創世記19・12~29/伝道礼拝

ソドム・・・死海の近傍にあった古都市。ゴモラと共に住民の罪悪のため、神によって滅ぼされた(創世記19章)。比喩的に、罪業の都市。ソドミー・・・(旧約聖書の創世記にあるソドムから)男色や獣姦・少年愛など(広辞苑)。
主はマムレの樫の木の下に天幕を張っているアブラハムの許に来られ、来年の今ごろ、妻サラに男の子が誕生すると告げられた(18・1~15)。「そして、世界のあらゆる国民が彼によって祝福される」アブラハムに、主はソドムとゴモラの滅亡を明らかにし、語り終えられると、去って行かれた(18・16~33)。
その夕方、二人の御使いはソドムに来た。アブラハムの甥ロトは彼らを見るなり、立ち上がって迎え、地にひれ伏し、家に泊まるようしきりに勧めた。その夜、町の男たちが押し寄せて来た。ロトは二人の旅人を懇ろにもてなし、自分の庇護の下に入った客人を守ろうとし、そのため二人の娘を差し出そうとした。彼は罪を罪で阻止しようとしたのです。その時、二人の客人が手を伸ばし、ロトを家の中に引き入れ、ロトに身内の者をみな引き連れてこの場所から逃げるよう言った。ロトのことばは一笑に付された。夜が明ける頃、御使いは逡巡しているロトをせきたてた。なおも躊躇うロトを主は憐み、御使いにその家にいたロト、妻、二人の娘の手を掴ませ、町の外へ連れ出させた。御使いは「いのちがけで逃げなさい。後ろを振り返ってはならない。この低地(照13・10)のどこにも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう」と言った。なお言い訳するロトは近くの小さな町に逃げ込ませてくださいと願った。忍耐と寛容の主はロトの願いを聞き入れ、「急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまで、わたしは何もできないから」と言われた。太陽が昇り、ロトがその町に着いたとき、主はソドムとゴモラの上に硫黄の火を降らせ、町々と低地全体を、全住民と地の草木もろとも滅ぼされた。その朝早く、主と語った場に立ったアブラハムは、ソドムとゴモラ、低地一帯から、炉の煙のように煙が立ち上っているのを見た。しかし、「神はアブラハムを覚え、ロトを破滅の中から救い出された」。
神により創造されたこの世界は、アダムの罪のゆえに光と闇、平和と災いが交錯する世界となりました(照イザヤ45・7)。自然災害や人災が私たちの人生に降りかかってきます。そうした災難を他人事とし、傍観視することは危険なことです。主イエスは「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」と警告されました(照ルカ13・1~9=11/6説教/照ローマ2・3~4)。また主イエスは「人の子はまず多くの苦しみを受け、この時代に捨てられ」、その後に再臨の日が来ると語られる中で、ソドムとゴモラの滅亡に言及し、「ロトの妻を思い出しなさい」と警告されています(照ルカ17・28~33)。この地(世界)に生きる私たちは、ただ神の憐みにより滅ぼされず、生かされています(照ホセア11・8~9)。アブラハムの故にロトを滅びの中から救い出された神は、イエス・キリストの故に、滅びるべき私たちをもお救いくださる神です。この神を仰ぎ、救い主イエス・キリストの十字架の立つゴルゴダの丘(山)に逃れ行く者とされましょう。


ソドム・・・死海の近傍にあった古都市。ゴモラと共に住民の罪悪のため、神によって滅ぼされた(創世記19章)。比喩的に、罪業の都市。ソドミー・・・(旧約聖書の創世記にあるソドムから)男色や獣姦・少年愛など(広辞苑)。
主はマムレの樫の木の下に天幕を張っているアブラハムの許に来られ、来年の今ごろ、妻サラに男の子が誕生すると告げられた(18・1~15)。「そして、世界のあらゆる国民が彼によって祝福される」アブラハムに、主はソドムとゴモラの滅亡を明らかにし、語り終えられると、去って行かれた(18・16~33)。
その夕方、二人の御使いはソドムに来た。アブラハムの甥ロトは彼らを見るなり、立ち上がって迎え、地にひれ伏し、家に泊まるようしきりに勧めた。その夜、町の男たちが押し寄せて来た。ロトは二人の旅人を懇ろにもてなし、自分の庇護の下に入った客人を守ろうとし、そのため二人の娘を差し出そうとした。彼は罪を罪で阻止しようとしたのです。その時、二人の客人が手を伸ばし、ロトを家の中に引き入れ、ロトに身内の者をみな引き連れてこの場所から逃げるよう言った。ロトのことばは一笑に付された。夜が明ける頃、御使いは逡巡しているロトをせきたてた。なおも躊躇うロトを主は憐み、御使いにその家にいたロト、妻、二人の娘の手を掴ませ、町の外へ連れ出させた。御使いは「いのちがけで逃げなさい。後ろを振り返ってはならない。この低地(照13・10)のどこにも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう」と言った。なお言い訳するロトは近くの小さな町に逃げ込ませてくださいと願った。忍耐と寛容の主はロトの願いを聞き入れ、「急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまで、わたしは何もできないから」と言われた。太陽が昇り、ロトがその町に着いたとき、主はソドムとゴモラの上に硫黄の火を降らせ、町々と低地全体を、全住民と地の草木もろとも滅ぼされた。その朝早く、主と語った場に立ったアブラハムは、ソドムとゴモラ、低地一帯から、炉の煙のように煙が立ち上っているのを見た。しかし、「神はアブラハムを覚え、ロトを破滅の中から救い出された」。
神により創造されたこの世界は、アダムの罪のゆえに光と闇、平和と災いが交錯する世界となりました(照イザヤ45・7)。自然災害や人災が私たちの人生に降りかかってきます。そうした災難を他人事とし、傍観視することは危険なことです。主イエスは「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」と警告されました(照ルカ13・1~9=11/6説教/照ローマ2・3~4)。また主イエスは「人の子はまず多くの苦しみを受け、この時代に捨てられ」、その後に再臨の日が来ると語られる中で、ソドムとゴモラの滅亡に言及し、「ロトの妻を思い出しなさい」と警告されています(照ルカ17・28~33)。この地(世界)に生きる私たちは、ただ神の憐みにより滅ぼされず、生かされています(照ホセア11・8~9)。アブラハムの故にロトを滅びの中から救い出された神は、イエス・キリストの故に、滅びるべき私たちをもお救いくださる神です。この神を仰ぎ、救い主イエス・キリストの十字架の立つゴルゴダの丘(山)に逃れ行く者とされましょう。
