12日のお昼は、
持ち寄りの愛餐会でした。
それぞれの腕を活かした、
個性豊かな食卓です。
お忙しい中、
手間ひまを懸けて準備をしてくださり、
いつもありがとうございます。

愛餐の食堂である二階ホールのエアコンは、
数年前に故障しましたが、
その後なんとか動いています。
三階の会堂のが、どうにもだめなのです。
もう20年という月日は、
仕方がないとも言える時間だそうで、
一部の部品交換の費用もかなりかかるため、
新しい機械に入れ換えることになりました。
電力などの点からも、
ずいぶん改善された機種となっていることでしょう。
昔ながらのものを大事に使うことも大切ですが、
バランスよく新しいものを受け容れていきたいものです。
ん? エアコンに限らず、そうですか?
持ち寄りの愛餐会でした。
それぞれの腕を活かした、
個性豊かな食卓です。
お忙しい中、
手間ひまを懸けて準備をしてくださり、
いつもありがとうございます。

愛餐の食堂である二階ホールのエアコンは、
数年前に故障しましたが、
その後なんとか動いています。
三階の会堂のが、どうにもだめなのです。
もう20年という月日は、
仕方がないとも言える時間だそうで、
一部の部品交換の費用もかなりかかるため、
新しい機械に入れ換えることになりました。
電力などの点からも、
ずいぶん改善された機種となっていることでしょう。
昔ながらのものを大事に使うことも大切ですが、
バランスよく新しいものを受け容れていきたいものです。
ん? エアコンに限らず、そうですか?
駐車場の雑草管理を
いつもこっそりなさる方は、
目の見えない方の送迎や
教会内での付き添いなど、
「見えない」ところで愛ある行いを
続けていらっしゃいます。
お腹の大きな方をも28日は、
送り届けてくださいました。
朝、駐車場を包み始めた
琉球アサガオのつるを引っ張っているのを見ました。
ああ、これを取り除こうとしているのか、と思えました。

ところが後で、
教会に琉球アサガオのかたまりが
どっさり届けられました。
棄てるため? かと思いきや、
花が摘まれ、花瓶に挿されるではありませんか。

いい色です。
教会のあちこちに分けられて、
青紫の花が
ちょっとした清涼剤のようにはたらくことに。
沖縄戦から70年。
牛島中将の自決を以て組織的な戦闘の終結とする日が
一週間前でした。
が、地獄絵図はその後も続いていました。
本土側からはあまり関心のなかったそのありさまを、
沖縄の報道機関は追究し、訴えてきました。
青い空の下に確かにあった出来事を、
懸命に伝える仕事をなさる方々に、
改めて敬意を表したいと思います。
いつもこっそりなさる方は、
目の見えない方の送迎や
教会内での付き添いなど、
「見えない」ところで愛ある行いを
続けていらっしゃいます。
お腹の大きな方をも28日は、
送り届けてくださいました。
朝、駐車場を包み始めた
琉球アサガオのつるを引っ張っているのを見ました。
ああ、これを取り除こうとしているのか、と思えました。

ところが後で、
教会に琉球アサガオのかたまりが
どっさり届けられました。
棄てるため? かと思いきや、
花が摘まれ、花瓶に挿されるではありませんか。

いい色です。
教会のあちこちに分けられて、
青紫の花が
ちょっとした清涼剤のようにはたらくことに。
沖縄戦から70年。
牛島中将の自決を以て組織的な戦闘の終結とする日が
一週間前でした。
が、地獄絵図はその後も続いていました。
本土側からはあまり関心のなかったそのありさまを、
沖縄の報道機関は追究し、訴えてきました。
青い空の下に確かにあった出来事を、
懸命に伝える仕事をなさる方々に、
改めて敬意を表したいと思います。
英語でdeliciousという形容は、
気軽に使う言葉ではないのだそうで、
よほどの時のためということです。
でも、21日のランチももちろんですが、
提供されたお菓子の、
これまた美味しいこと。
まずは京都のお菓子。
結婚されたばかりのご家庭より、
大きな箱入りで振る舞われました。
和菓子系には定評のある京都のお土産ですが、
なにげないようなおせんべいが、
まず見て可愛いのはもちろんのこと、
味がまた、洗練されたものでした。

また、もうひとつは洋菓子系。
6月のクリスチャン新聞福音版に掲載されていた、
伊勢のケーキ屋さんのクッキー。
「大人のお菓子の家ミルフォワ・メルシ」というお店です。
詳しくお話しするとややこしくなるのですが、
昨日触れた方のお嬢さんが
そのお店と関わりがあり、
当地を訪れた後にこの福音版の記事を知り、
頼んで送ってもらったのだそうです。
十戒の板の形や、聖書をなぞらえたクッキーなど、
食べるのが畏れ多いようなお菓子でした。
心のみならず、魂がこもっているように感じました。

和洋の美味しいお菓子に舌鼓。
たとえなにげなくお客さんが買ったのだとしても、
味が本物ならば、また買おうと思うでしょう。
いくら名前が通っていたとしても、
杜撰な商品をつかまされたら、
もう二度と買おうとはしないでしょう。
また来よう、と思ってくださる、
そんな教会でありたいと願っています。
そのためには、本物を提供しなければ。
気軽に使う言葉ではないのだそうで、
よほどの時のためということです。
でも、21日のランチももちろんですが、
提供されたお菓子の、
これまた美味しいこと。
まずは京都のお菓子。
結婚されたばかりのご家庭より、
大きな箱入りで振る舞われました。
和菓子系には定評のある京都のお土産ですが、
なにげないようなおせんべいが、
まず見て可愛いのはもちろんのこと、
味がまた、洗練されたものでした。

また、もうひとつは洋菓子系。
6月のクリスチャン新聞福音版に掲載されていた、
伊勢のケーキ屋さんのクッキー。
「大人のお菓子の家ミルフォワ・メルシ」というお店です。
詳しくお話しするとややこしくなるのですが、
昨日触れた方のお嬢さんが
そのお店と関わりがあり、
当地を訪れた後にこの福音版の記事を知り、
頼んで送ってもらったのだそうです。
十戒の板の形や、聖書をなぞらえたクッキーなど、
食べるのが畏れ多いようなお菓子でした。
心のみならず、魂がこもっているように感じました。

和洋の美味しいお菓子に舌鼓。
たとえなにげなくお客さんが買ったのだとしても、
味が本物ならば、また買おうと思うでしょう。
いくら名前が通っていたとしても、
杜撰な商品をつかまされたら、
もう二度と買おうとはしないでしょう。
また来よう、と思ってくださる、
そんな教会でありたいと願っています。
そのためには、本物を提供しなければ。
年に一度は、避難訓練をしなければなりません。
21日の礼拝直後に、
救急活動の説明や消火器の使用法などの説明とともに、
実際に会堂から外に出る訓練をいたしました。
と、そこにはブドウの袋。
今年も、青々と実り始めたブドウの実。
木曜日に、
わざわざ遠方から来てくださった方が、
袋掛けを済ませました。
ほんとうなら、
皆でやれば短い時間ができたかもしれません。

その方は、21日の朝も、
駐車場で働いていました。
夏草がどんどん伸びてくる時季です。
手入れをしなければ、
ただぼうぼうの空き地になってしまいます。
何かお手伝いをしなければ、と思うのですが、
なかなかできないことを申し訳なく思います。
でも、私もまた、
誰も見ていないところで
何かを続けていきたい、と励まされもするのでした。
21日の礼拝直後に、
救急活動の説明や消火器の使用法などの説明とともに、
実際に会堂から外に出る訓練をいたしました。
と、そこにはブドウの袋。
今年も、青々と実り始めたブドウの実。
木曜日に、
わざわざ遠方から来てくださった方が、
袋掛けを済ませました。
ほんとうなら、
皆でやれば短い時間ができたかもしれません。

その方は、21日の朝も、
駐車場で働いていました。
夏草がどんどん伸びてくる時季です。
手入れをしなければ、
ただぼうぼうの空き地になってしまいます。
何かお手伝いをしなければ、と思うのですが、
なかなかできないことを申し訳なく思います。
でも、私もまた、
誰も見ていないところで
何かを続けていきたい、と励まされもするのでした。
13日、
教会で結婚式が挙げられました。
会堂に飾られた花の中から、
ぜひということで、
教会に白百合などの花が譲られました。
それで14日の礼拝には、
たくさんのユリなどの花が飾られました。
これは、会堂へ続く階段の途中の棚に
飾られた、美しい花瓶の白百合。

両脇からも、
このような清楚な花が
会堂をやさしく包んでいました。

見るからに純粋で清らかな、白いユリ。
キリスト教会では、
復活のキリストをイメージさせるものとして
特別に飾ることがあります。
ただし、聖書ではそれと関係ないところでも、
「ゆり」はいろいろ登場します。
その場合、聖書で「ゆり」と訳されている花が、
私たちの知る「ユリ」と同じであるかどうかは、
議論のあるところです。
それでも、
私たちがこれを美しいと感じ、
神のすばらしさを重ねて思うとき、
やはりそこには安心できるものがあるように思います。
このユリはまた、
結婚式の花嫁さんに、
ぴったりの花でもあったことでしょう。
お幸せに。
教会で結婚式が挙げられました。
会堂に飾られた花の中から、
ぜひということで、
教会に白百合などの花が譲られました。
それで14日の礼拝には、
たくさんのユリなどの花が飾られました。
これは、会堂へ続く階段の途中の棚に
飾られた、美しい花瓶の白百合。

両脇からも、
このような清楚な花が
会堂をやさしく包んでいました。

見るからに純粋で清らかな、白いユリ。
キリスト教会では、
復活のキリストをイメージさせるものとして
特別に飾ることがあります。
ただし、聖書ではそれと関係ないところでも、
「ゆり」はいろいろ登場します。
その場合、聖書で「ゆり」と訳されている花が、
私たちの知る「ユリ」と同じであるかどうかは、
議論のあるところです。
それでも、
私たちがこれを美しいと感じ、
神のすばらしさを重ねて思うとき、
やはりそこには安心できるものがあるように思います。
このユリはまた、
結婚式の花嫁さんに、
ぴったりの花でもあったことでしょう。
お幸せに。
毎月第一主日には、礼拝後、
教会の定例会が開かれます。
決算関係の近況報告のほか、
全員で周知しておかなければならないこと、
役員だけの決定ではないほうがよいことについて、
話し合う機会となります。
7日の礼拝後にもいろいろとあり、
その内容をここで具にお知らせすることは控えますが、
ひとつ、
講壇の花について、ご紹介します。
ここ何年か、
花の担当が曖昧になっていました。
そこで7日には、
重荷を負う方が見かねて、
アジサイを摘んできて花瓶に挿しました。

自然の花は、やはりいい。
そんな気持ちでうれしくなりますし、
その分は費用がかかりませんが、
時に華麗に飾りたくなる場合もあります。
もちろん、費用は教会で負担できます。
かといって、
誰もが勝手に買ってもってくるというのもよくないでしょう。
心ある人の間で、うまく機能していくといいですね。
それにしても、
こうたことに「気づき」、表に出していくこと、
それがまた大切なことであると思わされます。
教会の定例会が開かれます。
決算関係の近況報告のほか、
全員で周知しておかなければならないこと、
役員だけの決定ではないほうがよいことについて、
話し合う機会となります。
7日の礼拝後にもいろいろとあり、
その内容をここで具にお知らせすることは控えますが、
ひとつ、
講壇の花について、ご紹介します。
ここ何年か、
花の担当が曖昧になっていました。
そこで7日には、
重荷を負う方が見かねて、
アジサイを摘んできて花瓶に挿しました。

自然の花は、やはりいい。
そんな気持ちでうれしくなりますし、
その分は費用がかかりませんが、
時に華麗に飾りたくなる場合もあります。
もちろん、費用は教会で負担できます。
かといって、
誰もが勝手に買ってもってくるというのもよくないでしょう。
心ある人の間で、うまく機能していくといいですね。
それにしても、
こうたことに「気づき」、表に出していくこと、
それがまた大切なことであると思わされます。