地球の宝さがし

~ 徘徊老人のボケ防止 ~

サハラの目~モーリタニア

2020-09-11 14:47:52 | 旅行

モーリタニアは、アフリカ大陸の北西部に位置する大西洋に面した国。

国名はアフリカの地中海岸に位置したベルベル人の古代国家マウレータニアに由来。

日本では、タコの輸入元として知られる。

日本の技術支援により蛸壺によるタコ漁が盛んになったもの。

日本のタコの産地である明石沖の海底の形状が類似しているのだと聞く。

しかし、食べる習慣はなく、全量輸出に回わる。

現地のガイドがバーベキューの具材にと・・・どこからか調達してきたが、

「何でこんなモノを食べるのか?!」と不思議がっていたのを思い出す。

モーリタニアの内陸部には、サハラ砂漠が広がる。

世界最大の砂漠で、南北1700kmに亘り、アフリカ大陸の3分の1を占める。

サハラは、アラビア語で「何もない」という意味。

ところが、「何もない」はずのサハラ砂漠であるが、

古くから交易のルートとして利用されていた。

西アフリカ内陸部は豊富な金資源やサハラ以南の地域の奴隷と、

地中海沿岸の塩などが交易の対象。

8世紀には幾つかの交易ルートが確立されたという。

モーリタニアのエリアでは、ワダンやシンゲッティが交易の中心地。

シンゲティには図書館もあったという。

モーリタニアのこれらの隊商都市から更にサハラ砂漠の奥に進むと、

サハラの目と呼ばれるエリアがある。

グーグルマップの衛星写真を見ると、渦巻き状の地形がはっきりと映る。

その場に行ってみても、地上目線からでは、単に荒れ果てた砂漠地帯が広がっているだけだが、

標高100~200mほどの高台の中に、同心円上に標高100mほどの山が幾重にも重なっている。

当初は隕石の衝突によるクレーターと思われていたが、調査の結果、長年の風化や浸食によるものとか。

イスタンブールで飛行機を乗り換えて、モーリタニアの首都ヌアクショットに向かう。

ところが、行先表示はセネガルの首都ダカール。

セネガルは、モーリタニアの南に位置するため、

一旦、通り過ぎてから、戻ってくる飛行ルート。

ダカールでは、一旦下ろされた。

席に戻ってきたら、先に、セネガル人のオジサンが座っていた。

搭乗券を見せてもらったが、何と、同じシート番号表示。

これは、ビジネス席にランクアップか?!と期待したが、

エコノミー席には十分余裕があって、ささやかな期待は、すぐに当てが外れた。

セネガル人の肌は、本当の黒色。

大きな目を白黒させる笑顔に、親しみと愛嬌を感じた。

首都ヌアクショットのホテルで一泊した翌日から砂漠地帯に入る。

内陸部は、宿泊施設は整っていないため、当然としてキャンプ泊の行程となる。

苦難の旅路かと言えば、そうではなく、砂丘地帯のキャンプは格別で、設備の良くない宿に比べたら遥かに居心地が良い。

自然の営みを肌で感ずることができ、人間自身もその中の一つの分子でしかないことを確認する。

日が昇り、日が沈み。

月もまた、毎日形を変えながら顔を出す。

砂漠の風紋は風まかせに変化し続け、美しく見せることを楽しんでいるようだ。

砂漠の灌木帯の日陰でランチをとっていると、村人たちがやってきた。

砂漠で拾った石ころを並べて、お店を開き始めた。

ガイドに聞くと、この辺りの遊牧民だという。

ただの石ころだと思われたものは、昔の石器や化石のようなものらしい。

近くの大岩には、北アフリカでよく見かける壁画が描かれていた。

昔は、この辺りも湿潤な気候であったかもしれない。

ガイトが、いらなくなった空のペットボトルを分けてあげていた。

貴重な水汲み用の入れ物になるのだという。

砂漠地帯に入って4日目。

ようやく今回の旅の目的地「サハラの目」に到達した。

サハラの目は、期待した通り?! 地上からは何も分からなかった。

帯状の丘陵帯は確認できるものの、ただただ岩石の多い砂漠が広がっていた。

カメラに収めたが、それがそれと分かるようなシロモノにはならなかった。

そこに、ロバに乗った遊牧民の親子がやってきた。

「こんな所にも、人が住んでいるか」と絶句した。

ガイドは、数日たったフランスパンを分けていた。

こちらのフランスパンは気候が乾燥しているので、

美味しさそのままで、何日も保存できる。

砂漠には、砂漠の良さがあるようだ。

キャンプ最終日は、ガイドが、ヤギの丸焼きを振舞ってくれた。

こちらではヤギは御馳走だ。

途中で寄り道して、生きたヤギを仕入れてきたらしい。

一頭3000円位だとか。

ご相伴に預かって、必死にかぶりついたが、

手がべとべとになるだけで、食べ所は殆ど見つけることが出来なかった。

少ししか手をつけられずに、申し訳なく思っていると、

本当の目的は、ドライバーさん達への労いだったようで、安堵した。

もちろん、彼らは完食した。

朝起きたら、カラスがたくさん飛んでいた。

砂漠の中に放置された個体が、真っ黒になっていた。

まだ、食べる所は残っていたようだ。

近くに、骨だけになった子供のラクダが横たわっていた。

はからずも最後の姿のあり様を確認することとなった。

街に戻る道すがら、ソドムのリンゴを見つけた。

ソドムのリンゴは毒を持つ果実がなる植物のことで、触ると手が被れてしまうという。

その由来は、旧約聖書に出てくる背徳の街ソドムと、

禁断の果実と称されることもあるリンゴの掛け合わせだとか。

これを見つけると、砂漠に来たことを実感する。

旅の終わりが近づくにつけ、次の砂漠の旅に思いを馳せる自分を見つけた。


ウスチュルト台地~マンギスタウ/カザフスタン

2020-09-11 10:20:37 | 旅行

カザフスタンは、カザフ人の国。

1991年「カザフスタン共和国」としてソ連から独立。

人口の約7割はカザフ人が占めるが、ロシア人も2割を構成。

カザフスタンには、遊牧民の国のイメージがあるが、

石油・天然ガス、石炭などに恵まれた資源大国。

マンギスタウは、カザフスタン西部のカスピ海沿岸の州で、

内陸部には、ウスチュルト台地が広がる。

この台地は、カスピ海からアラル海までに亘って広がる砂漠地帯で、

今回の旅のターゲット。

このエリアの大地の形成過程は、かつて地球に存在したテチス海にまで遡る。

テチス海は、約2億年前に始まるパンゲア大陸の分裂により生まれた

ローラシア大陸とゴンドワナ大陸に挟まれた海域で、

地中海から中央アジア・ヒマラヤ・東南アジアにまで広がっていた。

カスピ海、黒海、地中海は、このテチス海の名残で、

大陸移動により550万年前に陸地に閉じ込められたもの。

この地球規模の大陸の形成過程で、マンギスタウに神秘的な景観が出現した。

インチョン空港を経由して、カザフスタンの首都アルマトイまでアシアナ航空を利用する。

中央アジアへのアクセスには欠かせないルート。

翌朝、カザフスタンの航空会社エア・アスタナでカスピ海に面した州都アクタウヘ。

アクタウは、石油・天然ガスの天然資源とともに水産資源の基地でもあり交通の要衝。

活気に満ち溢れており、行きかう人々の笑顔が絶えない。

出会った学生たちは、皆、着飾っており、学校イベントの一環だという。

海岸沿いの公園には、多くの家族連れで賑わっていた。

快適なホテルで一泊した後は、翌日からは5日間のキャンプ生活が始まる。

最初の絶景スポットは、ウスチュルト台地のボスジラ。

夕陽に赤く映える奇岩と影。

やがて訪れる満点の星の世界。

日の出とともに、暗闇から出現するシルエット。

時間とともに変化する色は無限。

それを表現する言葉は見当たらない。

台地におけるキャンプは、決して飽きさせることがない。

砂漠の移動は要注意。

4WDの作った轍に陸亀が屯する。

ドライバーは、わざわざ車を停車させて、一匹ずつ摘まみ上げては、

通り道から離れた所へと放り投げていた。

炎天下の砂漠には日影がないため、轍の作った日影の居心地が良いのだろうか。

次のスポットは、シェールカラ。

シェールはライオン、カラは城。

横から見ると、ライオンが横たわっているように見える。

ここで地元民のライダーにお目に掛かった。

こんなところで人に合うとは・・・と、お互いカメラを向けた。

中でも、日本人は珍しいのだろうか。

それにしても、ツーリングで、こんな絶景エリアを旅することが出来るとは。

実に羨ましい。

そして、トゥズルバイ塩湖

ウユニ塩湖を凌ぐ絶景かも知れない。

白亜の大地が湖面に浮かび、そのシルエットが、より一層ここの魅力を増幅する。

自分たち以外に人間がいないのだから、鏡のような湖水を独り占め出来る。

飽きるほど燥ぎ、飽きるほどシャッターを押した。

子供の頃に帰ったように、何時間でも遊んでいられる。

こんな経験は、大人になってから、すっかり忘れていた。

煩わしい世の中にあって、すさんだ心が洗われるような思いが。

アトラクションは化石探し。

サメの骨やイカの軟骨。

そしてウニ?!

アンモナイトも。

太古の時代を生き抜いてきた生物が大地にその痕跡を残している。

ゆったりと流れる時間と、止まったままの時計の針が融合する瞬間のようだ。