タクラマカン砂漠は、新疆ウイグル自治区のタリム盆地の大部分を占める砂漠。
名称の由来については諸説あるが、ウイグル語で、「入ると出られない」という意味とか。
西安からカシュガルに至るシルクロードは、このタクラマカン砂漠の北側を天山南路、
そして南側を西域南道が通る。
近年、タリム盆地の油田開発が進められ、砂漠を南北に横断する砂漠公路が開通した。
現在、鉄道の建設も進められている。
タクラマカン砂漠は、その多くが土砂漠で、いわゆる砂砂漠は少ない。
しかし、風によって運ばれた砂は一か所に堆積してしまうため、
砂漠公路の沿道には植栽帯が整備されている。
植物の生育に不可欠な水は、一定区間ごとに設置されたポンプ小屋により提供される。
その小屋には、維持管理を行う管理人が常駐しているが、周りには何もない所のため、
住み込みのご夫婦がこの任にあたるという。
砂漠には、「胡陽」を見掛ける。
「生きて千年、枯れて千年、倒れて千年姿をとどめる」と言われ、
暑さ寒さに強く、水の少ない過酷な環境でも生育する植物だという。
ところが、燃料として利用されるあまり、近年は随分と減ってきてしまったとか。
ここのラクダはフタコブラクダ。
北アフリカ周辺のヒトコブラクダに比べて身体は小さめだが、寒暖差に強いのだという。
夏には気温40℃近くまで暑くなるが、冬にはマイナス30℃にまで低下する。
この厳しい環境で生き延びるために特別な適応力が発達しているようだ。
この辺りの石窟にも、仏教壁画が多く残されている。
敦煌の莫高窟に比べたら、保存状態が芳しくないが見応えがある。
クズルガハ千仏洞やキジル千仏洞は、漢の時代以降から8世紀ごろまでの石窟。
「クズルガハ」は「赤い嘴のカラス」という意味。
この遺跡の近くに、クズルガハ烽火台という前漢時代の遺構がある。
烽火台は、連絡のために烽火(のろし)を焚く所。
「キジル」とは、ウイグル語で「赤い」という意味。
この一帯の赤い岩肌にちなんだものとか。
夏の観光には、道端で売られているハミウリは欠かせない。
炎天下の中でも、甘くて瑞々しいコレに齧り付けば生き返る。
ガイドは、露天を見かけるたびに車を止めて、売れ具合をチェックしている。
砂漠の横断ドライブには格好の燃料補給。
この辺りの食堂にも、ビールが用意されている。
ところが冷えていない。
どうやら中国の人たちにとっては、冷たいものは、身体に悪いと考えられているようだ。
カシュガルが近づくと、ロバ車を見かけるようになる。
ポブラ並木とロバ車の風景は、観光写真の絶好のターゲット。
長閑な雰囲気が漂ってくる。
バザールに行くと、ロバ車置き場が指定されている。
言ってみれば、専用駐車場だ。
採れた作物を売りに来て、必要なものを買って帰る。
一仕事を終わった後にロバ車置き場に戻ると、御主人を見つけたロバは、
ちゃんと出発の準備を催促するように、移動してくるのだという。
我々のように、車を駐車場のどこに置いたのか忘れて探し回ることない。
カシュガルの町並みは、イスラムの世界が溢れている。
レンガ造りの古い街並みには生活感が漂う。
露天の買い物も楽しい。
焼きたてのナンは一つ1元。
夕方になるとケバブのお店も準備を始める。
見ているだけで楽しい職人街では、日ごろは見かけない品々が並ぶ。
楽器屋さんに入ると、オヤジさんが一曲演奏してくれた。
モスクの前では、ウイグル帽のオジサンたちが屯している。
その一方で、公安や人民解放軍の兵士が行進する。
街には、漢人とウイグル族とが仲良くしようと訴える看板がある。
そんな中で、漢人のスルーガイドとウイグル人の現地ガイドが言い争っていた。
なかなか根が深そうである。
数年後、再び、カシュガルを訪ねた時、街は往時と様変わりしていた。
迷路のような旧市街は取り壊され、新しくなった町並みは、かつての人懐っこさが失われつつあった。