8日は、冬季学び会でした。
建国記念の日が近づくこのころ、
個人と国や社会との関係を問う企画を
香椎バプテスト教会では長く続けてきました。
今年、「キリスト者として生きる」という、
やや漠然としたテーマとなりましたが、
この時代・場所に置かれた者として
キリスト者がどう生きるか、
ある意味で根本的な問いが投げかけられたのでした。

午後は、
講師による講義。
経済と宗教との関係が
大学さながらに語られました。
豊かさとは何か。
金銭ではかれないものがあるのではないか。
景気・金、それがいつでも政治などの関心でよいのか。
いのちを見つめる眼差しが、そこにありました。
そういえば、「経済」という語は
もともと、家を管理することでした。
金儲けと混同することなく、
適切に取り扱う知恵が、求められていたのです。
建国記念の日が近づくこのころ、
個人と国や社会との関係を問う企画を
香椎バプテスト教会では長く続けてきました。
今年、「キリスト者として生きる」という、
やや漠然としたテーマとなりましたが、
この時代・場所に置かれた者として
キリスト者がどう生きるか、
ある意味で根本的な問いが投げかけられたのでした。

午後は、
講師による講義。
経済と宗教との関係が
大学さながらに語られました。
豊かさとは何か。
金銭ではかれないものがあるのではないか。
景気・金、それがいつでも政治などの関心でよいのか。
いのちを見つめる眼差しが、そこにありました。
そういえば、「経済」という語は
もともと、家を管理することでした。
金儲けと混同することなく、
適切に取り扱う知恵が、求められていたのです。
持ち寄りの愛餐会で、
8日のお昼は賑わいました。
それぞれの方が心をこめてこしらえたものが
並びます。
今回、ちょっと見ると少なそうにも見えるのですが、
マナのごとく、
過不足なく行き渡りました。

ところで、今回のように
各自持ち寄りの愛餐会はよいのですが、
他の週は、
代表して担当者が準備する昼食となっており、
その負担は工夫でいくらか軽減されましたが、
200円ずつ集めている代金では、
足が出るようになってきました。
そう、消費税上昇もその因ですが、
円安などで食品の値上がりが激しいのです。
少し、食事代を値上げさせて戴いてよいでしょうか。
皆さんに問うと、概ね仕方ないとのお声。
細かくは、また改めて額を検討いたします。
8日のお昼は賑わいました。
それぞれの方が心をこめてこしらえたものが
並びます。
今回、ちょっと見ると少なそうにも見えるのですが、
マナのごとく、
過不足なく行き渡りました。

ところで、今回のように
各自持ち寄りの愛餐会はよいのですが、
他の週は、
代表して担当者が準備する昼食となっており、
その負担は工夫でいくらか軽減されましたが、
200円ずつ集めている代金では、
足が出るようになってきました。
そう、消費税上昇もその因ですが、
円安などで食品の値上がりが激しいのです。
少し、食事代を値上げさせて戴いてよいでしょうか。
皆さんに問うと、概ね仕方ないとのお声。
細かくは、また改めて額を検討いたします。
宗教法人として、
香椎バプテスト教会は、
社会的な規則により、
役員選出をしなければなりません。
旧年度の決算や事業報告、
新役員による新年度の予算や事業計画、
これが冬から春の恒例の手続き行事となります。
それもきちんと公告されています。

それで、昨日2月1日には、
役員選出のための臨時教会総会が開かれました。
教会のいわゆる「執事」の選出です。
ややこしいのですが、
宗教法人のための「役員」は任期が長いため、
昨年度(本年度)の執事が就任していましたが、
これから一年間の教会の実務のための「執事」は、
その宗教法人の役員とは無関係に選出されます。
(なんだかよく分からない方、すみません)
さらに、次年度は、事情があり、
その「執事」が、従来の7人から5人となります。
人数の加減もありますが、
投票方法も工夫がなされ、
以前に比べると格段に短い時間で
集計され決定されるようになりました。

それでも、昼食前にずいぶんな時間がかかります。
お待ち下さった方々に、申し訳なく思います。
香椎バプテスト教会は、
変革の時代を迎えようとしています。
新たな歩みが、祝福されたものでありますように。
香椎バプテスト教会は、
社会的な規則により、
役員選出をしなければなりません。
旧年度の決算や事業報告、
新役員による新年度の予算や事業計画、
これが冬から春の恒例の手続き行事となります。
それもきちんと公告されています。

それで、昨日2月1日には、
役員選出のための臨時教会総会が開かれました。
教会のいわゆる「執事」の選出です。
ややこしいのですが、
宗教法人のための「役員」は任期が長いため、
昨年度(本年度)の執事が就任していましたが、
これから一年間の教会の実務のための「執事」は、
その宗教法人の役員とは無関係に選出されます。
(なんだかよく分からない方、すみません)
さらに、次年度は、事情があり、
その「執事」が、従来の7人から5人となります。
人数の加減もありますが、
投票方法も工夫がなされ、
以前に比べると格段に短い時間で
集計され決定されるようになりました。

それでも、昼食前にずいぶんな時間がかかります。
お待ち下さった方々に、申し訳なく思います。
香椎バプテスト教会は、
変革の時代を迎えようとしています。
新たな歩みが、祝福されたものでありますように。
たぶん、初めてのことだと思います。
手話で証しをする会。
25日の午後に開かれました。
牧師からの聖書のメッセージはありません。
その代わり、
証しなり讃美なりを、
次々と進めていきます。
司会者はろう者の一人。
音は微妙に感じますので、
歌に合わせて手話で讃美をするのが大好き。
そういう証しもありました。

水曜日の朝の聖書研究と祈りの会に
いつも集う方々と牧師とが、
その場でよく歌う讃美歌を
手話で讃美する、という時もありました。
毎月第四主日の午後には、
手話による礼拝が行われています。
そのときのように、
手話通訳者が今回も、読みとって音声通訳をします。
逆に、証しをする聴者は、
声を出さずに手話だけで伝えるのです。
ふだん自分がやっている手話が、
ちゃんと伝わっているのかどうか、のテストみたいでもあり、
緊張する思いもありました。
でも、手話がメインではありません。
神のわざを証言し、
たたえるのが一番なのでありました。
なお、2月は第一週の2月1日を、
分かりやすい聖書の話を特にご用意する礼拝としています。
聖書を学びたいと思われる方を
心からお待ちしています。
手話で証しをする会。
25日の午後に開かれました。
牧師からの聖書のメッセージはありません。
その代わり、
証しなり讃美なりを、
次々と進めていきます。
司会者はろう者の一人。
音は微妙に感じますので、
歌に合わせて手話で讃美をするのが大好き。
そういう証しもありました。

水曜日の朝の聖書研究と祈りの会に
いつも集う方々と牧師とが、
その場でよく歌う讃美歌を
手話で讃美する、という時もありました。
毎月第四主日の午後には、
手話による礼拝が行われています。
そのときのように、
手話通訳者が今回も、読みとって音声通訳をします。
逆に、証しをする聴者は、
声を出さずに手話だけで伝えるのです。
ふだん自分がやっている手話が、
ちゃんと伝わっているのかどうか、のテストみたいでもあり、
緊張する思いもありました。
でも、手話がメインではありません。
神のわざを証言し、
たたえるのが一番なのでありました。
なお、2月は第一週の2月1日を、
分かりやすい聖書の話を特にご用意する礼拝としています。
聖書を学びたいと思われる方を
心からお待ちしています。
教会の会堂は、地上からは二階。
エレベーターを使わない場合は、
螺旋状の階段を昇って、
二階にある玄関のドアを入ります。
そのドアの手前に、
木が、あるいは花が植えられているのですが、
この冬の時季には、
スイセンの香りが
私たちを出迎えてくれました。

その清楚な姿もさることながら、
さりげない香りで、
その存在を知ることもあります。
聖書には「キリストの香り」という言葉があります。
また、香りが信じる人々の祈りである、
という内容の言葉もあります。
私たちは、けばけばしく自分を売り込もうとしがちです。
しかし、気づく人にだけ気づくような、
だが確かにそこにいるというような、
かぐわしい香りを放つものでありたいと願います。
エレベーターを使わない場合は、
螺旋状の階段を昇って、
二階にある玄関のドアを入ります。
そのドアの手前に、
木が、あるいは花が植えられているのですが、
この冬の時季には、
スイセンの香りが
私たちを出迎えてくれました。

その清楚な姿もさることながら、
さりげない香りで、
その存在を知ることもあります。
聖書には「キリストの香り」という言葉があります。
また、香りが信じる人々の祈りである、
という内容の言葉もあります。
私たちは、けばけばしく自分を売り込もうとしがちです。
しかし、気づく人にだけ気づくような、
だが確かにそこにいるというような、
かぐわしい香りを放つものでありたいと願います。
これも一週間前の
元旦礼拝のときのことですが、
礼拝直後、恒例の記念写真を撮影しました。
真正面からの写真を、とも考えましたが、
それでは面白くありません。
少し面白いのは、
写真を撮る人を撮ること。
人々の視線も、みなそちらに向かっています。

見る立場の人は、
自分が見られる立場にもいるということを
しばしば忘れます。
どうせ誰も見ていないから。
神が見ていることはないだろう。
そんな言い訳を自分で自分に言い聞かせ、
見られてなどいない気持ちになるのは人の常。
しかし、そんなはずはありません。
ダビデは、自分が神の手の中にあることを痛感し、
幾度も過ちや失敗を犯してもなお、
主の方を向いて叫び、また歌をつくるのでした。
元旦礼拝のときのことですが、
礼拝直後、恒例の記念写真を撮影しました。
真正面からの写真を、とも考えましたが、
それでは面白くありません。
少し面白いのは、
写真を撮る人を撮ること。
人々の視線も、みなそちらに向かっています。

見る立場の人は、
自分が見られる立場にもいるということを
しばしば忘れます。
どうせ誰も見ていないから。
神が見ていることはないだろう。
そんな言い訳を自分で自分に言い聞かせ、
見られてなどいない気持ちになるのは人の常。
しかし、そんなはずはありません。
ダビデは、自分が神の手の中にあることを痛感し、
幾度も過ちや失敗を犯してもなお、
主の方を向いて叫び、また歌をつくるのでした。
もう一週間前のことですが、
元旦礼拝が行われました。
その日の昼食は、恒例の正月料理。
お節のような品々と、雑煮が登場します。

このために、
多くの手間をかけてくださった方々に感謝します。
そしてこれからの一年に、
年頭のメッセージにもあったごとく、
希望が伴い、また何よりも
神が共にいてくださいますように、と願います。
50周年を間もなく迎えようとしている教会ですが、
ヨベルの年にまた新たな歴史が始まるように、
若い方々を受け容れていく形に、
私たち自身が変わっていく必要があることを
強く覚えます。
それにしても、
こうした昼食は、ほんとうに楽しみなもの。
どうぞ教会へお越しになり、
昼食までご参加くださいませ。
元旦礼拝が行われました。
その日の昼食は、恒例の正月料理。
お節のような品々と、雑煮が登場します。

このために、
多くの手間をかけてくださった方々に感謝します。
そしてこれからの一年に、
年頭のメッセージにもあったごとく、
希望が伴い、また何よりも
神が共にいてくださいますように、と願います。
50周年を間もなく迎えようとしている教会ですが、
ヨベルの年にまた新たな歴史が始まるように、
若い方々を受け容れていく形に、
私たち自身が変わっていく必要があることを
強く覚えます。
それにしても、
こうした昼食は、ほんとうに楽しみなもの。
どうぞ教会へお越しになり、
昼食までご参加くださいませ。
教会学校からは、
紙芝居が披露されました。
このために、
ストーリーも小学生が考えました。
絵も自分で描きました。
お話を創るのが好きな子の作品です。
題して、「クリスマス・イヴ」。

サンタクロースの伝説にまつわる物語です。
しかしサンタクロースの恰好は、
まるで雪だるま!
ユニークな設定のお話は、
劇中劇となって展開され、
現実と交錯する、凝った構成になっています。

トリは、家長会の劇。
今年は三人の博士が主役……かと思いきや、
なんと「ヘロデ」。
あのヘロデ大王が主役です。
残酷で自分本位な暴虐者と見られていますが、
その死の床で苦しむ姿を演ずるのが、
牧師その人でありました。
脚本の流れには沿いますが、
台詞はとんでもなく暴走し、付け加えられました。
祭司長や博士などとの掛け合いも阿吽の呼吸で
笑いを誘うステージでしたが、
ひとつだけ、難点がありました。
「赤ん坊など、殺してしまえ!」
ヘロデの言葉に、
今年弟が生まれた小さな男の子が叫びました。
「だめーっ。かわいいんだから」
紙芝居が披露されました。
このために、
ストーリーも小学生が考えました。
絵も自分で描きました。
お話を創るのが好きな子の作品です。
題して、「クリスマス・イヴ」。

サンタクロースの伝説にまつわる物語です。
しかしサンタクロースの恰好は、
まるで雪だるま!
ユニークな設定のお話は、
劇中劇となって展開され、
現実と交錯する、凝った構成になっています。

トリは、家長会の劇。
今年は三人の博士が主役……かと思いきや、
なんと「ヘロデ」。
あのヘロデ大王が主役です。
残酷で自分本位な暴虐者と見られていますが、
その死の床で苦しむ姿を演ずるのが、
牧師その人でありました。
脚本の流れには沿いますが、
台詞はとんでもなく暴走し、付け加えられました。
祭司長や博士などとの掛け合いも阿吽の呼吸で
笑いを誘うステージでしたが、
ひとつだけ、難点がありました。
「赤ん坊など、殺してしまえ!」
ヘロデの言葉に、
今年弟が生まれた小さな男の子が叫びました。
「だめーっ。かわいいんだから」