ストックカンリは、インド北部ラダック地方の名峰(6153m)。
求められる登山技術レベルが高くないため、6000m峰を目指す登山者を対象にした登山ツアーが催行されている。
登頂成功の鍵は、高山病への対応で、より慎重かつ思い切った決断が求められる。
命辛々途中下山したとの話を聞く。
ラダックは、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれたインダス河源流域の地域で、カシミールの東側半分にあたる。
ほとんどの土地が標高3000m以上の高山地帯。
中心都市はレー。
チベット仏教の中心地のひとつ。
周辺部は国境の係争地。
北東部は新疆ウイグルやチベットと接し、一部は中国が実効支配する。
また、西はパキスタンとの国境係争地帯カシミールで、
ラダック第二の都市カルギルはイスラム教徒が多く住む。
ザンスカールは、ザンスカール川の上流域の標高3500~7000mの高地。
チベット民族が住み、広い意味では、ラダックの一地方。
ザンスカールはチベット語で「白い銅」を意味し、かつては銅の産地という。
ザンスカールの都市パドゥムから中心都市レーまで道のりは、
ザンスカール川沿いに直接いく道路がないために、
山岳地帯の峠を幾つも越えて行く必要がある。
そのアクセスの悪さから、ザンスカールのチベット仏教を中心とした文化や生活習慣が、
いにしえの時代そのままに残されており、風光明媚な山岳地域の自然と相まって、
何とも魅力的な空間が広がっている。
私が、この地域に興味を持ったのは、旅仲間からの一通の絵葉書がきっかけ。
この地域の生活文化の一断面を切り出したようなワンショットに衝撃を受けた。
そしてまた6000m峰ストックカンリ。
いつかは登頂したいと思い、下見を兼ねて旅に出た。
私が訪ねたのは2017年。
当時ちょうどパキスタンとの領有権をめぐる衝突が増しつつあった。
案の定、国境に近い地域は、外国人の立入規制が出され、景勝地シュリーナガル「ダル湖のハウスボートと水上バザール」観光はお預けとなった。
インドの首都デリーからラダックの中心都市レー(標高3500m)に向けて、飛行機に乗り込んだ。
山岳地帯の空港の着陸確率は決して高くはない。
天候が悪ければ引き返すことになる。
これまでにも、そうした経験を積んできているが、何の役にも立たない。
友人からも散々脅かされた。
運を天に任せるしかない。
良からぬ心配も杞憂に終わり、無事にラダックの地に立つとともに、
チベット仏教の世界へと足を踏み入れた。
案ずるより産むが易し。
まず、訪ねたのは、インダス川にザンスカール川が合流する地点。
この上流に、ザンスカールが広がっている。
川が凍結する時期には、氷の上を歩いて遡ることができるという。
しかし、そう簡単な道のりではなさそうだ。
現在、道路建設の計画があり、それが完成すると、ザンスカールまでのアクセスは容易となるが、
良いことばかりではないように感ずる。
フォトュ・ラ(3720m)、ナミカ・ラ(4029m)の峠を越えて進むと、カルギル(2705m)の街に入る。
そこは、もうイスラム教の世界が広がる。
住んでいる人達の顔立ちが変わり、町並みの所々にモスクが点在する。
よく見ると、モスクに至る道の両側にマニ車が並ぶ。
これは衝撃的な光景。
強い違和感を覚えたが、日本の神仏混合と思えば納得する。
お寺の直ぐ横に神社があるのを見掛けることもしばしば。
慣れてしまえば、何でもないのかも知れない。
道すがら、クン峰(7087m)、ヌン峰(7135m)と氷河を眺めつつ、
ペンシ・ラ(4401m)を越えるとザンスカールに入り、チベット仏教の世界に舞い戻る。
お寺を訪ねると、お約束のパドマサンバヴァが登場する。
パドマサンバヴァはチベットに密教をもたらした人物で、
チベットやブータンではグル・リンポチェ。
チベット密教の開祖であり、ニンマ派の創始者である。
壁画は、傷みが進んでいるものもあるが、全てオリジナル。
篤志家には、堪らない場所なのだろう。
お寺のお祭りを覗いた。
村人たちが総出で、着飾ってやってくる。
子供たちもたくさん集まって来た。
いろいろな踊りが披露された後、ここでも主役はパドマサンバヴァ。
大きなかぶり物と豪華な衣装を身にまとって登場する。
儀式が一渡りすると終了。
村人たちは三々五々引き上げていく。
お寺では、それぞれ時期をずらしてお祭りが催されるようだ。
娯楽の少ないこの地域の大切なイベントなのだろう。
山の斜面に建てられた尼僧院を訪ねた。
尼僧なのだから、全員が女性である。
小さな子供も多く見かけた。
みんな明るく元気にお勤めに励んでいるようだ。
貧しい地域でのお寺の担っている役割が小さくないことを感ずる。
高台から、ザンスカールの高原の景色を見渡すと、
まさに桃源郷にいるかのように感じざるを得ない。
最終日はレー観光。
ホテルの夕食の時に、顔見知りの人達を見つけた。
明日から、ストックカンリ登頂に出発するという。
中でも、一年前の黒部下の廊下阿曽原温泉小屋で、乾燥室に干した衣類の取り違えがあり、
私の予備のユニクロを差上げた方も含まれていた。
「その節は・・・」と、再会を喜び、
「頑張って下さい。」と、願をかけた。
帰国後、暫くしてから、登頂の知らせが届いた。
爾来、当方の番が到来することを待ち続けている所である。