4月24日(金)、給料日。会社に入社したのが昭和50年4月だから、
入社来481回目の給料日となるのではないかしらん。毎月決まった
日に振り込まれるということは、考えてみれば、ありがたいことだ。
感謝!
昼休みに給料が無事振り込まれていることを確認(今まで給料日に
月給が振り込まれなかったことはない。これまた考えてみると大変
なことだ)、「1か月分」を引き下ろす。--新入社員だった頃は
必要になるたびに数千円単位で、毎週のように引き下ろして、先輩
社員から笑われた。
帰りは、給料も出たこともあり、「となりのアクバル」で外食。
タンドリーセットで満腹!
神田駿河台3
昔、コンビニ(MINI STOP)だった所が駐車場になっていた。
(神田駿河台3-1)
「となりのアクバル」
タンドリーセット1450円
なんならナンも付けてね~。
その後、KaBosで本をチェック 1冊購入
18日に貨業部第4回OBがありました。出席は男19名、女7名で、懐かしい方々にお会いすることが出来ました。次回は是非ご参加ください(開催されればの話ですが)。
わが社は半月遅らせて4月16日に入社式を行いました
世にいう「自宅待機」であります
因みにわが社の給与計算は、16日から翌15日までの
勤務に関わる分を翌25日に支給するという「後払い
方式」を採っております
つまり昭和50年4月にはワタシは給料をもらえませんでした
こんな風に87名分の新入社員の給料を浮かせざるを
得なかったほど、わが社は困窮していたわけです
時あたかもオイルショックの時代でありました
三菱銀行から経営の大ナタを振るうため社長が派遣され
彼は不採算事業からの撤収(わが社の社名ともなっている
創業事業もその一つです)を断行しました
リストラ策が功を奏し、数年後に復配にこぎつけたとき
件のK社長は「膿は出し切った」と述べました
ワタシはマルキストではありませんが、希望退職に
手を挙げて会社を去って行った方たちを「膿」呼ばわりした
K社長を(社史では中興の祖と呼んでいますが)許すことは
できません
そんなK元社長も既にこの世の人ではなく、ワタシは2年前に
K元社長のおかげで(いや、勇気を出してリストラに応じた
方たちのおかげで)倒産することなく存続した会社を定年退職
いたしました
創業80周年の創立記念日より半月早い7月15日のことでした
そのため、創立記念品は受け取ることができませんでした
フン、誰がもらってやるものか
私の初任給は、10万円を超えていたと記憶しています。なにしろ「石油危機」の後で、昭和49年度は物価が20%上昇し、賃金は29%も上昇した時代でした。福田赳夫大蔵大臣が「全治3年論」を唱えた時でした。
「会社に歴史あり」、「人に歴史あり」ですね・・・・・・。