ワハーン回廊は、アフガニスタン北東部に位置する東西に細長く伸びた渓谷地帯。
タクラマカン砂漠を通って東西を結ぶシルクロードの一部。
玄奘三蔵やマルコポーロも通ったという。
北はタジキスタン、東は中国、南はパキスタンに囲まれるアフガニスタン領内の要衝地。
19世紀にロシア帝国と英領インド帝国との衝突があり、当時のイギリス・ロシア両大国間の利害関係から、この地域が緩衝地帯として国境線が引かれた。
地政学的に重要な場所にも関わらず、厳しい気象と険しい地形から、
国内の政治情勢や内戦などの影響が及ばないエリアでもある。
訪ねたのは2015年。
本当は、アフガニスタンに行きたかったのだが、
治安は頗る悪く、容易に国境を越えることは当面難しそうである。
そこで目を付けたのが、北東部国境沿いのこの地域。
隣国から覗いて、その雰囲気だけでも感じ取ろうと考えた。
インチョンを経由して、ガザフスタンの首都アルマトイで一泊。
翌朝、再び飛行機に乗り、タジキスタンの首都ドゥンシャンベへ。
直行便はないので致し方がない。
折角なのだからと、市内観光をして英気を養った。
中央アジアのナンを相変わらず美味しく頂いた。
泥炭地から出土した木彫りの涅槃仏は、かつては仏教が栄えていたことを物語ってくれる。
次の日からは、4WDに乗り換えての長距離移動を開始した。
先ずは、山越えのルート。
幹線道路沿いの空き地には、屋台が出ていた。
ドライバー向けに軽食を提供してくれるようだ。
子供たちが集まってきたので、物売りなのかなと用心したが、
商売っ気は全くない。
写真を撮って見せてあげたら、逆に喜んでくれた。
峠を通り過ぎると、デコボコの道は、一本調子の下り坂となった。
一頻り走ると、国境のパンジ川が見えてきた。
対岸は、アフガニスタンだ。
急峻な山岳地域を流れる川は、思いの外、水量が多く茶色く濁る。
見るからに国境を越えることは容易ではなさそうだ。
ワハーン回廊から流れるワハーン川とゾルクル湖からのパミール川が合流しパンジ川となり、
タジキスタンとアフガニスタンとの国境沿いを流れる。
タジキスタンのオルグからキルギスのオシュを結ぶ道路は、パミールハイウェイと呼ばれ、
パンジ川沿いのタジキスタン領側を辿る。
この道を遡れば、ワハーン回廊で暮らすワヒ族の生活習慣や文化に接することが出来る。
この辺りには、旅行客向けの宿は殆どなく、やや大きめの民家に泊めてもらう。
子供たちが横で寝ていても驚いてはいけない。
ガイドとドライバーは、庭のベンチでゴロ寝をしていた。
注意をしなければならないのはダニ。
地元の人たちは、刺されても何でもないらしい。
日本人にとっては、暫くの間、痒みを我慢する日々が続く。
パミールハイウェイは、1931年に旧ソ連が領土南端に軍を送る目的で建設した軍用道路。
ハイウェイは高所通る道路の意味で、高速道路では決してない。
舗装されていないばかりか、崩落している個所もある。
案の定、大型のトレーラーが崖下に横転してしまい、困り果てているドライバーを見かけた。
そんな所にも関わらず、自転車に乗った欧米人とすれ違った。
このデコボコの坂道を一体どこまで行くのだろうか。
子供たちの笑顔は、どの村に行っても底なしに眩しい。
毎日、クタクタになるまで、お手伝いと遊びに明け暮れているのだろう。
勉強も、もちろん大切なのだが、生活していくために必要なことが、もっと沢山ありそうだ。
対岸のアフガニスタン側に学校が見えた。
手を振ったら、応えてくれた。
建物の中から、後から後から出てきた。
女性ばかりなのだが、一体どういう施設なのだろうか。
やはり皆、愉快そうに笑っていた。
エネルギーに満ち溢れているように感じた。
ホルグから標高を上げコイ・テゼック峠(4,272m)を越えると、そこはキルギス族の世界。
標高3,500~4,000mの高原にはユルトが点在し、キルギス帽の人々の姿を見かける。
紫外線が強く、湖の色は半端なく青い。
道は平坦で、真っ直ぐに伸びている。
いつの間にか、立派な舗装道路に変わっていた。
マルガブ(3,560m)は、小さいながらも市場があり、質素なモスクがある川沿いの風光明媚な町。
設備は十分ではないがホテルもある。
日本のODAで整備した井戸もあった。
この経緯を知っているのか分からぬが、近所の親子が水汲みに来ていた。
公共のサウナがあるというので行ってみた。
日本と違って洗い場が狭く、汗をかくことが主たる目的のようだ。
国境のキジルアート峠(4,282m)を越えるとキルギスに入る。
サリタシュの宿は、農家の母屋。
食事場所はユルトの中。
宿の御主人は人が良さそう。
奥さんは、牛の乳しぼりの最中であった。
この村からは、レーニン峰(7,134m)を望む。
ソ連から、独立した現在は「クーヒガルモ」に改名された。