ペルセポリスは、アケメネス朝ペルシア帝国の都。
ダレイオス1世が建設(紀元前520年~)した宮殿群。
ペルセポリスは読んで字のごとし「ペルシア人の都」。
アケメネス朝の王は、春はスサ、夏はエクバタナ、冬はバビロンで過ごしたとされるが、
ペルセポリスはアケメネス朝の滅亡の時まで首都と見なされていた。
しかし、紀元前331年、アレクサンドロス大王の攻撃によって破壊され、廃墟となった。
この遺跡は、シリア「パルミラ遺跡」、ヨルダン「ペトラ遺跡」とともに、中東の3Pと呼ばれ、
いずれも世界遺産に指定されているため観光客の格好のターゲット。
遺跡があるのは、イランのファールス州。
ファールス州(イラン南部の歴史的地域名・州都はシラーズ)の古名は「パールス」。
これに因んで、この地域を西洋では「ペルシア」呼ぶ。
イラン人自身は「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼ぶ。
「ペルシア」の呼称を認めた時期もあり混乱を生じたが、
イラン・イスラム革命(1979年)を経て「イラン・イスラム共和国」、通称イランに統一された。
イランは地政学的に重要な場所に位置し、かつてはシルクロードの要衝。
経済や文化の中心地として、その富を背景に、権力者の盛衰が繰り返された。
ペルセポリスに残された遺跡のレリーフには、王への謁見者が貢物を携えて居並び、
その衣装・髪型・装飾品等から、世界各地から来訪であることが表現されている。
広大な敷地の建造物は、如何に偉大であるかを誇示するに十分な役割を果たしている。
イランには見どころが沢山。
「世界の半分」といわれるほど繁栄したエスファハンも。
サファヴィー朝アッバース1世が建設・遷都(1957年)した都。
想像を超える広さを誇るイマーム広場や、青色のタイルで美しく装飾されたモスクなどは、
その象徴だろう。
中でも、広場を囲むように取り囲むスーク(市場)の繋がりには、目を見張るばかり。
お店によって、品ぞろえが違うのだ。
手作りのモノばかりなので、当然ではあるが・・・
例えば時計。
時を刻むのは東アジア製のクォーツだが、文字盤が微妙に違っていたりと。
一日中、歩いても飽きることがない。
イスラムの国にあって意外だったのは「写真撮影」。
事前に了解を得ると、喜んで応じてくれる。
女学生たちが、わざわざ集まって来てくれて、撮りやすいように並んでくれる。
日本人を見る機会が少ないため、興味津々と言った方が良いのかも知れない。
また一方で、歴史ある民族であるイラン人のプライドはとても高い。
アメリカとの政治的な対立に対しても、毅然とした姿勢を変えることはない。
ただ、長く続く経済制裁により、社会不安が高まっていることも事実だ。
ガイドが、御法度の国際政治を論じていたことには驚かされた。
こんな素晴らしい国だが、イランヘの旅行には、なかなか踏み切れなかった。
理由はアルコール。
現地では手に入らないばかりか、持ち込みも厳禁。
入国時に見つかると、没収だけでは済まされないとも。
休肝日としては長すぎるが、諦めも肝心。
ホテルやレストランでは、ノンアルコールビールが用意されている。
種類もイロイロ。
レモン、ライム・・・
始めは、違和感がかなりあったが、
毎日、違う味に変えて飲み続けると、慣れてくるから不思議だ。
「最後はコレが一番おいしい。」と評価するようになった。
とはいうものの、トランジットでドバイの空港に着いたときには、
ハイネケン・ビアバーに飛び込んだのは言うまでもない。