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戦前期 陸軍の宣伝

2021-09-02 05:00:00 | 近現代史

筒木清忠『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)の
第6章 満洲事変とマスメディア
第7章 5・15事件裁判と社会の分極化
第8章 国際連盟脱退と世論
第9章 帝人事件
第10章 天皇機関説事件
第11章 日中戦争の開始と展開に見るポピュリズム
第12章 第二次近衛内閣・新体制・日米戦争
を読むと、戦前のマスメディア(新聞)と「戦争への道」には正
の相関関係があることが分かる。


大正8(1919)年、陸軍省に新聞班が設置された。

そもそも軍人は、明治15(1882)年の軍人勅諭によって、「世論
に惑わず政治に拘わらず」とされてきた。

陸軍刑法第130条でも「政治に関し上書建白その他請願を為(な)
し、又は演説若(も)しくは文書を以(もっ)て意見を公にした
る者は三年以下の禁錮(きんこ)に処す」とされていた。
(加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』岩波新書p8)

しかし、
 陸軍省は、軍や師団の参謀長に宛て、(19)31年8月、政府の施政・政策な
 どを軍人が批判した場合は法に触れるが、国防・軍備などに関して、軍人の
 職責と本務に照らして「事実の解説並びに研究の結果」を発表するのは禁じ
 られていないとの解釈を通牒した。(同書p9)


 ここで、参謀本部第二部長(情報)・建川美次が、31年3月3日、在郷軍人会
 本部評議会において「我国を繞(めぐ)る諸国の情勢」と題して行った講演
 の内容をみておきたい。

 まず、ソ連の軍備増強のさまを詳しく述べていた。煩瑣(はんさ)な数字が
 並ぶ。

  航空兵力は1927年には97中隊700機なりしを、昨年は203中隊約1700機に
  増加し(中略)戦車については、1927年には戦車隊10部隊であったのを
  拡張して、戦車連隊3連隊、独立戦車大隊4ないし5、独立戦車中隊若干と
  致しまして、現在は約400の戦車を持っております。

 列挙された数値自体は正確であったろう。だが、この数値が極東ソ連軍の航
 空機・戦車配備数ではなく、欧州戦線をも含めたソ連軍全体の航空機・戦車
 数であることは明示されていない。(同書p10)


陸軍の参謀本部などが在郷軍人会(→こちら。満洲事変勃発の昭
和6[1931]年における総会員数290万人。)を対象に我が国の
危機を「宣伝」する(当時、一定の説得性があった?)。

それをまた朝日新聞や毎日新聞が国民に競って報道するという構
図があったのではないかしらん。
当時の新聞を丹念に読めば論文が書ける、かもしれない。


現代におけるメディアの責任や如何。


1.加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)
 新書にしては一次史料からの引用が多い。歴史らしい歴史?
2.筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)
3.半藤・加藤・保阪『太平洋戦争への道』(NHK出版新書)
 満州事変時に「メディアによってつくられた国民的熱狂」につ
 いて論じている。

4.中央大学大学院博士論文要旨 藤田俊「戦間期日本陸軍の宣伝政
策に関する研究」--「
陸軍が総力戦体制の構築に向け、いかに
して民間への軍事の「意義」「重要性」や国策遂行に向けた政治
的行動の「正当性」「有用性」を訴えかけたか・・・・・・」
①創成期(1918-1923)、②発展期(1924-1930)、③変容期
(1931-1939)に分けて分析している。
(上記A4版PDFプリント。芙蓉書房出版より近刊→こちら。)


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