チュニジアは北アフリカに位置するマグレブ諸国のひとつ。
「チュニスを都とする国」という意味で、紀元前の古代都市トゥネスに由来するという。
国土は南北に長く、気候は北部の地中海性気候から南部の砂漠気候まで分布し、
地中海リゾート地からサハラ砂漠まで、訪れた人々は、その変化に驚ろかされる。
バルドー国立博物館は、「チュニジアのルーブル」とも呼ばれ、
ローマと初期キリスト教時代のモザイクコレクションは世界屈指とも。
博物館の建物は、オスマン帝国時代の宮殿として使われていたものだが、
外観上、華やかさがないため、館内に入った瞬間、異次元の空間に飛び込んだように錯覚する。
展示されているモザイクは、どれも遺跡に残っていたものを剥離・再生したもので、
一つ一つの空間をそこだけ切り取って来て、全く別の空間において再構成したもの。
床壁天井がすべてモザイクで覆われ、本来は、存在するべき生活に必要な家具や調度品が全くなくとも、
モザイクによって描かれた世界が、心の安らぎを誘引するに充分な空間を演出している。
ローマ時代の遺跡が地中海側に多く点在し、カルタゴ、ドゥッガ、エル・ジェム等では、
往時の繁栄を窺うことが出来る。
ローマ軍により破壊されたカルタゴは勿論のこと、石造りの建造物は立派に再生されている。
その施設が、どんな目的で、どのように利用されていたのか等々、ガイドが子細に説明する。
それにしても、なんと浴場の遺跡が多いことか。
設えてあったモザイクが博物館行きとなった場所には、展示写真が掲示されていた。
一部のモザイクは、劣化が進んでいるものの、現地に残されているものもある。
砂を被った状態では、何が描かれているのか分からないと思いつつ眺めていると、
傍らに佇んでいた男が、いきなりペットボトルの水を掛けて洗い流した。
どうやらチップが目的にようだ。
見事なモザイクを、嘗ての姿のままで見たいと願う一方で、
大切な文化財の保護の観点からは致し方ないと思うばかりである。
2015年武装集団が博物館を襲撃し、日本人、イタリア人など多数の観光客が死亡、負傷した。
この事件は、当時の国際情勢を象徴していたかのよう。
アラブの春の発端となったチュニジアのジャスミン革命(2012年)以降、反政府デモがアラブ世界に広がりを見せ、イスラム過激派の台頭を誘発。
独裁政権が倒れる一方で、周辺地域の不安定化が増幅され、戦禍による難民の発生と国際社会の分断が進み、ISの活動が低下した現在でも、その傾向に歯止めは掛かっていない。
南部の砂漠地帯も見どころ沢山。
リン鉱石の鉱山を結ぶ観光鉄道を始め、映画の撮影ロケスポットもなかなか。
トズールなど、オアシスの町では、独自の雰囲気を漂わせるメディナ(旧市街)が魅力的。
北アフリカ最大の塩湖ショットエルジェリドの広大な広がりは圧巻。
遥か地平線まで延々と続く道路は見逃せない。
ラクダの群れにも、しばしばお目に掛かれる。
一番大きくて、雄叫びを上げているのはオスで、残りは全部メスなのだと言う。
ラクダ社会の生存競争も厳しいようだ。
「ラクダ注意」の道路標識も写真ターゲット。
お土産屋さんでは、ラクダの頭蓋骨を売っていた。
空港で、没収されること間違いなさそうである。
メディナの肉屋さんは衝撃的。
その日に販売している動物の頭が、店頭にぶら下がっている。
牛、羊、そしてラクダ。
お客さんは、その顔つきを見て、お肉を買うのだという。
ラクダの肉は、2~3歳の若いモノでないと固くて食べられないとか。
もちろん冷蔵庫などないので、朝さばいて、その日の内に売るのだから新鮮そのものだ。
ただ、内臓は足が速いのでヤバイかも。
地中海沿岸の町シディ・ブ・サイドは、風光明媚で温暖な観光地。
町中は青色に染まり、リゾート気分を倍加させてくれる。
法律で、青色に塗装することが義務付けられているという。
入口の扉には、もちろんファティマの手が。
ファティマは、イスラム教の預言者モハメッドの娘で、
その手を象ったものは、厄除け、お守りになるとか。
イタリアの女子高生の修学旅行にお目に掛かった。
大賑わいで街を練り歩いているので、声を掛けると、そう教えてくれた。
ここは、地中海を隔ててはいるが、気軽な旅行先なのだろう。
ローマ~チュニスは600km。
東京~神戸と同じくらいの距離であるから、チョットした国内旅行の延長なのだろうか。
直ぐ傍に、いつでも行ける異なる文化圏があることは、すこぶる魅力的に感じる。