11月3日文化の日は、この地区も秋祭り。
私も昨夜遅くと今朝起きてから、一応お祭のご馳走つくりをした。
昔と違い、呼んだり呼ばれたりのお客様があるわけではない。
我が家だけでなく、恐らくどの家もそうなのだろうと思う。
だから、商売もグーンと暇になってきた。
夫が店にいてくれる間に、写真を撮ることとし、
先ずは、宇津峰の山の麓へ。 上の写真がそれ。
次に我が家の氏神様へ。大蛇神社という。
中には画家として生きた伯父の大蛇の画が奉られている。
先日の銀杏はここで拾ったもの。
少し離れたところに立てられたこの旗の文字を書いたのは、
義母の実家の父親つまり我が夫の祖父(故人)である。
話には聞いていたが、この目でしっかりと確かめることが出来て感動した。
この堂々とした文字、「磐岳」の署名、実名4文字のはんこ。
50数年も前に書いたものがここにあり、新しい世代まで受け継がれている。
この地区には、もう一つの大きな神社(村社)があるが、時間の関係で行けなかった。
家に戻ると、お神輿が既に我が家へ廻った後だった。
追いかけて静かにシャッターを押したつもりが・・・・・
お神輿は3つの子供会に分かれて行い、さらに二手に分かれて歩くので、
少なくなった子供の数が余計に少なく見える。
それにお神輿の歴史が浅いので、市の中心部にあるような立派なものではない。
毎年自分たちで飾り付けをする樽神輿なのだ。それをリヤカーで引く。
後ろ姿が淋しく見えた。
今日の役目を終えて、衣装を脱がされ我が家へと戻って来た仁井田本家のこもたる。
mさんのタイトルをお借りして書き出したこのブログ。
肝心の「おいしいごはん」は、Yさんから戴いた「お赤飯」
栗とささぎ豆が入っていて、蒸かし加減も丁度良くとても美味しかった。
これは、我が家の朝のごはん。「ピラフ風マイタケごはん」
先日のマイタケの残りを使った。
バターで炒り、塩味にしたマイタケを少々固めに炊いたコシヒカリに混ぜるだけの
簡単ごはんだが、家族の評判は上々だった。
伝統が引き継がれているのですね。
その土地に代々。。。
うらやましいですね。
うちは埋立地だし、コンクリートだし。
おいしそうなお赤飯です。
自然な色がにおいまで運んできていますよ。
たる神輿は子どもの頃、同級生の親が作ってくれました。楽しい思い出があります。
子どもが手を振ってますね。この子たちもうれしかったのでしょう。いい思い出になりますよ。
こもたるさん、ご苦労さんでしたね。
”おいしいごはん”になりました。
豊穣の秋祭りです。
オヤジな私さんのお家で、笑ってきました。
こちらでもお祭りですね。
お赤飯もピラフ風マイタケご飯も美味しそう。
このピラフ料理真似してもらいます。
ゴジラの件、ありがとうございました。
初めて辿ってみて、この目で確認できて嬉しかったです。
集会所では若いママさんたちが芋煮会の準備をしています。
地区の全戸を廻り終える頃、お酒と温かい豚汁(けんちん汁)がまっています。
お赤飯美味しかったですよ。
私は勇壮な山車とかに憧れています。未だひいた経験がありませんので、一度は引けなくてもせめてつかまって歩くくらいはしてみたいです。
大阪岸和田のだんじり祭りはものすごいですね。
午後には大蛇神社で氏子達の一杯呑みながらの集まりがあります。
こも樽、最近は作れる人がだんだんと少なくなっているようです。
家族揃ってのおいしいごはんでした。
Kが打ちにくくて腱鞘炎になりそうです。
この地区では児童数が年々減ってきています。5年後、どうなるんでしょう。
11月23日は、収穫感謝祭(新嘗祭)です。
近くに静御前が腰掛けたと言われる石が残されています。
そこにも女性達が毎年お祭をする慣わしがあります。
私も何度もお邪魔して大きな声で笑って来ました。お腹の皮がねじれそうです。
「自然に1回大笑いすることは3分間のエアロビクスに匹敵し、10回の温かいほほえみは10分間のボートこぎ運動に等しい」そうです。
ということは、私、運動不足と思っていましたが、案外運動してるんだって思えました。
「ピラフ風マイタケごはん」の名づけ親は
何を隠そう、この私です。(*^.^*)エヘッ
料理の名前も付けるのが、楽しいですね。
また簡単で男でもできる料理、教えてくださいね。
私の「おしゃべりサロン」でも構いません。
大蛇は「オロチ」とお読みするのですか?
宇津峰山677mはなかなかの山ですね。昔からの土地柄ですので、登山道も何本もあることでしょう。山頂からの眺めもいいことでしょうね。
子供達の数が少なくなってお寂しいことでしょうね。