11月20日(日)午後、木下保先生の没後40年を機に、東京霊園の
お墓の墓じまい式が神式で行われた。
ワグネルからは澤口会長、吉川前会長が出席。
祭事が始まってまもなくすると小雨が降ってきた。
これは気持ちが神様に通じた証だという。
ちなみに先生ご夫妻のお骨は東京霊園「やすらぎの丘慰霊堂」に永代供養され、
墓石と「恩師を讃える歌」の歌碑は、豊岡市安楽寺に移設されるという。
木下保先生とワグネルについては、下記をご参照。
13:42 代々木八幡宮の宮司(禰宜?)さん(平岩さん?)
13:45
14時前から雨が降り出す。
14:01
14:08 「恩師を讃える歌」の石碑
<木下保先生とワグネル>
昭和8年9月 木下先生(29)のベルリン留学 横浜港にワグネリアンが見送りに
(『慶應義塾ワグネル・ソサィエティー65年史』p173)
大塚淳先生は明治39(1906)年にワグネル・ソサィエティーに迎えられて以
来、終始オーケストラと合唱両方の指揮を担当してこられたのであるが、大
正末期から昭和の初期の頃に音楽学校に於ける御仕事が忙しくなり、大正14
(1925)年からはワグネルの合唱指揮を東京音楽学校卒業直後の声楽家、木
下保氏に任せる事になった。
木下氏は数年前より大塚先生の指導を受けており、ワグネルの定期演奏会で
テナー独唱をなさる等ワグネルとの関係は深かった。
大塚先生はヴァイオリン及びヴィオラの演奏を得意としていた関係もあって
比較的器楽に理解が深かったのであるが、音楽学校で声楽を専門に研究され
た木下保氏はドイツ・リードに理解が深く、ワグネルの部員に個人指導及び
合唱指導を通じて少なからぬ影響を与える事となった。
(『慶應義塾ワグネル・ソサィエティー65年史』p158)
昭和30年男声合唱団では梅原先生の後任に木下保先生をお迎えすることにな
った。・・・・・・昭和30年12月に木下先生をお迎えした男声合唱団では、クラシ
ックをもっと深く研究しようという意欲にあふれ、練習を通して少しでも多
くのものを吸収しようという態度があった。そして今までよりも練習時にお
ける緊張感が高まり、合唱技術の向上に努力がはらわれた。
(同p212)
『慶應義塾ワグネル・ソサィエティー65年史』(昭和43[1968]年8月)
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FIFAワールドカップ
オーストラリア(現在勝ち点0)対チュニジア(同1)
日本時間19時キックオフ。この時間帯はおいしい。
どちらも負けられず、勝ち点3がほしい試合だ。
・前半終わって、1対0でオーストラリアリードだが、まだ分から
ない。「いい試合」だ。
・後半、オーストラリアは必死に守る。
・AT6分。オーストラリアが守り抜き、歓喜!勝ち点3。
・チュニジアは勝ち点1のまま。
ちなみに他の組は、ポーランド、フランス、アルゼンチンが「順
当勝ち」。サウジはポーランドに0対2。
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