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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

今日の教会学校・天のはしご

2015年08月02日 | CS (教会学校)
エサウに命を狙われたヤコブは、旅に出ました。
母のリベカは、
しばらく、おじさんのラバンのところにいるように、と
知恵を貸してくれました。

しかし、ヤコブは不安だったと思います。
日が暮れ、荒野でひとり寝ることになりました。
枕がないので、大きな石を拾いました。

ひとりぼっちだ。

ヤコブはその夜、夢を見ました。





天と地の間に、階段ができています。
天使たちが、その階段を上り下りしているのです。

さらに、神が現れて、
あなたの子孫を干し星の数のように増やし、
カナンの地を与える、
と言葉をくださいました。

いつもそばにいる。
おまえを守る。

神さまの言葉を聞いて、
ヤコブは目が覚めました。

ヤコブは感動し、勇気をもらいました。
枕にしていた石を祈念碑として建てました。
ここは「神さまの家(ベテル)」だ。

わがまま放題だったヤコブは、
このときから、誠実な人生を歩み始めます。
神さまが共にいてくださることが分かったのです。

今月のポスター

2015年08月01日 | CS (教会学校)
8月の教会学校ポスターができました。





香椎高校の皆さん、
香椎バプテスト教会、ご存じですか。
門から駅への、反対側ですから、
一度もこの道を
通ったことがない、という人もいるでしょうね。

一度、来てみてください。
教会学校そのものは、小学生が対象ですが、
夏の暑さの中で
ちょっと落ち着いた気持ちになれる、
そんなひとときを迎えてみませんか。

キャンプ報告3

2015年07月29日 | CS (教会学校)
よく体を洗い、
最後のまとめです。

今日、勝利をしましたか。

礼拝のときから使っていた
今日のためのワークプリントに、
勝利のイメージを書いてもらいました。





「香椎教会は、勝利の教会なんです」

なぞなぞを礼拝のときに出していましたが、
誰もすぐには分かりませんでした。
ヒントは、このプリントの表紙にあります……。

香椎教会は、輝く勝利の教会なんです。

おじさん趣味のなぞなぞは、
案の定、大人が楽しむものとなりました。
ふふふ。

さあ、最後には、
きちんと御礼を述べましょう。
この場所を毎年提供してくださる御夫妻に、
改まったご挨拶を、きちんと。





また来年もよろしくお願いします。
おやおや、もう来年の予約ですか。
一年後の希望ができました。

たくさんの方々のご協力により、
今年もデイキャンプを終えることができました。
ありがとうございます。

なかなかご同行になれず、
暑さのなか家や職場でお祈りくださった皆さま、
ありがとうございました。

キャンプ報告2

2015年07月28日 | CS (教会学校)
バーベキュー準備班が、
買い物を済ませて少し遅れて到着しました。
子どもたちの礼拝の背後で、
炭が起こされていました。
でも、なるべく多くのおとなの皆さまも、
この礼拝には参加してくださいとお願いしたら、
ほとんどの方が集まってくださいました。

さあ、できました。
めしあがれ。





そして午後、水着に着替えて、
海へ出かけました。

関東から一時福岡に来ていた、
ちびっこは海の波が少し怖いので、
水際で砂遊びをしました。





お姉ちゃんがいっしょに遊んでくれました。
楽しかったね。

キャンプ報告1

2015年07月27日 | CS (教会学校)
25日、好天の下、
教会学校のデイキャンプが始まりました。

今年は、子どもたちの車を
買い物につき合わせず現地に直行させ、
朝のうちに一度海に足を運ぶことにしました。

波は心配したよりも静かで、
何より夏らしい陽射しの快さ。
午後が楽しみになりました。





しかし、まずは集会。
教会なので、小さな礼拝を始めます。
讃美をしました。

「海のように」





こうして、
ローマ人への手紙8:37から、
題して「輝かしい勝利」のメッセージが
取り次がれました。

今日は、勝利を見つけましょう。
課題をもらって、
さあ、食事です。

今日の教会学校・ヤコブとエサウ

2015年07月26日 | CS (教会学校)
話はイサクの息子たちになります。
双子が生まれたとき、
どうも弟のヤコブのほうが、
兄のエサウより要領がよさそうではありました。

それが、大きくなって、いっそうはっきりしてきます。

勇敢で力があり、狩りなどに活発なエサウに対して、
ヤコブはお母さんのリベカにべったりで、
何かチャンスがあれば出し抜いてやろうと様子をうかがっています。

そんなある日、
狩りから戻ったエサウは、
ヤコブのつくっていた料理が食べたくて仕方がありません。
どうかそれをくれと言うエサウに対してヤコブは、
「じゃあ、年上の兄がもらう権利をぼくにください」と言いました。
エサウはとにかく食べたいので、「いいとも、いいとも」と
煮物に飛びついてしまいました。





後になり、父のイサクが年をとり、
もう後継ぎに任せようとしていた時のことでした。
イサクは、兄のエサウに対して、
祝福という儀式で、後継ぎの権利を渡そうと考えました。
このころ、後を継げなかった兄弟は、
お金ももらえず家を出て行くよりほかなかったのです。
エサウは、料理を作るために狩りに出かけました。

この様子を知ったリベカは、ヤコブに入れ知恵をします。
「エサウのふりをして、お父さんから祝福をもらいなさい」
ヤコブは母の料理を受け取り、
動物の皮を身につけて、毛深いエサウになりきりました。
イサクはこのころ、目が悪くなっていたので、
この手触りにだまされてしまいます。

ついに、ヤコブは父イサクから、
後継ぎとしての祝福を受けました。

後から料理をもってきたエサウは、愕然としました。
「もう祝福はないのですか、お父さん」
「ない」
かわいそうなようですが、
神さまの祝福にしても、
なあなあでいくらでもくれるというものではありません。
神さまの約束したとおりになされるのです。

だましたヤコブが、いいことをしたとは言えないでしょう。
でも、煮物の件で甘くみたエサウもエサウです。
この結果は、仕方がないところなのかもしれません。

目先のことしか見えないとき、
神さまが用意した、もっと大きなすばらしいものを、
失ってしまうことがあるかもしれません。
何を見つめればよいのでしょう。
これからも聖書に聞いて、それを教えて戴きましょう。

今日の教会学校・イサクの結婚

2015年07月19日 | CS (教会学校)
アブラハムの前に、
一度神にささげられた、息子イサク。
いうなれば、
死んでよみがえったイエスさまのような運命をたどり、
イサクも大人になりました。

アブラハムへの約束が、
その子孫を星の数のように増やすものであったことを、
ここで思い出しましょう。
それが実現するためには、
まずこのイサクが結婚しなければならないのです。

アブラハムは、
よいお嫁さんを探すために、
召使いにその仕事を命じました。
同じ一族の、すばらしい娘を連れてくるように、と。

でもどうやって?
召使いは、神さまに祈りました。
そして、自分とらくだに水をくれる女性がいたら、
それが神さまの示した、ふさわしい相手です、と。





すると、どうでしょう。
祈ったとおりにしてくれる女性が現れたではありませんか。
その人の名はリベカと言いました。
しかも、アブラハムの一族の娘だと分かり、
召使いは感動して神さまにまた祈りました。

こうして、アブラハムの信仰は、
息子イサクとその妻となったリベカへと
伝えられていくことになりました。
イサクはまた、やがて生まれた息子ヤコブに、
その信仰を伝えていくことになります。
イスラエル人はその後もずっと今にいたるまで、
「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神」と、
神さまのことを思い、祈り続けているのです。

今日の教会学校・アブラハムの試練

2015年07月12日 | CS (教会学校)
三日前に、このお話に触れました。
今日が合同礼拝であるために、
先週の教会学校のときに、
今日の内容も一緒に学んだのです。

それは、アブラハムの試練でした。
神さま自ら約束をして、
ようやく百歳のアブラハムに与えられた、
ひとり子イサク。
そのイサクを、羊のようにいけにえにせよ、だなんて。

アブラハムとイサクは、
目的の山まで歩きます。
三日目にようやくそこが見えてきました。
手伝いの者をそこにのこして、
二人は山に登ります。

イサクは、いけにえの動物がいないと言いますが、
アブラハムは、主が備えてくださる、とだけ答えます。

驚くことに、アブラハムは、
イサクへの命令を聞いたときも、
イサクと歩いている時にも、
なんのつぶやきもせず、悩みも見せないのです。
心の内をすべて隠したまま、
二人が歩いていく様子が目に浮かびます。





縛られるとき、
イサクはどう思ったか、
それさえも聖書は沈黙しています。
緊迫した場面です。
アブラハムが刀を振り下ろそうとしたその時、
御使いがアブラハムに呼びかけてそれを止めます。

分かった、分かった。
神さまは、アブラハムの信仰に感心します。
神に従うテストに合格した、と二人を祝福します。

大切な何かを捨てるように言われたとき、
皆さんは、どう思うでしょうか。
もしかしたら、自分がこだわるそれ以上に素晴らしいことを、
神さまは用意していらっしゃるのかもしれません。

アブラハムの試練

2015年07月09日 | CS (教会学校)
教会学校では、
引き続いて、アブラハムの経験を
たどっています。

約束の子、イサクが生まれました。
しかし、神自ら約束――契約・旧新約――したひとり子を、
今度は殺してささげよと命じます。

なんという不条理。
これではまるで、異教の偶像の教義のようです。

――しかし、ここに聖書は、
「神はアブラハムを試練に会わせられた」
と記していました。

試練とは何でしょう。
試すこと。錬とすれば、金属をねること。
テストすることですから、
合格すれば、上の段階に引き上げられるでしょう。

――もうひとつ、聖書は、
「あなたは、自分の子、
 自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた」
と記しています。

ここで「ひとり子」に強く反応し、
これはキリストのことだ、と話が走りがちですが、
今回教会学校では、「ささげた」に注目しました。
まだイサクを殺してはいないのに、
「ささげた」と認定されているのです。





また、画用紙に
小学生がマンガを描いてくれました。

自分なりに、
この物語を受け止めてくれたらよいのです。
この話は、
こんなことを言っているのですよ、などと
決めつけるような教え方をするのでなく、
共に、神の言葉を聞くようでありたいと思いました。

7月の教会学校ポスター

2015年07月07日 | CS (教会学校)
小学生以下のみなさん、
お待たせしました。

香椎バプテスト教会の教会学校の案内が、
いよいよ外にはりだされるポスターとして
できあがりました。

道を通ったとき、見て、
いつ来たらいいか、たしかめておいてくださいね。





12日は、おとなと一緒の礼拝です。
でも、若い伝道師さんの、分かりやすいお話ですから、
ちっとも心配はいりません。

もちろん、その他は、子どもと先生だけの教室です。
昔むかしの、不思議なお話がありますよ。

毎月、ポスターは変わります。
お楽しみに。




今日の教会学校・イサクの誕生

2015年07月05日 | CS (教会学校)
あなたは多くの国民の父となる。
老年のアブラハムに対する、神さまの約束でした。
アブラハムは、信じました。

でも、なかなかその気配がありません。
ついにアブラハムは、百歳に近くなりました。

その日、三人の客がアブラハムの前に現れました。
旅人をもてなす地域の習慣に従い、
アブラハムとサラは三人を温かく迎えました。

するとそのうちの一人が、
来年サラが男の子を産む、と言いました。
サラは思わず笑いました。





そして一年後、男の子はほんとうに産まれました。
「笑う」という意味が入った「イサク」という名前を、
アブラハムはその子につけました。
そのときアブラハムは、百歳になっていました。


さて、来週は合同礼拝です。
なかなか聖書のことを分かってくれない、
外国の人たちの中に立った、パウロのお話です。

そして7月25日(土)
教会で朝から午後まで、
宗像の海で過ごすお楽しみがあります。
ごちそうもあります。
お問い合わせは、教会へ。

遅れたお客さま

2015年07月03日 | CS (教会学校)
香椎バプテスト教会の会堂は、三階です。
エレベータがありますので、
どなたも道路から見える階段から左手にある、
エレベータをご利用になれます。

教会学校は、二階で行われています。
階段をお上がりになると、
二階の入口が、そこです。
ホールとして、食事をする部屋でもあります。

礼拝が始まってだいぶたってから、
教会にお越しの方もいらっしゃいます。
そのときには、
教会学校担当者が出迎えるような形になります。

ホールからは入口がよく見えるからです。

ところが28日、
ずいぶんと背の低い方が、
だいぶ遅くに姿を見せました。

あら、猫です。





目が合うと、
猫はまた階段を降りて、道路に行きました。
追いかけてみました。
少し車の下に潜ってこちらを見ていた猫は、
振り返り振り返り、
道路を過ぎて行くのでした。

猫もお話が聞きたかったのかな。

今日の教会学校・助け出されたロト

2015年06月28日 | CS (教会学校)
神さまのメッセージは、
時に「御使い」を通して届けられます。
ロトの場合も、なにげない二人の旅人のようでした。
ロトは、親切に二人を迎え入れ、もてなしました。
そうすることは、当時その地の、良い習慣でした。

しかし、その夜、
その客たちに目をつけた、悪い男たちが訪ねてきました。
ロトは、客をかばいました。
すると男たちは、ロトに、よそ者のくせに、と迫りました。

二人の客はロトを助け、男たちの目をくらましました。
そしてロトに、
この町から逃げ出しなさい、と告げ、さらにこう言いました。

実は、この町を滅ぼすために、
神から遣わされたのです。





ロトはよその家に言った二人の娘に声をかけ、
妻と四人で、翌朝出発します。
あの二人は、
命がけで山へ逃げなさい、振り返ってはならない、
それだけ命じました。

ロトは、山は遠くて無理だから、
小さな町ツォアルにまず行かせてほしいと願いました。
二人は、それを聞いてくれました。

やがて、ロトのいた悪い町は滅ぼされます。
ソドムとゴモラという町でした。
残念ながら、振り返ったロトの妻は、
塩の柱になってしまいましたが、
ロトと娘たちは生きて逃げることができました。

先週聞いた、アブラハムの「とりなし」を覚えていますか。
それはロトを救うことになったのです。

アブラハム第2弾

2015年06月26日 | CS (教会学校)
先週に続いて、
教会学校では、族長アブラハムの生涯を追いました。
今回は、
アブラハムの「とりなし」です。

「とりなし」とは、
間に立って、怒りを宥めようとする試みのことで、
神が滅ぼそうとした街に甥のロトがいるアブラハムが、
神に、なんとか滅びずに済むように交渉したのです。

もし50人の善人がいても滅ぼすのですか。
アブラハムは神に詰め寄ります。
これだけ神に近しく語れるということ自体、驚きですが、
そこが「信仰の父」アブラハムたるゆえんかもしれません。





それで、また、「まとめ」の続きがありました。

ちょっとしたイラストで、
理解したことをまとめる。
これは実は、学習上たいへん有効な手段でして、
なにもドラマチックなマンガに仕立てる必要はありませんが、
このようにまとめることで、
子ども自身の中でも、考えがまとまり、
時に成熟していくということがあります。

聖書をただ読む、あるいは
へたをするとただ眺めるだけで終わらせず、
文章にして考えたことを表すなど、如何でしょう。
個人的にも、やり続けていくのは、
たいへんよいことが多いと思っています。

今日の教会学校・とりなすアブラハム

2015年06月21日 | CS (教会学校)
「とりなす」って、あまり使わない言葉ですね。
でも、経験のある人はきっといることでしょう。
うまくいかない二人の間に立って、
仲直りさせようとすることです。
気まずい雰囲気をまとめることも、そうです。

アブラハムのもとに、
ある日三人のお客さんがありました。
この地方では、今でもそうですが、
旅人や客を、あつくもてなす習慣があります。

この三人はアブラハムに、
来年また来るから、そのときには、
サラに赤ちゃんが生まれている、と言いました。

それから、アブラハムが三人を
見晴らしのよいところまで送っていったとき、
そこから見えるソドムとゴモラという2つの町が、
もう救いようがないほどに悪に染まっているために、
神は滅ぼしてしまう、とアブラハムに教えました。

アブラハムは、ロトのいる地方だと気づいたので、
この神のさばきに、なんとかできないかと考えました。
「もし、50人だけ、正しい人がいても滅ぼすのですか」
答えは、「もし50人いたら、滅ぼすのをやめよう」というものでした。




アブラハムは、よかった、と思いました。
が、そんなにたくさんの人が正しくはないのでは、と思いましたので、
「ではもし45人正しい人がいても、滅ぼしてしまわれますか」
とききました。
「いや、45人いたら、滅ぼすまい}

アブラハムは、
「では40人……」
「もし30人なら……」
「あつかましいですが、20人いたら……」
「もう最後です。10人かもしれませんが……」
答えは、「10人の正しい人のために、町を滅ぼすことはしない」。

アブラハムは家に戻っていきました。