29日の午後、
ふだんのような昼拝と呼ばれる礼拝ではなく、
音楽のひとときを過ごしました。
バッハの「マタイ受難曲」が、
手作りの大きなスピーカを通して、
会堂に響き渡りました。

時間の都合のため、
最後の一時間弱の部分だけでしたが、
ドイツ語と邦訳の対訳の資料を手元に、
美しい音に囲まれて、
十字架を想うひとときを与えられました。
今、どこが歌われているのか、
理解しにくいと思われたため、
手元のコラールの何番のところが演奏されているのか、
ホワイトボードが掲げられました。

十数秒で移り変わる場合があり、
サインを送るのもなかなか忙しそうでした。
おかげさまで、
迷うことなく、最後まで導かれました。
ふだんのような昼拝と呼ばれる礼拝ではなく、
音楽のひとときを過ごしました。
バッハの「マタイ受難曲」が、
手作りの大きなスピーカを通して、
会堂に響き渡りました。

時間の都合のため、
最後の一時間弱の部分だけでしたが、
ドイツ語と邦訳の対訳の資料を手元に、
美しい音に囲まれて、
十字架を想うひとときを与えられました。
今、どこが歌われているのか、
理解しにくいと思われたため、
手元のコラールの何番のところが演奏されているのか、
ホワイトボードが掲げられました。

十数秒で移り変わる場合があり、
サインを送るのもなかなか忙しそうでした。
おかげさまで、
迷うことなく、最後まで導かれました。
さて、これはどこでしょう。
三階会堂入口前の、
受付の横の窓です。
向こうに少し見えるのは、県立香椎高校。
高校生がたくさんいます。
惜しむらくは、
その高校生が教会を訪れないこと。
こんな宝のような魂がが
すぐ横に毎日たんまりいてもなお、
教会の中に足を運ぶ学生がいません。
これは由々しきことです。

「御自由にお持ち帰り下さい」と
案内や読み物が置いてありますが、
持ち帰っている方を
ほとんど見たことがありません。
聖書通読こよみも見えますが、
これで毎日聖書を開く方が
はたしてどのくらいいらっしゃるのか……。
悲観することはよろしくありませんが、
お気楽に傍観することは、さらによろしくないと思います。
教会には、
新たな風が入らなければ、空気が淀みます。
風通しがよくなるように、
心の窓を開けたいと願います。
三階会堂入口前の、
受付の横の窓です。
向こうに少し見えるのは、県立香椎高校。
高校生がたくさんいます。
惜しむらくは、
その高校生が教会を訪れないこと。
こんな宝のような魂がが
すぐ横に毎日たんまりいてもなお、
教会の中に足を運ぶ学生がいません。
これは由々しきことです。

「御自由にお持ち帰り下さい」と
案内や読み物が置いてありますが、
持ち帰っている方を
ほとんど見たことがありません。
聖書通読こよみも見えますが、
これで毎日聖書を開く方が
はたしてどのくらいいらっしゃるのか……。
悲観することはよろしくありませんが、
お気楽に傍観することは、さらによろしくないと思います。
教会には、
新たな風が入らなければ、空気が淀みます。
風通しがよくなるように、
心の窓を開けたいと願います。
15日のランチに、びっくり。
カレーライスは、いわば定番です。
決して節約に走らないだけの
ざっくり大きな具が、
ほかほかと温かく体にしみこみます。

それから、スープ。
白菜もありますが、
中央にどーんと聳えるものはいったい……。

牛テールです。
久しぶりにまみえました。
それにしても、存在感のあること。
煮込むことで風味が増し、
スープにもそのエキスが拡がります。
不要なようにすら見えかねない尻尾かもしれませんが、
こんなに豊かな存在となりうるのです。
たとい、耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったところで、
そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
パウロが、コリント人への手紙で、
こんなふうなことを言っていましたね。
カレーライスは、いわば定番です。
決して節約に走らないだけの
ざっくり大きな具が、
ほかほかと温かく体にしみこみます。

それから、スープ。
白菜もありますが、
中央にどーんと聳えるものはいったい……。

牛テールです。
久しぶりにまみえました。
それにしても、存在感のあること。
煮込むことで風味が増し、
スープにもそのエキスが拡がります。
不要なようにすら見えかねない尻尾かもしれませんが、
こんなに豊かな存在となりうるのです。
たとい、耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったところで、
そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
パウロが、コリント人への手紙で、
こんなふうなことを言っていましたね。