人生ブンダバー

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7/3 東北紀行 角館・秋田(2)

2016-07-13 05:00:00 | 旅行

7月3日(日)、いよいよ角館の武家屋敷観光だ。

定年後の「修学旅行」かな?

角館にはなぜ武家屋敷があるのか?
--お城(角館城)があったからだ。

角館は、室町時代より戸沢氏が居城を構えていた。
関ヶ原の戦い後、蘆名義広(義勝)が角館に入る(--もともと蘆名
氏は会津を拠点としていた)。

蘆名義広は、秋田久保田藩佐竹義宣(佐竹氏第19代)の実弟であ
る。

ややこしいけれど、佐竹氏はもともと常陸国太田城を居城としていた
が、義宣の時に秋田に移封された。
ちなみに義宣の父(先代)義重はなかなかの人だ。

角館蘆名氏は3代で断絶し(*)、替わって佐竹北家が入部した。
なお、現在の秋田県知事佐竹敬久さん(68)は佐竹北家の出身で
ある。

(*)1歳で家督を継いだ千鶴丸(3歳)が、菩提寺の天寧寺参拝の
 折、縁側から敷石に転落死したため。家臣オロオロだったろう。
 天寧寺に立ち寄ればよかった。

また、歌手の藤あや子(55)は角館の出身だ。

以下、写真は私が歩いた順に・・・・・・


10:59 この時間帯は観光客が少ない。


10:59


11:00 仙北市役所角館庁舎前「角館周辺案内」を見る。


11:02 小田野家


11:03 「武家屋敷 小田野家」 
仙北市指定史跡 昭和50年8月6日指定


11:04
佐竹義宣の秋田への国替えに(上述参照)、常陸より少し遅れて移
ってきた小田野氏は、今宮弾正の配下となり、角館の菅沢町(現在
の田町武家屋敷)に居住した。

小田野氏は角館に入ってから分家をつくり、ここの小田野主水家は
長右衛門家から分かれた清右衛門家である。

両家とも佐竹北家組下に変わり、解体新書の挿図をはじめ蘭画で
名高い小田野直武は長右衛門家の人であり、裏町に住んだ。

ここの小田野氏は、主水を代々名乗り、武芸に秀でていた。9代藩
主佐竹義和が、文化8(1811)年角館を訪れた折りに小田野主水
直政(19歳)は、藩主御前で武芸を披露している。


11:04


11:06

女性お二人が写真を撮り合っていたので、「写真、撮りましょうか」と
お声掛けし、そのかわりに撮ってもらう。→下の写真。


11:07


11:08


11:08


11:09 小田野家~河原田家が庭で繋がっている。


11:09


11:10 河原田家


11:10 河原田家の門


11:10


11:11 「桜の里」 
昼には少し早いが、混む前に、比内地鶏の親子丼を食す。


11:12


11:12


11:12


11:19 これが名物の親子丼 う、旨い。


11:29


11:42 角館武家屋敷資料館に入ってみた。


11:46


11:48 徳川幕府諸侯格式一覧表
久保田藩20万5千石
ちなみに、加賀102万石、薩摩77万石、伊達62万5千石、桑名松平
は11万石だ。


11:51 佐藤養助稲庭うどんのお店 古泉洞


11:52 この建物は江戸時代の寺子屋で・・・・・・


11:52 「非公開」の武家屋敷


11:52 柴田さん


11:56 猫の店・滑川


11:57 岩橋家 秋田県指定史跡 昭和48年12月11日指定


11:57

岩橋氏は、南奥州の名門会津黒川城主蘆名氏の重臣であった。
天正17年(1589)蘆名氏が伊達政宗に敗れ、兄である常陸の佐竹
氏を頼り、常州へ移り、江戸崎において秀吉から4万5千石を与えら
れると、岩橋氏も蘆名氏に随従して江戸崎に移った。

関ヶ原の戦い後、慶長7年(1602)佐竹氏の出羽移封とともに蘆名
氏も出羽に下り、角館1万5千石を与えられた。岩橋氏は一時江戸
崎を立退き津軽氏に3百石で仕官していたが、主君の角館居住とと
もに再び蘆名氏に帰参し角館に居住した。

蘆名氏が承応2年(1653)三代にして断絶するに及んで、代わって
角館所預となった佐竹北家の組下として(86石)、廃藩に至るまで
仕えた。


11:57


12:01


12:01


12:02


12:02 昔ながらの郵便ポスト


12:04


12:04


12:05 安藤醸造 味噌醤油漬物


12:05


12:06
安藤家は嘉永(約160年前)の昔から味噌を醸造し、合わせて醤油
も造るようになりました。


12:07


12:08


12:09 青柳家


12:09


12:10


12:10


12:11


12:11 「四百年の血脈」


12:12 角館春慶塗


12:12


12:13 先祖伝来 お宝鑑定団? 2階にもいろいろある。


12:14


12:15
青柳家が甲府にて竹田の武器作りをしていた当時の鎧兜です。
甲府から水戸、そして秋田と移住する間も家宝として大切にされて
きました。


12:15


12:16 武村文海作木彫人形


12:16


12:17 急こう配の階段


12:18

当家伝来の刀です。
ゆっくりと持ち上げてみてください。

重かった~。とても武士にはなれない?


12:19 解体新書記念館


12:20 青柳家に贈られた解体新書


12:20 解体新書の画家 小田野直武


12:21 小田野直武像


12:22 秋田郷土館 2階


12:24 戦前~戦時中の遺品がいっぱい。
秋田十七連隊軍曹上衣(明治27年)


12:24


12:27 「日本国民へ告ぐ」 米軍がばらまいたビラ?
あなたは自分や親兄弟友達の命を助けようとは思いませんか。助け
たければこのビラをよく読んで下さい。


12:28


12:28


12:28


12:32 桜皮細工


12:33


12:34


12:34 幕末写真館


12:36


12:38


12:38


12:39 徳川慶喜


12:40


12:41 ハイカラ館


12:42


12:43


12:45


12:46
武家屋敷青柳家は、およそ350年前から現在地に屋敷を構え今日
に及んでいる。角館を町割りした蘆名氏の断絶後、角館所領となっ
た佐竹北家の組下となり身分は変わったが、石高は45石から江戸
末には100石を超えている。・・・・・・

青柳家は藩政期には南部境目山役など勤めたが、明治になって地
主として発展し、100町歩におよぶ田畑を有した。
そのためか、屋敷は江戸時代の13間3尺から現在のような広大な
屋敷地を持つようになった。


12:46


12:48


12:49 角館のシダレザクラ No.54


12:49


12:49 石黒家

薬医門には、文化6(1809)年4月の墨書銘との矢板があり、角館
に現存する武家屋敷の中で、年代の確認されるものとしては最古
の建物となっている。


12:50
角館で現存する武家屋敷では最も古く、勘定役を務めていた最上級
武士の家屋。唯一座敷に上がって、武家の生活様式(歴史、文化)に
ついて案内を聞きながら見学できる。
現在も直系の子孫が住み続け、一部を公開。


12:50


角館に現存する6軒の武家屋敷の中では一番格式が古い。

入るのに迷って覗いたら、「一番格式が古いですよ~」と言われ、
それじゃと。


角館の武士は旧蘆名氏系の家臣と佐竹氏に付き従った家臣が入り
混じっています。

石黒家は佐竹氏の家臣で、明暦2年(1656)この地の所領として、
蘆名家断絶の後をうけて入った義隣に従って移住してきた。もともと
は、越中(富山県)の出とされている。

現12代目の石黒直次は、最後の角館町長を務め、平成17(2005)
年10月の大合併(角館町+田沢湖町+西木村)後の選挙で仙北市
の初代市長となった。


12:56 下位身分対象の脇玄関。

角館の武家屋敷の中では唯一母屋の座敷に入って内部を見学で
きる。


12:57
ボランティア(?)の女性が寄ってきて、詳しく説明してくれる。
「写真は説明後、ゆっくりお撮りください」。


12:57


12:57


12:57


12:57 各上の方を迎える場合の玄関


12:57 立派な欄間


12:58


12:58 この座敷は畳の敷き方が横並び。


12:58 庭 
樹齢300年のモミの大木があり、一つの目印になっている。


12:59 縁側の大雪対策


13:00


13:00 台所、野菜貯蔵庫


13:01 紅葉の季節もすばらしい。


13:01


13:02 「町割(り)絵図」 左側が武家屋敷、右側が承認・町人の町。


13:02


13:02 石黒家の財宝


13:03 蔵


13:06


13:06 旧石黒(恵)家


13:07


13:07


13:07


13:08 
国指定天然記念物 角館のシダレザクラ162本 
昭和49年10月9日指定


13:09 角館町平福記念美術館


13:09


13:10 百穂先生の碑


13:10 秋田県立角館高等学校跡


13:11 球師 佐藤順一先生之碑


13:12 角館高等学校若杉会野球部OB


13:12 角館公民館


13:14 天理教


13:15


13:17


13:19 古城橋


13:20 桧木内川 川沿いにソメイヨシノ並木


13:21


13:24 山の上に角館城(小松山城)があった。


13:25 角館のシダレザクラ No.88


13:25


13:28 理容室


13:30


13:32


13:33 佐竹歴史文化博物館 時間の関係でパス


13:33


13:33 アジサイが満開だ。


13:34 


13:34


13:35 友好記念の碑 眞壁氏屋敷跡地 平成18年11月吉日


13:35 角館桜細工伝承館 パス


13:36 観光客が増えてきた。駅方向へ戻る。


13:38


13:42 日本の道100選 手づくり郷土大賞


13:44


13:46 角館桜皮細工センター


13:46

「あごだし」??
「あご」=「トビウオ」で取った出汁のことらしい。


13:48 どこへ行ってもNTTは立派なビルだ。


13:48


13:49 外町;商人、町人が住んでいた町


13:49 西宮家


13:50 同上


13:50 時計メガネのイノウエ


13:51 左は宮本陶器店


13:52


13:53 有名な「安藤味噌醤油醸造元」


13:53 同上


13:54 同上


13:54 同上


13:55


13:56


13:57 民家の門も立派だ。


13:58


13:59


14:01 角館駅に急ぐ。14時20分ごろの新幹線があったハズ。


14:03


14:03 駅まで450m


14:06 角館駅が見えてきた。


14:07 角館駅


14:07 駅をバックに撮りたいが、三脚がない。


14:12 14:21発こまち17号改札中 こまちは1時間に1本だ。


14:13 吉永小百合さん


14:13
角館駅は日本一きれいな駅を目指しています。--ブンダバー!


14:14 乗り放題パス


14:16 シダレザクラの角館


14:18 角館上りプラットホーム


14:20 新幹線「こまち」がやってきた。


これから宿泊地秋田(駅)に向かう。

     *     *     *     *

昭和8年、日本はリットン報告書に反発、国際連盟を脱退。
あれから80余年、中国はハーグ仲裁裁判所の裁定に反発。
はたして中国は「世界の孤児」になるのか?

<一日一言>7/13
「これを望めば木鶏に似たり」(『荘子』)
守屋 洋『中国古典 一日一言』

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