12月第一週には、12月生まれの方々の
ささやかですが誕生会を致します。
礼拝直後の催しです。
香椎バプテスト教会では、
12月生まれる人が比較的多く、
7日の出席者の中にも幾人もの人がいらっしゃいました。
わが教会の牧師もまた、この中のひとりです。
プレゼントを受け取った後、ふと気づいたことでしたが、
そのプレゼントを持つ手が、
きれいに並んでいるように見えました。

代表で一人の方に挨拶していただきますが、
今回ハンディキャップある方がマイク前に立ちました。
肉体の誕生日を祝っていただくことへの感謝とともに、
「霊の誕生日」をこの教会で多くの人が
これから迎えることができますようにとの言葉があり、
心に滲みました。
なんだか、勇気を受けました。
ささやかですが誕生会を致します。
礼拝直後の催しです。
香椎バプテスト教会では、
12月生まれる人が比較的多く、
7日の出席者の中にも幾人もの人がいらっしゃいました。
わが教会の牧師もまた、この中のひとりです。
プレゼントを受け取った後、ふと気づいたことでしたが、
そのプレゼントを持つ手が、
きれいに並んでいるように見えました。

代表で一人の方に挨拶していただきますが、
今回ハンディキャップある方がマイク前に立ちました。
肉体の誕生日を祝っていただくことへの感謝とともに、
「霊の誕生日」をこの教会で多くの人が
これから迎えることができますようにとの言葉があり、
心に滲みました。
なんだか、勇気を受けました。
アドヴェント(待降節)を迎え、
教会のクリスマスツリーの飾り付けを
30日の午後に有志で行いました。
二階ホールの床に倉庫が設えてあり、
そこにツリーやオーナメントが収められています。
これを取り出して、まずツリー本体の組み立てをしますが、
ここでかなり時間を費やします。
ライトも、点くかどうか点検をし、
いくつかある中から今年のカラーを選択するようにして、
木に巻き付けていきます。
それから、めいめいが思い思いに
オーナメント(飾り)を付けていきます。

ツリーそのものは、
大昔の異教の習慣に関係するものだったかもしれません。
しかし何かしらの象徴のように、
私たちの心をささげていくこと、また、
それが誰かの心を温かくするかもしれないこと、
そんな思いで、今年も教会ではツリーをきれいに飾ります。

12月の間、
教会はこのような入口で
皆さまをお迎えいたします。
教会のクリスマスツリーの飾り付けを
30日の午後に有志で行いました。
二階ホールの床に倉庫が設えてあり、
そこにツリーやオーナメントが収められています。
これを取り出して、まずツリー本体の組み立てをしますが、
ここでかなり時間を費やします。
ライトも、点くかどうか点検をし、
いくつかある中から今年のカラーを選択するようにして、
木に巻き付けていきます。
それから、めいめいが思い思いに
オーナメント(飾り)を付けていきます。

ツリーそのものは、
大昔の異教の習慣に関係するものだったかもしれません。
しかし何かしらの象徴のように、
私たちの心をささげていくこと、また、
それが誰かの心を温かくするかもしれないこと、
そんな思いで、今年も教会ではツリーをきれいに飾ります。

12月の間、
教会はこのような入口で
皆さまをお迎えいたします。
月に五回の日曜日がある場合があります。
そのときには、その第五主日を、
皆で教会清掃をする日と決めています。
さる30日がそうでした。
あいにくの雨ですので、
窓ガラスの外を扱うことはしませんでしたが、
会堂の中を皆で磨きました。

とはいえ、
水曜日の朝の祈りと学びに集まった方々は、
毎週このように掃除をしてくださっているわけで、
なかなか出席できない者としては、
いつも申し訳なく思う次第です。
せめて、何かできることを続けていきたい。
こうして、教会のすがたを
全世界へ向けてオープンにしていくことで、
多くの方々にご理解を戴き、また
関心をもって戴けたら、と願いつつ、
毎日発信し続けていくことに励んでおります。
そのときには、その第五主日を、
皆で教会清掃をする日と決めています。
さる30日がそうでした。
あいにくの雨ですので、
窓ガラスの外を扱うことはしませんでしたが、
会堂の中を皆で磨きました。

とはいえ、
水曜日の朝の祈りと学びに集まった方々は、
毎週このように掃除をしてくださっているわけで、
なかなか出席できない者としては、
いつも申し訳なく思う次第です。
せめて、何かできることを続けていきたい。
こうして、教会のすがたを
全世界へ向けてオープンにしていくことで、
多くの方々にご理解を戴き、また
関心をもって戴けたら、と願いつつ、
毎日発信し続けていくことに励んでおります。
23日は、豊かな恵みを受けた朝の礼拝、
それから昼食に、午後の讃美感謝のひとときと、
満たされた思いで
誰もが教会を後にしました。
私は遅めに教会を出て、
教会の駐車場へ行きました。
すると、切り枝などを両手に抱えた方が。
餃子をこしらえてくださった方のパートナーです。
あらあら、お疲れさまです――。
そこのお近くが住まいですので、
ご自宅の庭の手入れかと思いました。
教会の駐車場に入ると、
餃子をこしらえてくださった方が、
壁の崖に生えた蔦のような草を
刈り取っているではありませんか。

目撃しなかったら、
誰がしたのか分からないような、
そんな駐車場の整備。
「隠れたところにおられる神」という言葉を
教会ではときおり語ります。
聖書にある言葉ですが、
そのひとつの深い意味を強く感じました。
それから昼食に、午後の讃美感謝のひとときと、
満たされた思いで
誰もが教会を後にしました。
私は遅めに教会を出て、
教会の駐車場へ行きました。
すると、切り枝などを両手に抱えた方が。
餃子をこしらえてくださった方のパートナーです。
あらあら、お疲れさまです――。
そこのお近くが住まいですので、
ご自宅の庭の手入れかと思いました。
教会の駐車場に入ると、
餃子をこしらえてくださった方が、
壁の崖に生えた蔦のような草を
刈り取っているではありませんか。

目撃しなかったら、
誰がしたのか分からないような、
そんな駐車場の整備。
「隠れたところにおられる神」という言葉を
教会ではときおり語ります。
聖書にある言葉ですが、
そのひとつの深い意味を強く感じました。
23日の午後は、感謝祭コンサートという名で、
讃美のひとときを過ごすことができました。
手話を交えての、楽しい踊りもありました。
聖歌隊も、ふだんと違い、
ギターを交えて力強く讃美しました。
そして、プロのピアニストの演奏が、
私たちの心を洗ってくれました。
ドビュッシーのハーモニーが、
余韻の中に重なって響くのでした。

同じピアニストの伴奏で、
ソプラノの独唱もありました。
神の都エルサレムが高らかに歌われました。
体調がすぐれない中で神を讃美する姿に、
幾多の詩篇の歌が重なってくるように思えました。

いずれも、
神の栄光のために、という信仰があふれるもので、
そうした思いは、同じ志をもつ人には、
間違いなく伝わるものなのでした。
讃美のひとときを過ごすことができました。
手話を交えての、楽しい踊りもありました。
聖歌隊も、ふだんと違い、
ギターを交えて力強く讃美しました。
そして、プロのピアニストの演奏が、
私たちの心を洗ってくれました。
ドビュッシーのハーモニーが、
余韻の中に重なって響くのでした。

同じピアニストの伴奏で、
ソプラノの独唱もありました。
神の都エルサレムが高らかに歌われました。
体調がすぐれない中で神を讃美する姿に、
幾多の詩篇の歌が重なってくるように思えました。

いずれも、
神の栄光のために、という信仰があふれるもので、
そうした思いは、同じ志をもつ人には、
間違いなく伝わるものなのでした。
23日は愛餐会でもありました。
ふだんは第二週が持ち寄りの愛餐会なのですが、
感謝祭という暦に合わせて、第四週に変更です。
朝、持ち寄りの品々は、
ホールのカウンター前のテーブルに、
集め置かれています。
礼拝後、これが食卓に並べられます。

今回、餃子も提供されました。
中国から日本で学術などなさっている方が、
家で餃子をこしらえておき、
直前に揚げます。
でも、その数、半端じゃありません。
昨日から作業を続け、
300個もあるとか。
皮もすべて手で捏ねたものであり、
まさに本格中華なのでした。

そしてきつね色に焼きあがった餃子は、
食卓に置かれたとき、
玄関前のもみじが飾られて、
実にいい雰囲気の盛り付けとなりました。

色づいた葉を見つめつつ、
季節は冬へと移っていくのでした。
ふだんは第二週が持ち寄りの愛餐会なのですが、
感謝祭という暦に合わせて、第四週に変更です。
朝、持ち寄りの品々は、
ホールのカウンター前のテーブルに、
集め置かれています。
礼拝後、これが食卓に並べられます。

今回、餃子も提供されました。
中国から日本で学術などなさっている方が、
家で餃子をこしらえておき、
直前に揚げます。
でも、その数、半端じゃありません。
昨日から作業を続け、
300個もあるとか。
皮もすべて手で捏ねたものであり、
まさに本格中華なのでした。

そしてきつね色に焼きあがった餃子は、
食卓に置かれたとき、
玄関前のもみじが飾られて、
実にいい雰囲気の盛り付けとなりました。

色づいた葉を見つめつつ、
季節は冬へと移っていくのでした。
昼食の準備が、
出席者数が分かる前に始まるために、
どのくらいの量を用意するか、
難しい問題となる場合があります。
人数が多いなら多いなりに
シェアできるようなものなら、
分け合えばよいので、
スープはひとつ好都合なメニューとなります。
そうしたことを考慮しつつ、
担当の方々のご苦労に、いつも感謝しております。

16日は、昨日お伝えしたように、
人数が少ない特異日となりましたので、
こしらえてあったクラムチャウダーは、
たっぷり残るようになりました。
どうぞおかわりを。
アナウンスがありました。
これもまた恵みと受け取りましょうか。
ところで逆に人がいつもより多くなって、
パンがもし足りなかったらどうしましょうか。
なあに、
神の祝福のうちに、
五つのパンだって5000人に分けられたのだ、というのも、
確かに、信じればそのようになるのかもしれませんが……。
出席者数が分かる前に始まるために、
どのくらいの量を用意するか、
難しい問題となる場合があります。
人数が多いなら多いなりに
シェアできるようなものなら、
分け合えばよいので、
スープはひとつ好都合なメニューとなります。
そうしたことを考慮しつつ、
担当の方々のご苦労に、いつも感謝しております。

16日は、昨日お伝えしたように、
人数が少ない特異日となりましたので、
こしらえてあったクラムチャウダーは、
たっぷり残るようになりました。
どうぞおかわりを。
アナウンスがありました。
これもまた恵みと受け取りましょうか。
ところで逆に人がいつもより多くなって、
パンがもし足りなかったらどうしましょうか。
なあに、
神の祝福のうちに、
五つのパンだって5000人に分けられたのだ、というのも、
確かに、信じればそのようになるのかもしれませんが……。
今年の立冬は、実は昨日でした。
ここから地球は、軌道の中の
冬のゾーンに突入します。
とはいえ、気温に影響が出るのはまだこれからで、
どんどん寒くなっていくことになります(北半球)。
昨日ご紹介した『よくわかるクリスマス』には、
冬至とクリスマスの関係も説明されていました。

教会の階段を上がると、
小さな庭に木がぎっしり迎えてくれますが、
そこもすっかり秋めいて――あるいは冬めいて?
少し固さや厳しさを醸し出すようになってきました。
きっと、人は一度は心を頑なにします。
自分に閉じこもり、他を寄せ付けず、
冬ごもりのようにひとりになろうとします。
それは必要なこと。
自分の中に深く沈む経験が必要です。
そこから、また開かれていく。
どんなきっかけか、どんな時か、
それは人に計算はできません。
他人が決めることもできません。
ただ、人は、そんなに孤独ではないと思います。
人には、友が必ずいます。
自分のために命を捨てた友が、
この教会の一人一人にはまちがいなくいるのです。
ここから地球は、軌道の中の
冬のゾーンに突入します。
とはいえ、気温に影響が出るのはまだこれからで、
どんどん寒くなっていくことになります(北半球)。
昨日ご紹介した『よくわかるクリスマス』には、
冬至とクリスマスの関係も説明されていました。

教会の階段を上がると、
小さな庭に木がぎっしり迎えてくれますが、
そこもすっかり秋めいて――あるいは冬めいて?
少し固さや厳しさを醸し出すようになってきました。
きっと、人は一度は心を頑なにします。
自分に閉じこもり、他を寄せ付けず、
冬ごもりのようにひとりになろうとします。
それは必要なこと。
自分の中に深く沈む経験が必要です。
そこから、また開かれていく。
どんなきっかけか、どんな時か、
それは人に計算はできません。
他人が決めることもできません。
ただ、人は、そんなに孤独ではないと思います。
人には、友が必ずいます。
自分のために命を捨てた友が、
この教会の一人一人にはまちがいなくいるのです。