地球の宝さがし

~ 彷徨の回顧録 ~

サイクルリキシャー~バングラデシュ

2020-09-24 11:54:55 | 旅行

サイクルリキシャーは、自転車の後ろに人が乗るスペースがある簡易タクシー。

明治後期にアジア各国へ日本の人力車が輸出され、「リキシャ」の名前が根付いていたもの。

バングラデシュでは、奇麗に装飾されたものを多く見かける。

サイクルリキシャーは「生活の糧」であると同時に、仕事をしていることの「誇り」であることを象徴しているように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バングラデシュは、世界で最も人口密度が高いアジアの最貧国。

人口は世界第8位(1億6千万人)。

イギリスからの独立後、東西パキスタンが分離成立したが、

印パ戦争を経て、東パキスタンがバングラデシュとして独立(1971年)した。

バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。

近年、豊富で低廉な労働力が注目され、製造業が多く進出し、新興国としての期待が高い。

ベンガル湾に注ぐガンジス川を有し、豊富な水資源と肥沃な土地が魅力。

バングラデシュの国旗は赤が昇る太陽、緑が豊かな大地を表している。

この地域は、熱帯性モンスーン気候に属し、6月から9月にかけて雨季が到来する。

洪水との引き換えに肥沃な土地を手にしていると言いつつも、デルタ地帯の生活は過酷だ。

バングラデシュ全体でも、激しい雨により国土の3分の1に及ぶ浸水被害が出るという。

この地域に足を踏み入れると、高床式の住居を目にする。

燃料に使う牛糞の日干しも生活の中に溶け込んでいる。

流行の言葉でいえばバイオマス燃料といった所だが・・・

自然の猛威に立ち向かわず、その恩恵に感謝しつつ、ともに暮らす。

こんな言葉を当てはめるのが精一杯だ。

カワウソ漁は、日本の鵜飼に通じる所があり興味深い。

クルーズ船に乗ると淡水に生息するカワイルカが飛び跳ねるのを見ることが出来る。

街は、人・人・人で溢れている。

どうしてこんなに人がいるのかと考えてしまう。

よく見ると、仕事をしている訳でもなさそうな人達を多く見かける。

空き地には市場がたつ。

列車の線路の上でも平気だ。

いつ来るとも分からないが、来たら退けば良いと位にしか考えていないようだ。

この活気がバングラデシュの潜在能力なのだろうか。

この迫力は、世界の都市の中では特異な部類に属するのではと思い巡らす。

この国には、マイクロファイナンスという制度が定着している。

家畜の仕入れやサイクルリキシャーの調達など、

チョッとした商売を始めるための資金を無担保で貸し付けている。

誰でもが働く機会を作り出す仕組みが用意されている。

特に、債権回収の仕組みがユニークだ。

隣組のような組織が構成されており、所属員の返済状況を皆で見守る仕組みである。

これによって信用が担保されている。

少しばかり居心地が良くないと感じる気もするが、財産が何もない所からでもスタートできるのだから、致し方ないのかも知れない。

バングラデシュへの旅は、人の多さを体感するために思いついたものだが、

テラコッタの遺跡・建築群は想像以上のものであった。

タラコッタはイタリア語の「焼いた (cotta) 土 (terra)」に由来する。

プティアの大ゴヴィンダ寺院は、バングラデシュに残る数少ないヒンズー教寺院。

ラーマーヤナの説話や民衆の日常生活などが描かれている。

バーゲルハットのサイト・グンバズ・モスクは、ムガル帝国期以前のバングラデシュ最大のイスラム都市遺跡。

モスクの名称は、60のドームを持つモスクという意味。

パハルプールの大塔は、ベンガル地方に栄えたパーラ王朝が8世紀末に創建した仏教寺院の中央施設。

大塔の周りには、多くの僧坊が囲み、基壇には神々や動物の像により装飾されている。

道すがらレンガ工場(作業場?!)に立ち寄った。

素焼きレンガに適した土壌が採取できる場所に、

採掘、水との調合、日干し、素焼き、保管・出荷をレイアウトし、

周辺の労働者を集めて製造しているようだ。

機械と言えるようなものは一切なく、ただひたすらに、

単純作業を繰り返しているようだ。

レンガの型に嵌めて乾かす作業は、一日中やっても数百円程度とか。

近い将来、バングラデシュの潜在能力が開花し、未知の可能性が具現化することを期待したい。

 


シギリアレディ~スリランカ

2020-09-24 09:01:34 | 旅行

シギリアレディは、セイロン島中央部に位置するシギリアロックの中腹に描かれたフレスコ画。

劣化が進み、現在は18体が確認できるが、かつては500体もあったという。

シギリア遺跡は、5世紀にカッサパ1世によって建造された王宮跡。

カッサパ1世は、クーデターにより父親から王権を奪取(477年)するが、弟のモッガラーナの攻撃を受けシギリアは陥落(495年)し、王は自害する。

堅牢な高さ約200mの台地上の岩峰に王宮を建設した背景には、姻戚間の壮絶な王権争いを垣間見る。

スリランカは、1948年イギリスからセイロンとして独立。

1972年には仏教を準国教扱いにする新憲法を発布し、国名をスリランカに改称した。

シンハラ語で、スリは「輝く」ランカは「島」を意味するとか。

1983年から2009年まで、シンハラ人とタミル人との民族対立を端に発する四半世紀にわたる内戦状態にあった。

その後は、豊富な観光資源を目指して、多くの観光客が訪れるようになる。

私が訪ねたのは2013年。

日本とスリランカの交流を推進しているスリランカ人にお目に掛かったのがきっかけ。

時期は、ペラヘラ祭りが催される夏。

ペラヘラ祭りは、各地で行われる行列型の祭りで、スリランカ中部キャンディのものが最大。

昔は、ヒンドゥー教の神々を祀る祭祀であったとも。

電飾されたゾウやタイマツを持ったダンサーなどの群が街中をねり歩く。

そして最後には、仏歯を納めた舎利容器を背に乗せたゾウがやってきて、皆でお祈りを捧げたところでお開きとなる。

さながら、ディズニーランドのエレクトロパレードのようだ。

仏歯は、文字通り「仏様の歯」。

普段は、仏歯寺の中に収められているのだが、お祭りの時だけは、象の背中に載せられて、

街を巡回する。

スリランカは象の国。

幹線道路を走っていると、道路わきに屯している象を見かける。

象の孤児院もある。

親を失った子象を育てている。

毎日、時間になると川まで水浴びに向かう。

このシーンを見るために観光客が集まる。

アジア象の性格は大人しく、仲間との連携も得意で、働き者であることが良く分かる。

ただ、檻があるわけではないので、逃げてしまわないようにと、足に鎖が巻かれているのが、

何とも痛々しく感じてしまう。

石造りの遺跡群も見応えがある。

ポロンナルワはスリランカ北中部州にある中世の古都。

1017年から1255年までスリランカの首都であった。

露天の石積みの遺跡は自由に立入ができるため、観光する側にとっては好都合なのだが、

遺跡の修復・保存の観点からは課題がありそうだ。

ダンブッラにある石窟寺院もなかなか。

この周辺には80以上の洞窟があるという。

石窟の中には、釈迦とその生涯に関連した多数の聖像や絵画が残る。

釈迦像やスリランカ王、ヒンドゥー教の神像も祀られている。

壁画の面積は2100㎡にもなる。

精緻な技法に思わず目を見張ることになる。

街を歩くと、お店の看板などに描かれた数多のシンハラ文字が飛び込んでくる。

シンハラ文字は渦巻状になっているのが特徴で、女子高生が書く丸文字を連想させる。

基本的な文字は54種類存在しており、そのうち母音18個、子音は36個だという。

少しは勉強してみたい気もするが、文字の違いを区別できるようになるまでには時間が掛かりそうだ。

お土産は、やっぱりセイロンティー。

セイロンティーはスリランカ産紅茶の総称で登録商標されている。

スリランカは世界のお茶の生産のうち約10%を占めるという。

お茶畑を訪ねたが、働いている人達の生活はかなり貧しく、

カメラを向けると愛想を振り巻く余裕は全くない。

怖い顔をしてチップを求める姿が気になった。

上流社会では、ハイティーを楽しんでいる一方で、高温多湿の中で働く労働者との格差は大きい。

紅茶文化の重層的な構造は如何ともし難いようだ。