地球の宝さがし

~ 徘徊老人のボケ防止 ~

ワハーン回廊とパミール高原~タジキスタンからキルギスへ

2020-09-14 14:24:40 | 旅行

ワハーン回廊は、アフガニスタン北東部に位置する東西に細長く伸びた渓谷地帯。

タクラマカン砂漠を通って東西を結ぶシルクロードの一部。

玄奘三蔵やマルコポーロも通ったという。

北はタジキスタン、東は中国、南はパキスタンに囲まれるアフガニスタン領内の要衝地。

19世紀にロシア帝国と英領インド帝国との衝突があり、当時のイギリス・ロシア両大国間の利害関係から、この地域が緩衝地帯として国境線が引かれた。

地政学的に重要な場所にも関わらず、厳しい気象と険しい地形から、

国内の政治情勢や内戦などの影響が及ばないエリアでもある。

訪ねたのは2015年。

本当は、アフガニスタンに行きたかったのだが、

治安は頗る悪く、容易に国境を越えることは当面難しそうである。

そこで目を付けたのが、北東部国境沿いのこの地域。

隣国から覗いて、その雰囲気だけでも感じ取ろうと考えた。

インチョンを経由して、ガザフスタンの首都アルマトイで一泊。

翌朝、再び飛行機に乗り、タジキスタンの首都ドゥンシャンベへ。

直行便はないので致し方がない。

折角なのだからと、市内観光をして英気を養った。

中央アジアのナンを相変わらず美味しく頂いた。

泥炭地から出土した木彫りの涅槃仏は、かつては仏教が栄えていたことを物語ってくれる。

次の日からは、4WDに乗り換えての長距離移動を開始した。

先ずは、山越えのルート。

幹線道路沿いの空き地には、屋台が出ていた。

ドライバー向けに軽食を提供してくれるようだ。

子供たちが集まってきたので、物売りなのかなと用心したが、

商売っ気は全くない。

写真を撮って見せてあげたら、逆に喜んでくれた。

峠を通り過ぎると、デコボコの道は、一本調子の下り坂となった。

一頻り走ると、国境のパンジ川が見えてきた。

対岸は、アフガニスタンだ。

急峻な山岳地域を流れる川は、思いの外、水量が多く茶色く濁る。

見るからに国境を越えることは容易ではなさそうだ。

ワハーン回廊から流れるワハーン川とゾルクル湖からのパミール川が合流しパンジ川となり、

タジキスタンとアフガニスタンとの国境沿いを流れる。

タジキスタンのオルグからキルギスのオシュを結ぶ道路は、パミールハイウェイと呼ばれ、

パンジ川沿いのタジキスタン領側を辿る。

この道を遡れば、ワハーン回廊で暮らすワヒ族の生活習慣や文化に接することが出来る。

この辺りには、旅行客向けの宿は殆どなく、やや大きめの民家に泊めてもらう。

子供たちが横で寝ていても驚いてはいけない。

ガイドとドライバーは、庭のベンチでゴロ寝をしていた。

注意をしなければならないのはダニ。

地元の人たちは、刺されても何でもないらしい。

日本人にとっては、暫くの間、痒みを我慢する日々が続く。

パミールハイウェイは、1931年に旧ソ連が領土南端に軍を送る目的で建設した軍用道路。

ハイウェイは高所通る道路の意味で、高速道路では決してない。

舗装されていないばかりか、崩落している個所もある。

案の定、大型のトレーラーが崖下に横転してしまい、困り果てているドライバーを見かけた。

そんな所にも関わらず、自転車に乗った欧米人とすれ違った。

このデコボコの坂道を一体どこまで行くのだろうか。

子供たちの笑顔は、どの村に行っても底なしに眩しい。

毎日、クタクタになるまで、お手伝いと遊びに明け暮れているのだろう。

勉強も、もちろん大切なのだが、生活していくために必要なことが、もっと沢山ありそうだ。

対岸のアフガニスタン側に学校が見えた。

手を振ったら、応えてくれた。

建物の中から、後から後から出てきた。

女性ばかりなのだが、一体どういう施設なのだろうか。

やはり皆、愉快そうに笑っていた。

エネルギーに満ち溢れているように感じた。

ホルグから標高を上げコイ・テゼック峠(4,272m)を越えると、そこはキルギス族の世界。

標高3,500~4,000mの高原にはユルトが点在し、キルギス帽の人々の姿を見かける。

紫外線が強く、湖の色は半端なく青い。

道は平坦で、真っ直ぐに伸びている。

いつの間にか、立派な舗装道路に変わっていた。

マルガブ(3,560m)は、小さいながらも市場があり、質素なモスクがある川沿いの風光明媚な町。

設備は十分ではないがホテルもある。

日本のODAで整備した井戸もあった。

この経緯を知っているのか分からぬが、近所の親子が水汲みに来ていた。

公共のサウナがあるというので行ってみた。

日本と違って洗い場が狭く、汗をかくことが主たる目的のようだ。

国境のキジルアート峠(4,282m)を越えるとキルギスに入る。

サリタシュの宿は、農家の母屋。

食事場所はユルトの中。

宿の御主人は人が良さそう。

奥さんは、牛の乳しぼりの最中であった。

この村からは、レーニン峰(7,134m)を望む。

ソ連から、独立した現在は「クーヒガルモ」に改名された。