹を肥やし、「戦争への道」を拓くことに親しく関与してきた実業家も、起訴されていなかった。日本が植民地統治していた朝鮮人と台湾人を強制動員したことは「人道に対する罪」として追及されなかったし、何万人もの外国人の若い女性たちを狩りあつめて帝国軍人に性的サービスを提供する「慰安婦」として働かせたことも訴追されなかった。また、検察団を支配していたアメリカ自身が、残虐非道さにおいて疑問の余地のない罪を犯した特定の日本人集団を、秘密裏に、そっくり免責していた。満州の七三一部隊で、何千人という捕虜を実験台に使って生物兵器を開発していた将校や科学者たちである (研究成果をアメリカに教えることを交換条件に訴追を免れた)。中国における化学兵器使用の証拠についても、検察は真剣には追求しなかった。* (引用終り)
*増補版・敗北を抱きしめて 下 第二次大戦後の日本人 ジョン・ダワー 岩波書店 2004 p.261

自分の国は、自分自身で護れ。自分自身の力を示せ。
自国の安全のために、外国人が血を流す事を期待するな。
我利我利亡者 は、理不尽である。日本人は外国の安全のために血を流す用意はできているのか。
虎の威を借る狐に成るな。その根性が汚い。信なくば立たず。

仁王は仏法の守護神である。仁王立ちになって、その強力な力を示す。彼らは不法に対する怒りを示している。が、好戦ではない。
力は正義である。(Might is right.) 弱者の怒りは歌詠みになる。強者の怒りは抑止力になる。
守護神を持たずして法を説くものはむなしい。得意の歌詠みも、ごまめの歯ぎしりに終わるか。
平和はこの世の全てではない。だが、戦争はこの世から全てを奪いとる。だから、戦争を抑止する力は必要である。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
国民が誘拐される。国が身代金を払う。もっと誘拐される。という負の循環を断ち切る必要がある。誘拐ビジネスをなくせ。説教を垂れるか。力を示すか。気分・雰囲気を出すか。

特亜三国人の考えみには、世界観がない。だから、世の中というものは自分の利益、自分の属するグループの利益に限られることが多い。後は野と成れ、山と成れ。アイデアは、グローバルにも、ユニバーサルにもならない。
インド哲学には、前世・現世・来世という世界観がある。
だが、日本人には世界観が無い。我々が次に移行すべき世界の内容が無い。
未来社会の建設計画が無い。建設的な意見が出ない。
大同が無いので、小異で争う。小人の世界に生きている。
考えの内容は現実の事柄に限られる。真理 (非現実) に到達することはない。
我が国には、教育改革が必要である。時制を使った考え方を教育する必要がある。
さすれば、英米人と対等な議論ができる。ポチの世よ、さらばじゃ。





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